その他

             発筍
           

  竹山から今年最初の筍を掘り出しました。毎年同じような所で発見します。先端の部分が金色のゴールデン筍ですから、全然エグミがありません。天からの恵みを受けて生活できるのは、ある意味贅沢かもしれません。自然の移ろいを感じています。
      四季巡る 初筍の 香りかな
           令和5年3月15日 記



              藤の花開く
       
 庭の白い藤が咲き始めました。見事な藤の花は各地にありますが、平等院の藤は圧巻でした。
 ところで、藤というと正岡子規の二首が脳裏に浮かびます。
   瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり
   瓶にさす藤の花ぶさ花垂れて病の床に春暮れんとす
 脊椎カリエスに冒された子規は、ただ仰向けに寝ている以外にありませんでした。骨は次第に溶けてゆき、体のいたる所に穴があき、そこから絶え間なく膿が出て、包帯を変えるたびにガーゼとともに皮膚がはがれ、穴は空洞のように広がる惨状でした。子規の心を慰撫(いぶ)したのは、庭に植えた四季折々の花々だったのです。病床から見えるわずかな空間が、寝返りもできなくなっていた子規の世界でした。そのような状況下でも創作に対する意欲は失われず、多くの短歌や俳句を残すと同時に改革に努めました。その精神力に驚かされます。
         令和4年4月25日  記



                牡丹咲く
          
 今年も牡丹が咲きました。「年々歳々人同じからず、歳々年々花相似たり」と言うように移ろう季節は確実にやってきますが、決して人間世界は同じではありません。限りある命を生きる我々の宿命です。コロナの蔓延もそれを突きつけます。牡丹を見ると下記の作品を思い出します。
 牡丹散つてうちかさなりぬニ三片         与謝蕪村
 美服して牡丹に媚びる心あり           正岡子規
 白牡丹といふといへども 紅(こう)ほのか      高浜虚子
 牡丹花は咲き定まりて静かなり花のしめたる位置の確かさ  木下利玄
         令和4年4月18日  記


                筍の収穫
        

 草山さんが年休を取って筍の収穫に来ました。一度に食べられない分は冷凍にするそうです。特にシュウマイにすると美味しいと言っていました。収穫後、筍スパゲティを食べました。
             令和4年4月12日  記



             耕運機
          
 写真は、半世紀以上も前の耕運機です。今も現役で、トラクターが入りにくい柿や栗の下を耕します。エンジンを動かすときは、まずラジエターにお湯を入れ(この作業をしないと絶対かからない)、次に手動でエンジンを回し、始動にこぎつけます。前近代的で扱いにくいのですが、何年も放置していたにもかかわらず、壊れない優れものです。多くの基盤から出来ているコンピュータ仕様の機械とは違い長持ちするのかもしれません。
           令和4年4月11日  記



                竹山と筍
        

 私が農業を始めたとき、竹山は竹が林立してとても入れる状態ではありませんでした。何百本も切り、上記の写真(向かって左)のようにしました。その結果、少し頭を出した筍(向かって左)も見付けられるようになりました。
              令和4年4月6日  記