言葉あれこれ

              「雪」について
       
 松尾芭蕉は『鹿島紀行』で「筑波山むかふに高く、二峰並び立り。かの唐土に双剣のみねありと聞えしは、廬山の一隅なり。
   雪は申さず まづむらさきの つくば哉
と詠しは、我門人嵐雪が句なり」と記している。門人、服部嵐雪が「雪をいただいている筑波山は言うまでもない。深緑も素晴らしい」と俳句に詠っているのを載せている。昨日の雪は、まさにその様子を描き出している。雪が降る度に、この俳句を思い出す。
 芭蕉は、さらに「和歌なくば有べからず、句なくば過べからず」と筑波山の姿を見たら、和歌を作らないことはあり得ない、俳句を詠まないで過ぎ去ってはならないと書いている。
            令和4年1月7日 記 


     「雪と俳句」について

松尾芭蕉                 
  馬をさへながむる雪の朝哉
服部嵐雪(はっとりらんせつ)      
  この下にかくねむるらん雪仏
小林一茶
  雪とけて村いっぱいの子どもかな 
  これがまあ終(つひ)の栖(すみか)か雪五尺
  こころから信濃の雪に降られけり
正岡子規       
  いくたびも雪の深さをたずねけり
  障子あけよ上野の雪を一目見ん
中村草田男(なかむらくさたお)
  雪や明治は遠くなりにけり
  この日雪一教師をも包み降る
飯田蛇笏(いいだだこつ)        
  ふるさとの雪に我ある大爐(たいろ)かな
山口青邨(やまぐちせいそん)
  外套の裏は緋なりき明治の雪
  みちのくの雪降る町の夜鷹蕎麦(よたかそば)
高野素十(たかのすじゅう)       
  雪明かり一切経を蔵したる

 多くの俳人が雪を俳句に詠んでいる。雪が降ると現代社会では色々な障壁が起きるが、趣を感じるのは私一人ばかりではないだろう。あの情景は人の心を揺さ振る。
          令和4年1月6日 記 


         「箱根路」について
 
 箱根駅伝の号砲が今年も鳴った。箱根に向かう道筋の闘いを毎年見てしまうのは、襷をつなぐために必死で走る姿に感動するからであろう。毎年数々のドラマが展開されている。
 ところで、鎌倉幕府の三代将軍源実朝は、幼くして作歌に親しみ藤原定家の指導も受けていた。その歌に「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」がある。権謀術数のなか甥の公暁に暗殺(1219年)されてから、800年が経っている。
 そのような箱根路を大学生が走り、多くの人たちが声援を送っている。戦も暗殺もない平和な時代だからこそ、駅伝を楽しめることを忘れてはならない。世界に目を向けると、多くの対立と争いが激化している。日本は70年以上も平和を享受しているが、それは努力なしに未来永劫続くものではない。平和は一人一人の心による。
           令和4年1月5日 記 


           「泰斗(たいと)」について
      
 昨日の讀賣新聞に「科学史・科学哲学の泰斗、村上陽一郎氏は」と書いてあった。「泰斗」とは、「ある分野における権威者」という意である。
 その中で彼は、「日本で今回のワクチン接種を巡り、まず医療従事者、次に高齢者、その次に基礎疾患を持つ人という具合に優先順位が設けられたことに対して、選別だという批判がありました。常に皆が横並びでいなければいけないという感覚は、わたしには気になります」とあった。確かにそうである。全ての人が同じであるという考えは、不平等と同じだ。弱い立場の人には厚く、助けを求めている人には援助の手を差し伸べるのが世の姿ではないのか。「泰斗」といわれる人は、大所高所から世の中を見詰めているのだと思った。
          令和3年12月27日 記 


           「太刀筋はまっすぐで」について
      
 「時に泣き笑いの混ざるインタビューは、大阪人のキャラクターゆえか。カラッとしてはいるが、決して冷たくはない。太刀筋はまっすぐで、このテーマにあって爽快ですらある」
 上記の文章は、ある作品の評の一部分である。驚いたのは「太刀筋はまっすぐで」の表現である。この文章を書いた人は剣道をしているようには感じられないのに、なぜ「太刀筋はまっすぐで」と表現したのであろうか。言葉上の理解だろうが、太刀筋はまっすぐであることが正しいと理解している。
 水田先生から、「常に相手に正対してどん真ん中を打つこと」と言われている。それに通ずる言葉が「太刀筋はまっすぐで」である。そのような言葉を文章の中で見付けたことに、不思議な感じがした。大切なことは、言葉としても生きているのである。
          令和3年12月24日 記 


           「山眠る」について
      
 「山眠る」は冬の季語である。木々が葉を落とした冬の山の静まり返った様子を表わしている。ちなみに、春は「山笑う」、夏は「山滴る」、秋は「山粧う」である。
  山眠る中に貴船の鳥居かな  高浜虚子
          令和3年12月21日 記 


           「漱石」について
      
 中国西晋、孫楚(そんそ)は「石に枕し流れに漱(くちすす)ぐ」と言うべきところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言ってしまった。誤りを指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは耳を洗うためだ」と言ってごまかした。ゆえに、「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」は、頑固者とか自分の非を認めない者とかという意味である。夏目漱石の「漱石」は、この故事に由来する。
          令和3年12月17日 記 


       「刀に関した言葉」(相槌を打つ)

 
「相槌を打つ」とは、「相手の話に調子を合わせて受け答えをする」という意味である。これは、作刀の際に、師と弟子が呼吸を合わせて槌を打つことから来ている。
 能「小鍛治(こかじ)」は、刀匠小鍛治宗近(こかじむねちか)が一条天皇(980年~1011年)から刀を打つように命じられるが、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないため、氏神の稲荷明神に助けを求めて参詣すると、不思議な少年(稲荷明神の精霊)が現われて相槌を務め見事に刀を作り上げるという一連の出来事を演ずるものである。
 ちなみに、小鍛治宗近は天下五剣の一つ「国宝 三日月宗近」の作者である。
              
         能「小鍛治」に使用する面「小飛出(ことびで)」
                (山崎作)
           令和3年12月16日 記
         


           「桃栗三年柿八年」について
            
 「桃栗三年柿八年」とは、芽が出て実がなるまでに、桃と栗は三年、柿は八年かかるということ。また、何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だというたとえ。
 しかし、現在は果樹の苗木は接ぎ木、実生(みしょう)のものとは実を付ける期間が違う。柿は3年目で実を付け4年目で本格的になり出す。だから「柿八年」とは異にする。時代とともに、このようなことも変わっていく。ただ、「何事も成し遂げるまでには相応の年月が必要だ」ということは変わらない。一朝一夕には成就しないことをこのようなことからも学ぶことが出来る。
 ところで、 「桃栗三年柿八年」の後には、「柚子の大馬鹿十八年」や 「梅は酸いとて十三年」などがあるが、地域によって様々らしい。
            令和3年12月14日 記  


           「初心忘るべからず」について
            
 世阿弥は「初心忘るべからず 時々の初心忘るべからず 老後の初心忘るべからず」と語り、段階ごとに経験する芸の未熟さを認識し克服するように戒めている。私は、それを剣道においては、常に基本に立ち返れということだと考えている。年齢とともに劣っていく気力、体力を基本に戻ることによって克服していく。年代に応じた初心があることの大切さがここにある。
 先日、水田先生から「地稽古に終始すると、打った打たれたの歩合の稽古になる。基本の稽古を大切にしたい」との指導があった。水田道場では、必ず基本の稽古を30分ほどする。改めて自分がいかにいい加減なものを身に付けてきたか、突き付けられる時間だ。「半年の鍛錬には半年の効果あり、一年の修行には一年の進境あり、怠らず勉(はげ)むれば必ずこれに相当したる鍛錬の効を収むるを得べし」と高野佐三郎は『剣道』の中で述べている。この言葉を信じ今日も基本の稽古に励む。
            令和3年12月13日 記  


           「離見の見」について
            
 世阿弥は『花鏡』で、「舞に、目前心後といふことあり。目を前に見て、心を後ろに置けとなり。(中略)見所より見る所の風姿は、わが離見なり。しかれば、わが眼の見るところは、我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見るところは、すなはち見所同心の見なり。その時は、わが姿を見得するなり。」と述べ、後ろ姿を見なければ芸の質は認識できないとし、「離見の見」の重要性を説いている。客観的に己の芸を見詰め高めようとする姿勢は、「能」に限らず剣道修行上も重要な課題である。自分だけの修行では陥穽に陥り易い、剣の本道を歩く指導者の必要性を感ずるのは私だけではないだろう。
            令和3年12月6日 記  


           「木守り」について
            
 木守りとは、「来年もよく実るようにと、木に一つ二つ取り残しておく果実。柿や柚子?(ゆず)?などでする」ということ。そのほかにも旅人の喉を潤すため、鳥の食料にするために残すなどの意味合いがあるらしい。
 この写真は、今年の木守りの柿である。品種は「富有」。以前は剪定を行わなかったため小さな柿しかならなかったが、太い枝を切り肥料を与え適切に剪定したため、大きな実を付けるようになった。太い枝を切り落としたため5年間ほど実を付けなくなったが、3年前ぐらいから300グラム以上の実を誇らしげにたくさん下げるようになった。
            令和3年12月2日 記  


         「啐啄同時(そったくどうじ)」について

 鳥の雛が卵から出ようと鳴く声と母鳥が外から殻をつつくのが同時であるという意から、またとない好機や学ぼうとする者と教え導く者の息が合って相通じること。
 先日、水田道場の林先生と稽古をした折、初太刀の面打ち、打突部位は捉えられなかったが、相手の中心を割り乗ることが出来た。「今の打ちは良かった」と自分でも納得できた技であった。
 稽古後の指導で、水田先生からも「あの打ちは良かった」と言われた。先生は常々、「打突部位を捉えられればそれにこしたことはないが、中心を攻めしっかり打ち切ることが大事だ」と言われる。そのことは、今日の一本なのかと確認できた技であった。「啐啄同時」とは、このようなことなんだろうとの印象を強くした。
          令和3年11月29日 記  


         「銀杏」について

 「金色の小さき鳥の形して いてふ散るなり夕日の岡に」
与謝野晶子の短歌である。「いてふ」は、「銀杏」のこと。 この時季、あちらこちらで見かける情景である。銀杏の葉が散るその一瞬を見事に切り取った歌だ。
 つくば市の銀杏並木が実に美しい。しかし、様々な理由であちらこちらの並木が切られている。もちろん銀杏だけではないが。植えた当初は小さくても、やがて大木に成り種々の問題が惹起(じゃっき)するのだろう。唐木順三が「無用の用」を提唱して久しい。効率や財政だけを優先すると、何かギスギスとした世の中になってしまう。
 与謝野晶子の歌を思い出す銀杏並木を、許す範囲で残してもらいたいものだ。

         
 令和3年11月23日 記  


     「死棋(しき)腹中に勝着(しょうちゃく)あり」について

 「現状では負けそうな囲碁であるが、勝てそうな手が頭に浮かんでいる。という意味から、絶体絶命と思われる窮地においても、形勢を逆転する好機があるものである」ということ。この言葉はしっかり肝に銘じたい。窮地に陥ってこそ人の真価が問われる。マイナスをプラスに変えていく時、この言葉が重みを増していく。
           令和3年11月18日 記  


            「鬼畜」について

  「鬼畜」という映画を30数年前に見たことがある。子殺しをテーマにした内容で、緒方拳が主人公であった。「鬼畜」とは「残酷で無慈悲な行いをする者」という意である。
 昨今、まさに「鬼畜」というべき犯罪が実に多い。幼子に熱湯をかける、食事を与えない、暴力を振るうなどなど。考えられない所業である。一体日本はどうなっているのだろうか。もちろん、ほとんどの人が子どもをしっかり育てていることは間違いないだろうが、悲しく悲惨な事件には憤りを感ずる。動物は自分の子どもを一生懸命に育て自立させていく。「人間においてをや」ではないのか。子どもは国の宝、社会全体で見守っていかなければならない。
           令和3年11月9日 記  


            「鎌倉や」について

  今日の讀賣新聞「編集手帳」に下記の歌(与謝野晶子)が掲載されてあった。
「鎌倉やみ仏なれど釈迦牟尼(しゃかむに)は美男におわす夏木立かな」
 与謝野晶子は日露戦争の最中に『君死にたまふことなかれ』を発表した。家には、「国賊」「非国民」と石が投げ込まれたという。国民が総じて戦争に向かっている時に、堂々と戦争反対と言えたことに敬服する。『源氏物語』の研究、短歌の作成、妻として母としての生き様、その全てが素晴らしい。
 我々がしっかり政治を注視していないと戦争への道を歩んでしまう。それでなくても日本の周りはきな臭い。何かあれば、与謝野晶子のように決然と反対と言える人間でありたい。国のためなどという美名に踊らされてはならない。戦争ほど人間として愚かな行為はない。平和であればこそ、鎌倉の大仏や与謝野晶子の短歌を楽しむことが出来るのである。
           令和3年11月6日 記  


        「かそけき音」について

  「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
平安時代の歌人、藤原敏行の歌である。時の移ろいをわずかな季節の変化から感じ取る。自然とともに生きてきた日本人の感性が、この歌にはある。日本人は、太古から自然に畏敬の念を抱いて生きてきたのである。
 しかし、地球の温暖化に伴い季節感が薄れているのも事実。四季がはっきりしていて自然の営みを感じていたのに、昨今は冬の次は夏、夏の次は冬などと感じてしまうことも度々である。COP26がイギリスで開催されているが、実効性のあるものになることを期待している。欲望追求の帰結がこの温暖化だとしたら、我々の生活を早急に見直さなければならない。そして、「かそけき音」をいつまでも楽しめる日本にしておきたいものだ。 
         令和3年11月5日 記  


         「四時の序、功を成す者は去る」について
 
 「季節は春夏秋冬を巡っていく、そのように世に位人臣を極めたものは次の世代に譲るために地位を辞すべきである」という意である。
 今回の衆議院選挙で考えてみるとどうだろう。いつまでも権力にしがみついて老醜をさらしている輩が何と多いことか。あまつさえ、政治家ではなく、稼業として政治屋に成り下がっているものも多くいる。
 我々がもっと賢明になり、国のために働かない政治家には退いてもらうほかない。
            令和3年11月2日 記  


         「アドバンテージ」について

 プロ野球の両リーグの優勝チームが決まり、この後、クライマックスシリーズ、ファイナルステージとなる。
 さて、クライマックスシリーズだが、いつも疑問に思っていることがある。リーグ2位と3位のチームが戦うのであるが、そのアドバンテージは「1」だ。長いペナントレースを戦ったその結果がそれでは、選手はやりきれないだろう。今年のセリーグの2位阪神と3位巨人の差は11ゲームもある。それなのにアドバンテージはわずかに「1」、これではクライマックスシリーズ行う価値すらない。せいぜい3ゲームの差ぐらいで開催されるなら理解もできるが、基準を見直すべきだろう。もし、巨人が勝って次のステージに進むとなったら、ちゃんちゃらおかしい。
 大差があった場合は、クライマックスシリーズを行わないのもアドバンテージではないのか。頑張った者たちが適切に評価される社会のシステムであってほしい。野球の一場面からも社会の矛盾が見えてくる。
            令和3年10月28日 記  


         「世は定めなきこそいみじけれ」について

 これは『徒然草7段』の冒頭の部分である。「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ」となっている。人間は永遠の命をもつものではなく、限りある命を生きているからこそ良いのだとする。
 今年の8月19日に3人目の孫が生まれ、9月6日に義母が亡くなった。まさに、我々は生と死の狭間に生きていることを考えさせられた事象であった。10月23日に49日の法要と納骨を済ませ一段落ついたが、心の隙間を埋めるのには時間が必要だ。
 「世は定めなきこそいみじけれ」吉田兼好のこの言葉がいつも脳裏にある。西行法師もあだし野の地で
 「誰とても とまるべきかは あだし野の 草の葉ごとに すがる白露」
と人生の無常を詠っている。
            令和3年10月26日 記  


         「梅根性と柿根性」について

 「梅根性」とは「梅はなかなか酸味を失わないところから、しつこくて、変わらない性質」のこと。「柿根性」とは、「渋い柿がすぐ甘くなるような、変わりやすい性質。融通のきく性質」のこと。これは先日の讀賣新聞「編集手帳」に掲載されていた内容である。梅も柿も作っている果樹農家としては、見逃せないことがらであった。
 自分はどちらの根性だろうかと、考えたがなかなか結論が出ない。柿好きな自分としては「柿根性」と言いたいところではあるが、客観的に見る第三者はどのように判断するのであろうか。
            令和3年9月5日 記  


         「草木塔(そうもくとう)」について

 山形県飯豊町中津川地区に「草木塔」がある。草を刈って山の恵みを受ける生活から生まれた自然に感謝する対象としての存在が、「草木塔」である。山の草を刈ることによって、山菜や木の実を得られ、他の生き物の生活も支えられる。そうして里山の景観を守ってきたのである。しかし、全国各地でそれが瓦解している。山は荒れ放題、田畑は放棄されている。中津川地区では、まだ昔ながらの景観が保たれている。その中心に存在するのが、「草木塔」という小さな石碑である。
 その中津川地区で、スゲを材料に笠を作っている人たちがいる。以前は自分たちが使うために作っていたそうだが、現在は山形市で行われる花笠音頭の祭りにほとんど使用されるそうだ。夏の暑い時季に刈り取り、干し、精選し、編み込む。昔ながらの手作業だ。材料のスゲは、使われなくなった田圃を利用し植栽されている。これもまた、「草木塔」への信仰の一面のような気がする。
 今、私は農業に従事しているが、費用対効果を考えたら、とても出来ることではない。しかし、周りを見回すと放棄された田畑が荒れ放題になっている。私が止めては、さらに拍車をかけてしまうと頑張っている。最後の牙城を守るんだと意気込んでいるが、それもあと何年できるか疑問だ。私の地区にも「草木塔」のような精神的支柱が必要だ、いや全国各地かもしれない。
            令和3年9月4日 記  


         「命数(めいすう)」について

 「命数」とは「命の長さ、天命、寿命」のことであり、「天から授けられた運命、宿命」という意味もある。「命数を使い果たす」とか「命数が尽きる」などと使用する。
 初めてこの漢字を見たとき、「はて、なんて読むのかな」と頭をひねってしまった。調べてみたら、上記のようなことであった。世の中には知らないことが数限りなくある。
 『論語』に「死して後(のち)已(や)む、亦(また)遠からずや」とあるように、死ぬまで勉強は続く。肝に銘じたい。
           令和3年9月3日 記  


         「怒髪天を衝く(どはつてんをつく)」について

 「怒髪天を衝く」とは「激しい怒りのこと」である。
 さて、東京都の若い世代へのワクチン接種の状況を知って、まさに怒髪天を衝く形相になってしまった。東京の人口は1300万人を越えている。それなのに先日接種できたのはわずか300人、しかも何時間も並んだあげく抽選だとは開いた口が塞がらない。
 小池都知事はパホーマンスだけ、若い世代へのワクチン接種が鍵だと言っているわりには、本気でやる気が無い。あのような人を長に抱いている都民は不幸だ。その人となりを見極めて選挙に臨みたいものだ。
          令和3年8月30日 記  


         「右顧左眄(うこさべん)」について

 以前、安部前首相が「トランプ次期大統領の言葉に右顧左眄(うこさべん)することなく・・・」と答弁していた。「右顧左眄」とは、右往左往すること。
 政府の感染対策も左顧右眄することなく、しっかりやってもらいたい。
          令和3年8月24日 記  


         「丁々発止(ちょうちょうはっし)」について

 「丁々発止」とは、「激しく議論し合うさま」のことを言う。
 ところで、菅総理はこれができないらしい。会見に臨む記者がこぼしていた。事前に提出した質問には答えるが、追加の質問は許されないとのこと。これでは、総理の言葉が国民には伝わらない。
 横浜市長選挙では自民党が敗北、早速衆議院選挙では勝てないので首をすげ替えようとの話もあるようである。日本をどのように導くのかという視点ではなく、選挙に勝てる勝てないで判断する輩(やから)が横行するのが政治の世界なのか。まさに魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)している。
          令和3年8月23日 記 


         「馬齢(ばれい)を重ねる」について

 「馬齢を重ねる」は自分を謙遜して使う言葉で、他人には使用しない。なすこともなく無駄に人生を過ごしたという意で、上司などに使ったら顰蹙(ひんしゅく)ものである。馬を戦闘や農耕に使用したので、「馬」が出てくる諺や故事成語も多い。
  1 馬が合う  2 尻馬に乗る  3 馬の耳に念仏  4 馬耳東風
  5 老馬道を知る  6人間万事塞翁(さいおう)が馬
 故事成語の中に「泣いて馬謖(はしょく)を斬る」がある。この「馬謖」は人名なので動物の馬とは違うが、ここにも「馬」の文字が使われている。諸葛孔明(しょかつこうめい)が、命令に背いて敗戦した大切な部下の馬謖を泣きながら斬った故事から、規律を守るためには親しい者でも処罰するという意である。為政者には、この厳しさが必要である。「馬」という文字を見ると、この「泣いて馬謖を斬る」をいつも思い出す。
          令和3年8月21日 記 


         「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」について
 

  「泣いて馬謖を斬る」とは、「諸葛孔明(しょかつこうめい)が、命令に背いて敗戦した大切な部下の馬謖を泣きながら斬った故事から、規則を守るためには私情をはさまず処分する」という意である。日本ハムの中田選手が暴力事件を起こし謹慎中である。果たして栗山監督は、この故事にならった処分ができるであろうか。 
           令和3年8月20日 記 
       



        「刮目(かつもく)」について

 「刮目」とは、目をこすってよく見るという意。「士別れて三日なれば、即ち当(まさ)に刮目して相(あい)待つべし」という文がある。立派な男子は、三日間会わないでいると見違えるほど豹変しているから、目をこすって見なければならない、という内容である。
 今日の大谷は、圧巻だった。40号ホームランと8勝目、まさに「刮目して見るべし」である。
           令和3年8月19日 記 


        「 鼎(かなえ)の軽重(けいちょう)を問う」について

 「鼎の軽重を問う」とは、「統治者を軽んじてこれを滅ぼし、代わって天下を取ろうとすること。転じて、その人の実力を疑って、地位をくつがえし奪おうとすること。また、その人の価値、能力を疑うこと」である。
  「軽重」は「けいちょう」であり、「けいじゅう」ではない。しかし、多くの辞書で「けいじゅう」も容認している。これは、慣用読みでないかと思われる。慣用読みとは、正式な読み方以外によく用いられる読み方のことである。「重複」が本来「ちょうふく」なのに、「じゅうふく」とも読まれるようになってしまったことなども例として挙げられる。言葉は確かに時代とともに変化するが、安易に容認することは徒に混乱を招くだけである。そのうち「的を得る」が正しく、「的を射る」は間違いであるなどと記載されるのでないかと危惧している。 
 昨日、13都道府県に緊急事態宣言が発令された。一向に静まらない感染に策も手詰まり感がある。しかし、為政者は難関を打破しなければならない。まさに、「鼎の軽重を問う」事態だ。

        令和3年8月18日 記 



        「隗(かい)より始めよ」について

 「隗より始めよ」とは、「大事業などの遠大な計画は手近なところから行うとよい」あるいは、「物事に挑戦するに当たっては最初に言い出した者がまずは取り組むべきだ」との意である。
 コロナ禍で苦しめられている中、一部の政治家の横暴が目に付く。国民には自重を強いていながら、やれパーティーだ会食だと枚挙に暇がない。まさに「隗より始めよ」ではないのか。猛省を促したい。

        令和3年8月17日 記 



        「解説」について

  「解説」とは、「物事の要点・意味などをわかりやすく説明すること」である。解説者とは、それをする人になる。
 ところで、東京オリンピック女子マラソンの解説者は増田明美であった。柔らかな口調に以前は好感をもっていたが、このところの解説はプライベートなことに終始してレースから外れることが多かった。特に今回の解説はひどかった。レースの駆け引き、水分補給、選手の心の有り様など経験者でなければ分からないことを解説するのが基本ではないのか。一生懸命なのは理解できるが、基本から逸脱していては放映を台無しにしてしまう。
 

        令和3年8月16日 記 



        「圧巻(あっかん)」について

 「圧巻」とは、科挙(中国の官吏登用試験)で最も素晴らしい答案を一番上に置いたことに由来する故事成語である。最も優れているものや部分を表わす。
 ところで、水田先生は「審査で10対0などはあり得ない、6対4いや5.5対4.5ぐらいでいい」とお話しする。確かに、相手には打たせず自分だけいいところを打ってやろうとすると、打ち急いだり体が崩れたりしてしまう。相手を十分認め、その上で隙は絶対に許さないぞという姿勢が大切かもしれない。圧巻の打ちを出せるに越したことはないが、相手にも打ち込む余地を残すことを考えなければならない 。
 

        令和3年8月6日 記 



          「同音異義語(どうおんいぎご)」について
 
 日本語は音節が少ないため、同じ音で意味の違う語がたくさんある。「かんしん」と発音する熟語を列記してみると、「関心・感心・歓心・寒心・奸臣」などが挙げられる。それぞれの意味を理解し、使い分けをしなくてはならない。日本語の難しさの要因の一つである。
 あわせて考えたいのが、同訓異字(どうくんいじ)である。「収める・納める・治める・納める」などが挙げられる。日本語は難しい。外国人にとってはなおさらだろう。
          令和3年8月5日  記


          「膠(にかわ)」について
              
 膠は、古くから使用され、現在でも日本画の制作においては、画面と絵具を接着するものとして重要な素材である。 原料は動物の骨、皮、腸、腱であり、それらを煮出し、コラーゲンという繊維質の高タンパク排出液を濃縮し、固め、乾燥させて造られる。
 能面を作成するときに使用するのが膠である。カチカチに固まっているものをお湯に溶かして使う。一時、生産を停止していたが、再開されたので安堵した。もし、これが無くなってしまうと能面を作ることが出来ない。伝統を守るには多くの力が必要だ。
         令和3年8月4日 記 


      「諦める」について

 五木寛之はその著『他力』で、「諦める、というのは,物事を消極的に後ろ向きに受け止めることではなく、言葉の本来の意味【明からに究める】勇気をもって現実を直視するということでしょう。見たくない現実を、認めたくない事実をリアルな目で直視する。これが諦めるということです。まず,きちんと認める、確認するという、その作業から出発しなければならないということです」と述べている。
 先日の侍ジャパンの試合アメリカ戦は、息詰まる展開の中でサヨナラ勝ちを収めた。誰もが諦めなかった結果だと思う。仲間を信じ絶対に勝つんだとする強い意志が見えた。まさに、「諦めて」「諦めなかった」帰結である。
       令和3年8月3日 記 


      「穎悟(えいご)」について

 「穎悟」とは、「才知が優れていて悟りが早いこと」という意である。人間的に優れている人は、このように才知あふれても、決して自慢したり相手を見下りしたりはしない。「韜晦(とうかい)」という言葉があるが、まさにその域である。常に謙虚で誠実でありたいものである。
 ところで、卓球の準決勝で伊藤美誠を破った中国の選手は、「孫穎莎」である。名前の中に「穎」の文字が使用されている。そんなことを考えながら試合を観ていた。
     韜晦・・・自分の才能・地位などをつつみ隠すこと
       令和3年7月30日 記 


      「粟」か「栗」かについて

 寺田寅彦の俳句に「 粟一粒秋三界を蔵しけり」がある。実はこの俳句、「栗一粒秋三界を蔵しけり」として流布されている。昭和2年に発表されたときは「粟」だったが、昭和12年、岩波書店が発刊した本から間違って「栗」になってしまったらしい。確かに「粟」と「栗」はよく似ている。しかし、だからといって間違ったままでいいということではない。寺田寅彦の秋が、確かに一粒の「粟」の中に詰まっていたのであろう。
 「島原の子守歌」の一節に「芋飯(といもめし)ゃ粟(あわ)ン飯 芋飯ゃ粟ン飯 黄金飯(こがねめし)ばよ しょうかいな 」とある。貧しくて米を食べられなかった歴史的な背景がそこにはある。ある時、ユーチューブでその歌を聴いていたら、藤圭子が「粟」を「栗」と歌っていた。
 五穀というと現在、「米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)」を指している(時代により多少変化あり)。五穀豊穣を祈念する祭りや行事が多く行われている。それだけ人間の繁栄には欠かせない物なのだ。が、粟・稗などは今となっては遠い存在だ。
 「粟」が「栗」になってしまったのは、五穀豊穣という言葉の意味合いが遠のいていった現実があるのかもしれない。
       令和3年7月28日 記 


        「土下座」について
 
 「土下座」とは、「地面や床にひざまずいて謝罪の気持を表わすこと」という意である。内村航平が鉄棒から落下して、「土下座して謝りたい」と言っていた。私たちは、彼から今までどれほどの感動、喜び、勇気をもらったか計り知れない。日本の体操界を引っ張って久しい。襤褸(らんる)の心身に鞭打ち頑張る姿は、求道者のようであった。今回の若手の頑張りも、彼の存在があったればこそである。彼に謝罪の言葉を言わせてはならない。今までの活躍に心からの温かい拍手を送りたい。
   襤褸・・・ぼろきれ 
         令和3年7月26日 記 


        「品格」について
 
 「品格」とは、「その人やその物に感じられる気高さや上品さ」という意である。『国家の品格』という作品もあるように、日本人にとっては重要な言葉である。
 ところで,横綱白鵬の相撲はどうであろうか。何年か前から、張り手、かち上げ(サポーターをカチカチにしてある)を繰り出し、番付の下の者をいたぶっている。先日の土曜日の正代との一番は最低で、張り手ではなくビンタであった。あれでは暴力である。相撲以前の問題ではないか。横綱と言えば相撲界では最高峰、相撲ばかりではなく人格的にも尊敬されるべき存在でなくてはならない。彼にとって大切なのは勝つこと賞金を得ること、そこには品格の一字もない。以前は大鵬の再来かと思った時期もあるが、今は最低の横綱に成り下がっている。
 休場ばかり、勝つためにはどんな相撲もする、反省はしない、思い上がった態度、「品格」とは対極にある。そのような横綱に大相撲協会や横綱審議会は、一体どんな指導をしているのだろうか。出来なければそのような組織そのものの存在価値すらない。
         令和3年7月19日 記 


      「塗炭(とたん)の苦しみ」について
 
  「塗炭の苦しみ」とは、「泥水や炭火の中に落とされたかのような苦しい境遇」との意。一連の西村大臣の発言に対して、ある衆議院議員が発した言葉である。飲食業の窮状を代弁した言葉だ。
 ところで、コロナ禍で生活が一変したが、これを契機に欲しいものを欲しいだけ消費し捨てていく生活を変えたほうがいいだろう。また、食べられるものも処分するような生活も考え直さなければならない。過日讀賣新聞に経済学者が、もはや日本は先進国ではなく貧しい国になりつつあると書いていた。だから、多くの外国人が物価が安い日本に来たともあった。
 いつまでも過去の幻想に囚われていると、多くの国民が「塗炭の苦しみ」を味わうことにならないだろうか。
         令和3年7月15日 記 


      「朝令暮改」について
 
 「朝令暮改」とは、法令や命令が次々に変わって定まらないことである。今回の西村大臣が酒取引停止要請を撤回したのは、まさに「朝令暮改」。それにしても、この窮地に酒の卸問屋に酒類提供停止に応じない飲食店への取引停止要請、金融機関からの圧力とは、話にならない。権力をもったものがやることは、弱い者をいじめることではなく支えることではないのか。ワクチンの開発や接種が先決で、今回のことはまさに暴挙だった。アベノマスクといい政治家のやることは理解できないし不信感がつのる。
         令和3年7月14日 記 


        「断腸の思い」について    

 オリンピックの無観客に対して、「断腸の思い」との政治家の発言があった。
 この言葉は、次のような故事に由来する。家来が子猿を捕まえ船に乗せた。母猿がこれを悲しんで岸を追い、ついに船に飛び移ったが、そのまま絶命してしまった。その母猿の腹を割いてみると、腸がずたずたに断ち切れていた。故に、「断腸の思い」とは、耐えがたい悲しみを表わしている。
 李白の詩にあるように、中国の猿はもの悲しい動物として表現される。

    早(つと)に白帝城を発(はっ)す
                唐  李白

 朝(あした)に辞す白帝彩雲(はくていさいうん)の間
 千里の江陵(こうりょう)一日にして還る
 両岸の猿声(えんえい)啼いて住(や)まざるに
 軽舟已(すで)に過ぐ万重の山
          
【口語訳】
 朝早く朝焼けの空に雲が美しくたなびく中、白帝城を出発し、千里先の江陵まで一日で帰っていく。両岸から聞こえる寂しげな猿の声がなりやまぬうちに、私の小さな舟はもう幾万にも重なった山の間を通り過ぎてゆく。
         令和3年7月9日 記 



      「唾棄(だき)」について

 「唾棄」とは、唾を吐きすてること。
 ところで、日本人が多くメジャーリーグに入団するようになり、試合を見る機会が増えたが、耐えられないのが選手がグランドに「唾棄する」ことである。グランドは、自分を磨く道場ではないのか、唾を吐く場所ではあるまい。その行為を見ると嫌な気分になる。プレーは一流でも、その行為は二流だ。我々が道場に唾を吐くことがあるだろうか。
 巨人のウィーラーが打席でよく唾を吐く。打率が良くても最低だ。しかも体中に刺青をしているのも見るに堪えない。以前、「巨人軍は紳士たれ」との不文律があったが、それはどこに行ったのやら。監督とは、そのようなことも管理するのが仕事ではないのか。文化が違うでは済まされない。多くの子どもたちがあれでもいいと思ってしまう。スターであればこそ、範を垂れなければならない。
         令和3年7月8日 記 


         再度「間髪を入れず」について    

 ジャーナリストの後藤謙次氏が昨晩の報道ステーションで、今回の都議選に関して「間髪を入れずに会ったということは、小池さんが、将来、何かを狙ってるのでは。」と発言をしていた。「間髪」を「かんはつ」と正しく言っていた。
 それにしても、小池都知事は「さすがの寝業師」、凋落著しいと思われた都民ファーストの会を、入院、退院、選挙最後の日の応援とそつなく行動して、あそこで踏み止まらせた。油断ならない人物だ。
         令和3年7月6日 記 



           粥有十利(しゅうゆうじり)について
           
 「粥有十利」とは、粥には十の功徳があるという意味である。体の色つやが良くなる、気力を増す、長命となる、消化よく栄養となって飢えを消すなどの効能があるとされている。
 夏目漱石が胃潰瘍で大吐血をし人事不省に陥った。回復して病院で出された粥を食べ、「腸(はらわたに)に春滴るや粥の味」と俳句を作っている。
 時折り粥を食べてみるのも体にいいかもしれない。
          令和3年7月5日 記 


           「しかめっ面」について
           
  「しかめっ面」とは、眉のあたりにしわを寄せた、機嫌の悪そうな顔という意味である。その語源は、写真の能面「顰(しかみ)」だといわれている。そういえば、「しかめっ面」を漢字で書くと「顰めっ面」となる。
 「顰」は、以前「獅噛」と書かれていた。獅子が上下の歯列で物をかんだ状態を示す言葉である。「顰」は顔にある全ての筋肉をゆがめて、極端に怒った相貌をしている。なるべくこのような顔にならないように生活したいものである。
 ところで、この能面「顰」は観世流能楽師小島英明氏(重要無形文化財総合指定保持者)に依頼されて、矢来能楽堂(東京神楽坂)の面の写しとして作成したものである。なかなか承諾が得られず、同じ物を三面作成した経緯がある。
         令和3年6月22日 記 


             般若について
          
 能面「般若」は女性の怨霊を表現する面で、敵愾心の芸術化としては最高の形だといわれている。
 何故「般若」との名称が付いたかには定かではなく、三つの説がある。第一は、能面師般若坊の創作だから。第二は、般若声(般若心経を読経する声)で心機一転する怨霊の面だから。能『葵上』で、小聖(こひじり)に般若心経をもって祈り伏せられる後シテ(「般若」を付けた女性)が、「やらやら恐ろしの般若声」と恨みの心を翻す場面がある。それに由来するという。第三は、「般若」とは梵語の知恵ということで、それからきたとする。
 いずれにせよ、「般若」は女性の嫉妬や怒りを表現している。決して魔除けではない。面菩薩、内般若、ゆめゆめ警戒を怠ってはならない。
         令和3年6月18日 記 


          剃刀

 今日の讀賣新聞「編集手帳」に、理髪店での剃刀の訓練についての記載があった。膝や肘が人の顎や口の周りに似いてるため、暇をみてはそこで剃刀の使い方を練習するそうな。
 ところで、志賀直哉の作品に「剃刀」という短編があるのはご存じか。ある男が、通りすがりに理髪店に入店する。一日の疲れが出て寝入ってしまった男の顔を剃っていた店主が、体調も悪いこともあって少し顔を傷つけてしまう。その瞬間、店主は剃刀が見えなくなるまで深くその男の喉を抉(えぐ)ってしまう。父親との確執が、その背景にある作品だと言われている。なんとも不気味な作品である。
 私は、その作品を読んでから、しばらく理髪店で顔を剃ってもらうのが怖くなった。理髪店でほとんどの時間を寝て過ごす私は、実に無防備だ。
         令和3年6月10日 記 


          副反応

 昨日ワクチンの接種を受けた。昨夜から腕に痛みがあり、今日からは軽い頭痛も加わった。決して堪えられないものではないが、なんとなくすっきりしない。これが「副反応」なんだと妙に納得している。
 コロナが終息して、この言葉が「死語」になればいいかなと感じてはいるが、人類の歴史を考えてみれば、それがいかに無理なことか分かる。人類の歴史は、感染症との戦いだ。一日一日を大切に悔いの残らない生活をしたいものだ。
         令和3年5月29日 記 


       「取り付く暇もない」は誤り

 正しくは「取り付く島もない」である。「島」は頼るところを表す。時々、どちらだったかなと迷う言葉だ。
       令和2年12月28日 記 


         「名誉」は挽回するもの
 
 何か失敗してしまって、それを取り戻した場合は「名誉挽回」となる。ところが、間違って「名誉返上」と言ってしまうことがある。これでは恥の上塗りだ。「汚名返上」と混同しないようにしたい。
         令和2年12月26日 記  


    「師事と私淑(ししゅく)」について
 
 師事は「師として尊敬し、教えを受けること」、私淑は「直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと」である。間違いやすいので、注意が必要だ。
           令和2年12月22日 記  


        「言葉の力」を生かしたドラマについて

 NHKBSプレミアで放映された「京都人の密かな愉しみ」は、2015年1月から「秋」、「夏」、「冬」、「月夜の告白」と回を重ねて「桜散る」で完結した。人間の苦悩、喜び、触れ合い等を京都の四季や行事などを織り交ぜながら丁寧に描いた作品である。最近の言葉を羅列し奇を衒(てら)った浅薄なドラマではなく、言葉の余白を十分に使って心の細やかな動きを表現している。まるで日本画を見るようだ。音楽もピアノ中心の押さえたものになっていて心に染みる。ドラマ作りとは、かくありたいものだ。その後作られた「京都人の密かな愉しみbLue修行中」も実にいい。、録画したものを幾度となく見てしまっている。

          令和2年12月21日 記 



        「一張一弛(いっちょういっし)」について

 水戸藩第9代藩主徳川斉昭は、「一張一弛」の思想で藩校「弘道館」と「偕楽園」を造った。「一張一弛」とは、「弓の弦の張りを強めたりゆるめたりすること。転じて、人に厳しく接したり寛大に接したりすること。また、心を引き締めたりリラックスさせたりすること」という意味だ。
 ところで、来年のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」に徳川斉昭、徳川慶喜、藤田小四郎などが登場する。その活躍を注視したい。また、「弘道館」で指導者として力を発揮した藤田東湖、会沢正志斎なども忘れてはならない。天狗党の武田耕雲斎も記憶に留めたい。幕末期、水戸藩は多くの人材を輩出した。
         
  令和2年12月18日  記


        「玉石混淆(ぎょくせきこんこう)」について

 「玉石混淆」とは、「価値のあるものとないものが入り混じってあること」である。
 世界中にコロナが蔓延して大変な社会になっている。その検査に民間が乗り出し安価で行っているため、依頼が殺到しているらしい。ある医者がその検査について、「玉石混淆は否めない」と発言していた。陰性、陽性にかかわらず保健所への報告義務がない、初期の段階ではウイルスが少ないため陰性になる可能性があるなどの課題があるということだ。
 昔はある地域の風土病で収まっていたものが、グローバル化の波の中で世界に拡散してしまう。恐ろしい世の中だ。このようなウイルスまで輸出するのはやめてもらいたい。その国は反省をしているのだろうか。
         
  令和2年12月17日  記


          「刀に関した言葉(鍔迫り合い)」

 「鍔迫り合い」とは「力に差がなく緊迫した状況で勝負を争うこと」という意味である。普段からよく使われる言葉だ。
 ところで、鍔は斬り合いの際に拳を守る役目をしていた。甲冑師鍔なるものは、素朴で武張ったものばかりである。しかし、平和な時代になるにつれて装飾に主眼が置かれるようになり、素材も鉄から赤銅(しゃくどう)や四分一(しぶいち)なども使われるようになった。
  赤銅・・・銅に金を加えた合金で色あげされ紫黒色をしている
  四分一・・朧銀(ろうぎん)ともいわれ銅と銀の合金
         
         表                  裏
 この鍔は私の持っているもので、向かって左が表、右が裏となる。表は装飾が賑やかで、裏は地味な感じになっている。刀を腰に差したとき、鍔の表が外側にくるように取り付けなければならない。刀を抜き構えたとき、表が拳側にくるのである。鍔は、丸形鉄地で金、銀、赤銅で高彫り象嵌(ぞうがん)がほどこされている。
         令和2年12月16日 記  


        「刀に関した言葉(折り紙付き)」

 「折り紙付き」とは、「絶対に間違いないと保証できること」という意味である。「折り紙」は鑑定書のことで、骨董品などに折り紙が付いて品質が保証されていたのが語源である。もちろろん日本刀も「折り紙」が付けられ、品質が保証された。
 ところで、12月13日の読売新聞茨城版に「折り紙付きで展示されている氏信の刀」の説明書きがある記事が掲載された。土浦藩土屋家の刀を土浦市立博物館で展示しているという内容であった。ここにも「折り紙付き」という言葉が使われている。我々は普段無意識に使う言葉にも、それぞれの語源がある。調べてみるのも面白い。 
         
  令和2年12月15日  記


        「刀に関した言葉(目貫通り)」

 「目貫通り(目抜き通り)」とは、賑やかな通りなどを示す。この「目貫」とは刀の目貫(写真の中央)のことで、柄の柄糸の下にある装飾金具のことを指す。以前は目釘(鍔の右側にある刀身が抜けないようにしている竹製の釘)を覆っていたが、近世になって装飾的に使用されるようになった。「目貫」が精緻美麗で目立つところから、賑やかな通りを「目貫通り(目抜き通り)」と称するようになった。
         

          令和2年12月12日  記


       「刀に関した言葉」(反りが合わない)

 
「反りが合わない」とは、「考え方が違い気心が合わない」という意味である。この「反り」とは、刀の「反り」が語源である。反りが合わなければ、刀は鞘に納まらない。危険である。
 ところで、刀の「反り」とは先端から棟区(むなまち)まで結んだ直線と棟との長さ(最も長いところ)のことである。刀の許可証には必ず記載されてある。
              
           令和2年12月11日 記
         


     「刀に関した言葉」(切羽詰まる)

 刀に関した言葉に「切羽(せっぱ)詰まる」がある。切羽とは、柄と鍔の間、鍔と?(はばき)の間に挿入した二枚の金具(刀の下にある楕円形のもの)のことを指す。これを入れることにより、鍔がカタカタと動かないようになる。そこから、「物事がさしせまって,どうにも切り抜けられなくなること」という意味になった。
        

          令和2年12月9日  記


          「刀に関した言葉」

 平安時代に武士が台頭し徳川幕府の瓦解まで、武士の時代が続いた。その間、倫理観や生活様式などが武士の価値観でつくられていった。その精神的な支柱にあったのが、日本刀である。現在、日本刀に触れているのは一部の愛好家や居合道に携わる者に限られている。しかし、言葉のなかには日本刀に関係するものが多くある。これは、日本刀がいかに身近にあったかを示すものである。

 1 折り紙付き         2 押っ取り刀 
 3 急場しのぎ         4 地金が出る
 5 鎬を削る          6 相槌(あいづち)を打つ
 7 切羽(せっぱ)詰まる    8 太刀打ちできない
 9 反りが合わない      10 伝家の宝刀
11 懐刀           12 抜き打ち
13 目貫通り         14 元の鞘に納まる
15 焼きを入れる       16 鍔(つば)迫り合い
17 焼きが回る        18 諸刃の剣

          令和2年12月8日  記


        「逆鱗(げきりん)に触れる」について

 
以前ニュースで「金正恩の逆鱗に触れて・・・」と流していた。「逆鱗に触れる」とは、「龍の顎(あご)の下の逆さに生えた鱗(うろこ)に触れると、龍が怒ってその人を殺すという故事から、天子や主君を諫めてその怒りを受けること」である。しかし、あの国で金正恩を諫める人はいるのだろうか。そんな人がいればあんな国にはならないか。
       
    令和2年12月5日 記  


         数々の失敗と勘違い
 
1 「蕨」と「ワラビー」
 友達が蕨をあげると言ったのをワラビーと勘違いした。しかも、よく灰汁を抜いているから大丈夫とのこと。なるほどよく調教してあるとのことかとまたまた勘違い。しかし、ワラビーをもらっても、如何ともしがたい。はてさてどうしたものかと悩んでいると、小箱に入った蕨を持ってきた。これにて一件落着。

2 「cancel cruise」と「canal cruise」
 オランダのアムステルダムには網の目のように運河が走っている。観光客向けに多くのクルーズ船が運行している。その中の一隻が、「canal cruise」と掲げていた。それを見て、「あれはキャンセルされた客席があるので割安だ」とさも得意げにまくし立て、早速乗船した。何のことはない「カナル(運河)クルーズ」を「キャンセルクルーズ」と勘違いしただけであった。全く恥ずかしい限りである。それにしてもスペルがよく似ている。

3 「structure」と「stretcher」
 妻が本を読んでいて突然「structure(構築)」を知っているかと聞いてきたので、もちろん知っている、「患者搬送用ベット(stretcher)」だろうと答えたら呵々大笑していた。何しろ病院の待合室での質問だったので、さもありなんというところか。質問も時と場所を考えてしてもらいたいものだ。 
          令和2年12月2日 記 


         「時雨」について
 
  時雨を「合本俳句歳時記」では、次のように解説している。
 「冬の初めころから中ごろにかけ、さっと降ってさっと上がり、時にはしばらく断続的に降り続く雨。山から山へ夕立のように移動しながら降ったり、降ったかと思えば太陽が顔を出し、また降るといった具合の雨のこと」
 ところで、「時雨」がつく言葉を探すと「蝉時雨」「春時雨」「初時雨」「落ち葉時雨」などがある。蝉の声が時雨のようで「蝉時雨」、落ち葉が散る様子が時雨のようで「落ち葉時雨」、これらには日本語の素晴らしさが凝縮されている。
  石に沁む 石工の汗や 蝉時雨    火野草城
  汗を吹く 茶屋の松風 蝉時雨    正岡子規
  初時雨 猿も小蓑を ほしげなり   松尾芭蕉
  旅人と 我名よばれん 初しぐれ   松尾芭蕉
          令和2年11月26日 記 


         「小人数」について
 
 昨日の「羽鳥慎一モーニングショー」で、東京の小池知事がコロナ対策で提案した会食時の「五つの小(こ)」を取り上げていた。「小人数、小一時間程度、小声、小皿、小まめなマスク着用」がそれに当る。それを紹介する折 、「小人数」を「しょうにんずう」と言っていた。これは間違いで正しくは「こにんずう」である。だからこそ「五つの小」なのである。
          令和2年11月21日 記 


         「侃々諤々(かんかんがくがく)」について
 
 昨日のNHK「クローズアップ現代」で登場したお好み焼きチェーンの社長が、「けんけんがくがくと議論をして・・・」と言っていたが 、これは間違いである。おそらく、「侃々諤々(かんかんがくがく)」と言いたかったのだろう。
 「喧々囂々(けんけんごうごう)」と「侃々諤々」が入り交じって、このようになったのであろう。「喧と囂」は口々に大きな声で話すという意味があり、「喧々囂々」は「大勢の人がやかましくしていること」となる。また、「侃と諤」は正しいという意味があり、「侃々諤々」は「正しいと思うことを堂々と主張すること」となる。
 よく聞く間違いである。混同して使用しないように気を付けたいものだ。 
          令和2年9月11日 記 


         「とんでもございません」は誤り

 「とんでもない」を丁寧に言ったつもりだろうが、間違いである。「とんでもない」は形容詞、下記のように分解できる
    とんでもな・・・・語幹(活用しない部分)
    い・・・・・・・・活用語尾(活用する部分)
つまり、「つまらない」「少ない」と同様であり、「とんでも」で切れて、他の品詞が付くことはあり得ない。正しくは、「とんでもないことでございます」となる。それを文法的に説明すると下記のようになる。
    とんでもない・・・形容詞の連体形
    こと・・・・・・・形式名詞
    で・・・・・・・・断定の助動詞「だ」の連用形
    ござい・・・・・・五段活用の動詞「ござる」の連用形のイ音便
    ます・・・・・・・丁寧の助動詞「ます」の終止形 

 この「とんでもございません」には、有名な逸話がある。ミス日本コンクールで優勝した山本富士子が、この言葉を使ったところ、審査員から「そんな言葉はない」と一喝(いっかつ)されたそうだ。当時の審査員の教養には驚く。本日、水谷豊主演の時代劇を見ていたら、彼のセリフの中に「とんでもないことでございます」があった。脚本家の炯眼であろう。
 間違った言葉が、どれほど多く市民権を得るようになってしまったのかと、言葉の伝道師としては切歯扼腕(せっしやくわん)たる感がある。しかし、小生も時として、若者言葉を真似して、「はや」「言ってるし」などと言っている。何ということだ。赤面。 
         令和2年8月29日 記  


       「換骨奪胎(かんこつだったい)」について
 
 換骨奪胎とは、「他人の詩文、また表現や着想などをうまく取り入れて自分のものを作り出すこと」である。換骨奪胎は他の作品を踏襲して自分なりの新しい境地を開くことが本来の意味だが、単なる模倣や盗作のような意味合いでも使用なれるようになってきたらしい。
 短歌の「本歌取り」もこれに類するであろう。その例として
「苦しくも降りくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」 (『万葉集』)
「駒とめて袖うち払ふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」 (藤原定家『新古今集』)
が挙げられる。

        令和2年8月20日 記 



       「蹉跌(さてつ)」について
 
  蹉跌とは「つまずくこと。物事がうまくいかないこと」である。高校時代、石川達三の『青春の蹉跌』を読み、己を見詰めたことがある。青春は「蹉跌」ばかりである。

        令和2年8月19日 記 



       「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」について
 
 熱い吸い物を飲んで火傷をしたのに懲りて、冷たい膾も吹いてさますということ。前の失敗に懲りて必要以上の用心をすることのたとえ。
 私は、ムカデに二回刺されている。ゴム手袋に手を入れたら、その中に潜んでいたムカデに刺されたのである。また、作業用の上着を着たら首のあたりに赤いものが動いたので手で振り払ったら、それがムカデだった。ムカデに刺されると、とにかく痛い。身近にいるので気を付けてもらいたい。
 私はそれ以来、何度も手袋や服を振って着ることにしている。まさに、「羮に懲りて膾を吹く」である。

        令和2年8月18日 記 



         「刀の目釘」について

 先日、映画「武士の献立」を観た。内容も良く興味深く観ることが出来たが、一つだけ気になった場面があった。ある侍が友人を援護するため、刀を研磨して柄に収めたまでは良かったが、最後に「目釘」を入れなかったのである。これでは、刀を振ったとき刀身が飛び出してしまう。細かいことが気になる性格だ。

        令和2年8月8日 記 



         「一段落(いちだんらく)」について

 「一段落」の読み方は「いちだんらく」、「ひとだんらく」は間違いである。物事の一区切りのことを意味する。この熟語も例に漏れず、「ひとだんらく」が浸食しつつある。

 NHK放送文化研究所
 さて、「和語+漢語」の語形である「ひとだんらく」が使われるようになったのはなぜなのでしょう。「一+漢語」の語で「一見識」「一大事」「一転機」「一面識」は「いち○○」と読みます。一方で「一工夫」「一苦労」「一安心」のように「ひと○○」と読む語も多くあります。このように似た構造の語からの類推で「ひと+漢語」(ひとだんらく)の読みが行われるようになったのではないでしょうか。

        令和2年8月6日 記 



         「直向き」について

 「直向き」の読み方はと聞かれたら、咄嗟に「ひたむき」となかなか答えられないかもしれない。
 ところで、能の世界では自分の素顔を「直面(ひためん)」と言って、一つの面だと考えている。だから、能楽師は舞台の上で表情を崩すことがない。「直面」の読み方も「直向き」と同じように「ひた」と読む。

        令和2年7月31日 記 



         「寸暇を惜しまず」は誤り

 「寸暇」とはわずかな時間のこと、「寸暇を惜しまず」では、わずかな時間も大切にしないという意味になってしまう。正しくは、「寸暇を惜しんで」である。「骨身を惜しまず」と混同しないようにしたい。
         令和2年7月30日 記  


         「私淑(ししゅく)」について

 「私淑」とは、会ったことのない人を密かに師と仰ぎ、その言動を模範とすることである。ゆえに、直接指導を受けた場合は、「師事」を使用する。

        令和2年7月20日 記 



         「風樹の嘆」について
 
 「風樹の嘆」とは、子どもが親孝行をしたいときに既に親はいないという嘆きを表わす言葉である。風に吹かれて枝葉を動かざるを得ない状況から来ている。
 昨日の三浦春馬(土浦二中卒業)の訃報には驚愕した。近くの出身ということで注目し期待していただけに残念だ。残された親の気持ちはいかばかりであろうか。何事も順番が大切である。「風樹の嘆」を感ずるまで生き抜く、それが順番である。
         令和2年7月19日 記  


         「上を下への大騒ぎ」が正しい
 
 「上を下への大騒ぎ」は、上にあるべきものが下に、下にあるべきものが上にきてしまうほどの混乱ぶりを表す言葉である。ところが、間違って「上へ下への大騒ぎ」としてしまうことがある。たった一文字ではあるが、とんちんかんな言葉になってしまう。
 ちなみに、「大騒ぎ」は「騒ぎ」という和語が後ろにきているので、「大」は「おお」と読む。ところが、後ろに漢語がきている(この場合は通常「だい」と読む)にも拘わらず、「大騒動」も「おお」と読む。これは慣用的に使われていたためである。ほかにも、「大火事・大御所・大道具・大所帯・大相撲・大地震」などがある。また、「とんちんかん」は刀などを打つ際に出る音が合わないことから来ていて、「ちぐはぐなこと」を意味する。こんなことを考えながら痴呆症を予防している昨今である。 
         令和2年7月18日 記  


     「藤井新棋聖の礼」について

 
昨日、藤井七段が渡辺棋聖を破り、新棋聖になった。我々には想像も出来ないような世界なのだろうが、彼の謙虚な態度と将棋に向き合う真摯な姿勢はよく理解できる。昨日の勝負開始の挨拶では、渡辺棋聖が頭を上げた後、上げていた。相手に対する礼を忘れず、己を厳しく律する姿に好感を覚える。渡辺棋聖が投了すると、藤井七段は将棋盤よりも低く頭(こうべ)を垂れていた。
       令和2年7月17日 記 


     「慚愧(ざんき)の念」について

 
「慚愧の念」とは、「自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じること」である。よく「慚愧の念に耐えない」などと使用する。政治家が自分の言動を恥じて、発することがある。先日もある市長が、今回の豪雨における避難指示の遅れを上記の言葉で謝罪していた。同じような言葉に「忸怩(じくじ)たる思い」がある。
       令和2年7月16日 記 


      半夏生(はんげしょう)

 
 今日は「半夏生」である。

 七十二候の1つ「半夏生」(はんげしょうず)から作られた暦日で、かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。この頃に降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては「半夏水」(はんげみず)とも言う。
 (ウィキペディアより)

 この日に福井では、鯖の丸焼きを食する習わしがあるという。田植えが終わった骨休めらしい。昔は田植えまでの一連の作業は重労働だったから、そのことも頷ける。
 ところで、植物にも「半夏生」がある。下記の写真は天竜寺で撮ったものである。夏の風物詩といった感がある。ちみに細かな粒状のものが花である。
      
        令和2年7月1日 記 


      磨穿鉄硯(ませんてっけん)

 
鉄でできている硯をすり減らして穴をあけるほど勉強するということから、 強い意志をもち続け物事を達成するまで変えないこと、学問にたゆまず励むということ。何事も本人次第だ。昨日初勝利をあげたDNAの坂本選手の座右の銘とのこと。
        令和2年6月26日 記 


      「韜晦(とうかい)」について
 
 「韜晦」とは「自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと」である。
 今朝の讀賣新聞が先日亡くなったジョージ秋山のことを、「容易に心中を見せない韜晦の人でもあった」と記載していた。ジョージ秋山と言えば、『銭ゲバ』『アシュラ』『浮浪雲(はぐれぐも)』などが有名で、内容は哲学的な側面があった。特に『浮浪雲』はほのぼのとした中にも一本正義が貫かれていたが、決して押しつけがましくはなかった。讀賣新聞の編集委員(この記事の作者)は、これらの作品を「人生の指南書」と書いている。劇画を越えて惻々と迫るものもある。力のある人は、どこまでもそれをひけらかすことをしない。
        令和2年6月4日 記 


      「池袋と水落(奈良県明日香村飛鳥)」について
 
 池袋には、あの近辺に大きな池があったから命名されたとの一説がある。湿地帯が広がり、それを埋め立てたらしい。既に戦国時代には、その記載があるというから、かなり時代が遡る。
 先日、NHK「ブラタモリ」で、飛鳥の水落にある斉明天皇の時代に作った水時計を紹介していた。それは『日本書紀』に記載はあったが、その存在が長く分からなかった。1972年民家建築の祭に遺跡が確認されて、その存在が明らかになってきたわけであるから、まだ50年ほどしか経っていない。しかし、「水落」という地名が、それらのことを明らかに伝えている。
 この二つから、地名というのは多くのことを物語っていることが分かる。市町村合併で安易に地名を変更しているが、とても違和感を覚えるものもある。歴史的な背景を無視した変更には警鐘を鳴らしたい。
       令和2年4月20日 記 


      「誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)」について
 
 連日コロナウイルスに着いての報道が為されているが、世の中には言われなき差別を受けている人もいるということだ。医療従事者やその家族に対する偏見、罹患者や回復者に対する排斥と差別。その人達に感謝や支援をすることはあっても、誹謗中傷や偏見は論外である。この感染症には、誰しもが罹患する恐れがある。冷静に考えれば、分かりそうなものである。
       令和2年4月10日 記 


      「子育て」について
 
 子育ては、「乳児はしっかり抱いて肌を離すな、幼児は肌を離して手を離すな、少年は手を離して目を離すな、青年は目を離して心を離すな」と年代ごとに変化していくと言われる。喜びと苦悩が交錯するのが子育てだ。
 先日、ベビーカーはたたんでバスに乗らなければならないが、双子を連れていた母親がたためなかったため、乗車拒否されたとの訴えが報道されていた。双子を抱えてベビーカーをどうしてたたむことが出来るのか、考えれば分かりそうなものである。約束や規則はあるが、柔軟に運用するのが知恵ではないのか。ただ、その母親が差別だと主張したのはいかがなのものか。このような状況で出来なかったんですと訴えれよかったのではないのか。私も双子を育てたので、大変さはよく分かる。
 ところで、以前NHKで乳児を抱えた母親に席を譲ろうとしたら断られたことがないか、という問いかけで始まった番組があった。母親が座ると副交感神経の関係で心拍数が上がり、赤ちゃんが泣き出してしまうということであった。それは、動物が危険を察知した時、赤ちゃんをくわえて安全な所に移動させるが、赤ちゃんは生命保存のため大人しくなるのと同じだということだった。新生児微笑(赤ちゃんがにっこり笑うこと)も相手に可愛らしいと思わせて、自分を守っていると聞いたことがある。生まれた時から、自分を守る術を備えているのである。生命誕生から35億年、一度も途切れなかった命の不思議さを考えさせられた。昨日、二人目の孫が出来た。また、命が繋がった。大変な年に生まれたが、健康に育ってほしい。
       令和2年4月9日 記 


    「怒り心頭に発する」が正しく、「怒り心頭に達する」ではない

 「心頭」は、「心」という意味で「心と頭」ではない。だから、怒りが心からわいてくるという意味になる。コロナウイルスは世界中に広まり、多くの人が亡くなっている。このウイルスの元凶である中国はそれを糊塗(こと)するため、各国に医療スタッフを送ったり医療品を提供したりして、中国が世界を救うなどとうそぶいている。何をかいわんやである。まさに、怒り心頭に発する。
         令和3年4月7日 記  


     「九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に欠く」について
 
 「九仞の功を一簣に欠く」とは、「高い山を築くのに、最後のもっこ1杯の土が足りないために完成しないことから転じて、長い間の努力も最後の少しの過失からだめになってしまうこと」である。何事も不断の努力と最後まで気を抜かないことが重要だ。コロナ対策もこれになってはいけない。
       令和2年4月3日 記 


         「力不足」と「役不足」について
 
 昨日、全国で新入社員の入社式が行われたが、コロナの影響で式の様子をネット配信するなど、様相は一変した。大変なときに入社したが、希望をもって頑張ってもらいたい。
 ところで、やがて昇進したときに「役不足ですが頑張ります」と挨拶したら、大顰蹙(ひんしゅく)ものだ。この役職では物足りないと言っているからである。ここでは、「力不足ですが頑張ります」と言うのが適切だ。あくまでも謙遜して話すのが、日本の常道である。
        令和2年4月2日 記  


        「軽快」について

 3月29日付け讀賣新聞に「症状が軽快すれば免疫がウイルスを排除したと考えられるが、念のためにウイルスを検査する」とあった。不思議に思ったのは、この一文にある「軽快」という言葉である。これでいいのかと思い調べてみると、この言葉には「身軽で素早いこと、病気が回復すること」の意味がある。おかしいなと思ったら調べてみることが大切だ。思い込みは大きな間違いを招く。
        令和2年3月31日 記 


        「啓蒙」から「啓発」へ

 阪神の藤浪がコロナウイルスに罹患して、球団がその事実を公表する時、「・・・啓蒙と・・・のため」と言っていた。「啓蒙」は無知な人々に知識を与え教え導くことで、居丈高(いたけだか)な感じがするため、現在は「啓発」が使われる。「啓発」は人々が気付かずにいるところを教え示して、より高い認識・理解に導くこと。本人が自力で答えに辿り着くようにすることがねらいである。このような意味合いから、学校や官公庁では、現在「啓発」を使っている。よって、阪神の発表も「啓発」を使うべきであった。
        令和2年3月27日 記 


       「紫」について
          
  先日雪がちらついた。その翌日の筑波山は圧巻であった。服部嵐雪の俳句「雪は申さず まづむらさきの つくば哉」が『鹿島紀行』(松尾芭蕉)に掲載されてあるが、まさにそのとおりの情景であった。ここでの「紫」は、春たちそめる頃の景色を表わす言葉である。ちなみに紫にかすんだ筑波山の姿を、この作品以降「紫山」「紫峰」というようになり、別名としても使われている。
 『万葉集』「あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る」(額田王)、「紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも」(大海人皇子)の歌にも「紫」が使用されている。 「紫草」は、生薬や染料となる貴重な植物で大切にされてきたもので、ここでは愛のテーマになっている。
 『枕草子』(清少納言)の冒頭は、「少し明りてむらさきだちたる雲の細くたなびきたる」となっていて、ここにも「紫」の文字が見られる。この「紫」は古代紫で現在の我々が抱くものとは違っていて、むしろ赤に近い。
 律令時代の日本では、「紫」は高位を表す色とされ、主に皇族やそれに連なる者にしか使用を許されなかった。「紫」は、古来より日本人に大切にされてきた高貴な色なのである。
           令和2年3月24日 記 


       「春は牡丹餅(ぼたもち)秋は御萩(おはぎ)」について
          
 今日はお彼岸の中日、お彼岸に先祖の感謝と家族の健康を願って、牡丹餅や御萩を墓前やお仏壇にお供えする家も多いだろう。
 ところで、春は牡丹餅、秋は御萩、同じ物でも呼び方が違う。付け加えると夏は夜船、冬は北窓となる。何故このようになるかというと、春は牡丹に秋は萩に見立てているからだ。夏の夜船は、餅米は蒸して粒が残る程度に軽く丸めただけ、つまりペッタンペツタン餅つく音を出さずにすむ、それが夜入港する船がいつ着いたか分からないのと同じだと考えるためである。冬の北窓は、夜船と同じで「つき」知らず、つまり月が見えないのは北窓、その掛詞から来ている。一種の言葉遊びである。同じ物を並べても、遊び心がある。雅びどすな。
           令和2年3月20日 記 


        安倍首相も杉下右京も間違う「間髪を入れず」について    

 「間髪を入れず」を多くの人が、「かんぱつをいれず」と読んでいる。間に髪一本も入れないほどの短い間という意味で、正しくは「かんはつをいれず」と読む。「かん、はつをいれず」と句点を入れるような感じで読むのがいいかもしれない。
 昨日おとついの 自民党両院議員総会で、安部首相が今回のコロナウイルスに関連して「経済対策を間髪を入れずに・・・」と発言していたが、「かんぱつ」となっていた。また、昨日のドラマ「相棒」でも杉下右京が「かんぱつ」と言っていた。厳重に注意したいところである。杉下右京にしてみれば、いつもの決めぜりふ「僕としたことが・・・」となることだろう。以前、NHKの大相撲中継を見ていた時、アナウンサーが「かんはつをいれず」と実況していた。さすが、NHKと感心した覚えがある
         令和2年3月19日  記



          「眉唾」について

 『眉唾』とは、眉に唾をつければ狐や狸に欺されないと信じられたことから、「欺されないように用心すること」という意である。コロナウイルスの蔓延で色々な情報が拡散し、トイレットペーパーが品薄になったり各種の詐欺が横行したりしている。眉に唾をしっかりと付け、状況を見極め冷静な判断をしたいものである。
 ところで中国の習近平が「新型コロナウイルスがどこから来て、どこに向かったのかをはっきりさせねばならない」と発言しているようであるが、何をか言わんやである。これだけ世界中で多くの人が亡くなり感染の恐怖におののいているのに。謝罪もなく、あまつさえ他国に責任を転嫁しようとする態度は言語道断である。また、イタリアに医療チームを派遣するのはいいとして、「中国が世界を救う」と標榜しているのには片腹痛い。このことについても、常に眉に唾を付けたいものである。
         令和2年3月17日 記 


          「苦渋の選択」について

 春の選抜高校野球が中止になった。記者会見で主催者側が、「苦渋の選択です」と言っていた。高校生の気持ちを考えると、それ以外言葉が見つからなかったろう。「苦汁」という言葉もあるので、間違わないようにしたい。日本語は音節が少ないため、同音異義語が実に多い。
         令和2年3月12日 記 


          「催花雨(さいかう)」について

 「催花雨」とは花の開花を促す雨のことで、春の季語になっている。今日のような雨のことか。しかし、今日はこれから春の嵐になるそうだ。
         令和2年3月10日 記 


          「書き入れ時」について

 今朝の讀賣新聞に「東京五輪・パラリンピックがある今年は、書き入れ時だった」との一文があった。私は「掻き入れ時」ではないかと疑って調べてみたが、それは間違いであった。
 「書き入れ時」は、商売繁盛で取引の数字などを帳簿に書き入れるのが多くなることからきている。お金や物を集める意味から連想して、「掻き入れ時」とするのは誤りである。
         令和2年3月6日 記 


          「人間の拝金主義」について

 
今朝の讀賣新聞『編集手帳』では、コロナウイルスの原因となったコウモリの販売(違う説もある)やサーズの原因となったハクビシンの販売を、「禍を拡大させたのは人間の拝金主義ではないか」と断じている。世界中を混沌の渦に巻き込み震撼させているコロナウイルスを生み出しながら、中国が発生源ではないとする感染症のトップの言動にも唖然とするが、人間の果てしなき欲望のすさまじさにも驚きを禁じえない。
 吉田兼好は『徒然草』の中で、「大きなる車、肥えたる馬、金玉の飾りも、心あらん人はうたて愚かなりとぞ見るべき。金は山にすて、玉は淵になぐべし。利に惑ふは、すぐれて愚かなる人なり」と述べ、利に奔走する人を愚かだと批判している。
 今回のコロナウイルスの発生が、「人間の拝金主義」の帰結だとすれば実に浅ましい。
         令和2年3月2日 記 


           老獪(ろうかい)な偽善者」について

 この言葉は、芥川龍之介が『新生』を読んで島崎藤村を評した言葉である。「老獪」とは、非常にずる賢いことで狡猾と同義である。
 さて、日本ではコロナウイルスの蔓延により、深刻な事態を引き起こしている。その判定にPCR検査が実施されているが、これが一向に進展しない。昨日、厚生大臣が来週保健適用にして飛躍的に前進させるとしたが、政府の危機感のなさに唖然としてしまう。対策会議に、文部科学省、法務省、環境省の大臣が欠席して新年会等に参加しているのも、その現われだろう。さらに、PCR検査の実施が他国に比べて非常に少ない(韓国は1日12,000を実施、日本は980)のは、国立感染症研究所等のOBたちの暗躍があるらしい。国民の健康や生命よりも、自分たちの利権や沽券を最優先する輩は排除しなければならない。まさに、「老獪な偽善者」が闊歩(かっぽ)している状況を阻止しなければならない。
 総理大臣の鶴の一声で全国の学校が休校になるのだから、検査についてもリーダーシップを発揮してもらいたい。罹患者が増えて感染大国だと言われても、国民の健康と生命が大切である。

         令和2年2月28日 記 


  「勝(かち)に不思議の勝あり 負(まけ)に不思議の負なし」について
 

 今朝のNHKニュースで、『常静子剣談』(松浦静山 著)のこの一節を紹介して、アメリカ大統領予備選挙を解説していた。解説者はその出典までは述べなかったが、流布されていることが分かる。松浦静山が、何故そう言ったか読み返したいものだ。
         令和2年2月14日 記 



         「脆弱(ぜいじゃく)」について
 

 「脆弱」とは、弱くてもろいことである。今回のコロナウイルスの対応を見ていると、もしかしたら現在の日本の医療態勢は脆弱かもしれないとの感をもたざるを得ない。中国のようなウイルスの蔓延があったら、日本は大丈夫であろうか。様々な問題が起きている。オリンピックまでには、収束がみられるのだろうか。
         令和2年2月11日 記 



         「マスクとマスク」について
 
 英会話を始めて2年間が経過した。一向に向上しない自分に呆れながらも、なんとか続けている。その英会話はネットでつないで行うもので、チューター(先生)がレッスンの時間を提示し、我々生徒が選択する手法を取っている。私は、主にセルビアやウクライナの先生のレッスンを受けている。
 先日、ウクライナの先生が、「マスクはどうですか」と質問してきたので、「コロナウイルスですかと」と聞き返したら、「違う能面です」と言われてしまった。今の日本でマスクとという言葉で、すぐに頭に浮かぶのは口元を覆うマスクだろう。能面とは微塵も思い浮かばなかった。世相を反映した会話だった。
 コロナウイルスは非常に厄介である。あのようなものまで輸出する中国には猛省を促したい。野生動物を食するのは文化なのだろうから、とやかく言うつもりはないが、少なくとも衛生管理をしっかりして、このような事態にならないようにしてもらいたい。サーズの反省が生かされていない。ウイルス大国と海外から日本が思われては、とても悔しい。 
          令和2年2月10日 記 


       「異常なまでの英語熱」について
          
 今朝のNHK7時のニュースの中で、子どもの英語教育についての現状が報告されていた。英語を教える保育園は大人気、さらに小学校をやめてニュージーランドへ留学までしている児童がいるという。留学の場合は、小学生ゆえに母親同伴である。父親は、日本でその留学を一人支えているということであった。英語を学ぶ小学生は日本語も怪しくなり、母親と英語でコミュニケーションをとっていた。母親はグローバルな考え方を身に付けた人になってもらいたいと言っていたが、私はとても違和感を覚えた。成長期に家族がバラバラになり、身に付けるべき母国語さえも怪しくなっている。
 藤原正彦は「なぜ国語が初等教育の中心であるべきか。一番目の理由は、言語を学ぶという目的があるからです。生活をするうえでも学問をするうえでも、国語はすべての出発点です。二番目は、国語をきちんと学ぶことで論理的思考能力が身についていくからです」と述べている。論理的思考能力は、母国語で培われる。つまり、日本人がいくら英語を勉強しても、その力は備わらないということである。
 世界の舞台で、外国人の政治家と伍していくためには、自国の文化や伝統をしっかり語れる人でなければならないと言われる。英語を話せることは素晴らしいことだろうが、「まず日本語ありき」だということを忘れてはならない。
 藤原正彦・・・『国家の品格』の作者 元お茶の水女子大学教授 数学者
           令和元年12月10日 記 


         「邂逅(かいこう)」について

 「邂逅」とは、「思いがけず出会うこと」である。これによって、我々の人生も大きく左右されると言っても過言ではないだろう。出会いがあれば、また別れがある。
 松尾芭蕉は、弟子森川許六との別れの場面を『柴門(さいもん)の辞』の中で、「古人の跡を求めず、古人の求めしところを求めよと、南山大師の筆の道にも見えたり。風雅もまたこれに同じと言ひて、燈(ともしび)をかかげて、柴門(さいもん)の外に送りて別るるのみ」と記している。足下を灯火で照らし言葉少なに一期一会の別れを惜しむ。人生に繰り返しはなく、別れるときは常に永遠の別れである。
 「邂逅と別離」は、実に「表と裏」、それだけに大切にしたい。。

          令和元年11月21日 記  


         「弥縫(びぼう)」について

 今日の讀賣新聞「編集手帳」に、「桜を見る会」を来年中止するとした安部首相の判断を、公的な行事を私物化した弥縫策と切って捨てていた。血税を使い、三倍にも膨らませていったその真意はいかなるものか。私物化と言われても、反論は出来まい。
     弥縫・・・
失敗や欠点を一時的にとりつくろうこと。
          令和元年11月15日 記  


         「菊の種類」について

 菊の種類(盆養の場合)は、「厚物(あつもの)、管物(くだもの)、一文字」と分けられる。その中の「管物」は、さらに「太管(ふとくだ)、間管(あいくだ)、細管(ほそくだ)」と細分化されている。その中の「間管」の「間」は「あい」と読んで、中間という意味である。能楽でも「間狂言」と呼ばれる一場面があり、これも「あいきょうげん」と読む。
     
    
 かつての菊作り(平成18年10月26日) これは厚物
          令和元年11月8日 記  


         「慚愧(ざんき)の念に堪えない」について

 前菅原経済産業大臣が辞任する時、この「慚愧の念に堪えない」と発言していた。「 自分自身と他人に対して、恥ずかしい気持ちでいっぱいだ」という意である。主要閣僚が辞めていく、恥ずかしいことだ。
          令和元年11月5日 記  


         「灰燼(かいじん)」について

 「灰燼」とは、「灰や燃え殻。建物などが燃えて跡形もないこと。 」という意である。
 昨日、テレビの「首里城で火災」との一報を見て、瞬時に理解できなかった。しかし、首里城を襲う紅蓮の炎を見て、その痛ましい光景を受け入れざるをえなかった。
 讀賣新聞の『編集手帳』では、昨日の惨劇を「戦後の歩みの象徴であり、誇りでもあり・・・。それが一夜にして灰燼に帰した。衝撃と喪失感はいかばかりだろう」と報じている。なんと悲しい現実なのだろうか。40数年前に訪れた時の姿に戻ってしまった。一日も早い再建を望む。
          令和元年11月1日 記  


         「業腹(ごうはら)」について

 「業腹」とは、「非常に腹立たしいこと」という意である。
 土曜日このような事件があった。土浦イオンに栗と柿を搬入し値段のシールを付けていたら、一人の60歳前後の女性が「いい栗ね、おいくら」と尋ねてきた。私は、900円(1キログラム)と答えて、今年は栗が不作のようで店頭に並ばないことも伝え、さらに先程収穫したばかりだと話した。そうすると「貴方が作っているの」と言いながら、買い物籠に栗の袋を入れた。栗は、店頭に置くとすぐに売れてしまうほど人気の商品である。
 売り上げの結果は、一日4回のメールで確認できる。しかし、売れたであろう栗が売り上げに計上されていなかった。あの人は考え直して返却したのかなと思ってと注意して見ていたが、結局メールに記載はなかった。その日、お店は非常に混雑していて、多くの人たちがレジ前に列をなしていた。後日、お店に行って最終確認をしたが、栗は影も形もなかった。
 私は非常に腹が立った。金額の多寡ではない。剪定、施肥、防除、草刈りなどその仕事は多岐にわたり、自然災害にも対処しなければならない。その上、栗は虫の被害が多く、収益があまり見込めない作物なのである。ようやく収穫の時期を迎え、その喜びが享受できるかなと思った矢先の出来事であった。特に業腹なのは、会話を交わしたその人に裏切られたことである。初めから盗ろうと思って話しかけてきたのかと考えると、実に悲しく情けない気持ちになった。
          令和元年10月1日 記  


         「開いた口がふさがらない」について

 今年のゴルフ全英オープンの覇者S選手が、憧れの上野選手(ソフトボール)を目の当たりにして、その感動を「開いた口がふさがらない」と表現していた。S選手は小学校までソフトボールをしていて、上野選手の存在は彼女にとって圧倒的だったらしい。
 ところで、この「開いた口がふさがらない」とは「呆れてものが言えないこと」という意味になる、そうするとこの場の表現としてはふさわしくない。S選手としてみれば、尊敬してやまない心の状態を、そのように表現したのであろうが・・・。S選手は全英オープンで優勝して注目されるようになった。だからこそ、その言動にも注意をしてもらいたい。
          令和元年9月27日 記  


         「神人和楽(しんじんわらく)」について

 NHK「京都人の密かな愉しみ」のドラマの中で、「神人和楽」という言葉が出てきた。祇園祭を詳しく説明する場面であった。祭りは、古来より神に感謝するために行われてきた。神々に温かく見守られて、楽しく生活できることを人々が願ったのである。
 ところで、祇園祭は、八坂神社の御神体である「素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稻田姫尊(くしなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)」を神輿に移して、氏子の住む街中を通って厄を払うのが目的だということであった。山鉾巡行は、神輿の通る道を清める露払いのようなものであり、本来の目的ではないとのこと。今まで誤解していた。
          令和元年9月4日 記  


         「隗(かい)より始めよ」について

 1年後東京オリンピックが開催されるが、東京都は期間中、交通機関の混雑問題があるとして、「隗より始めよ」を旗印に働き方の改革(時差出勤やテレワーク)をするとの報道があった。「隗より始めよ」とは、「何か物事を始めるときには、自分から着手せよ」という意である。東京都は、これを契機に一般企業にも呼びかけをするらしい。
 ところで、オリンピックの成功を望むのは国民の一人として当然ではあるが、開催時期には疑問が残る。また、大会後の施設の管理や運営は大丈夫か、気がかりだ。祭りの後にならなければ良いが・・・。
          令和元年7月24日 記  


         「故郷(ふるさと)」について

 「故郷(ふるさと)」については、多くの文学者がそのテーマで作品を作っている。
 室生犀星は
   「ふるさとは遠きにありて思ふもの
   そして悲しくうたふもの  
   よしや
   うらぶれて異土の乞食(かたい)となるとても
   帰るところにあるまじや
    (略)」
と薄幸な少年時代を過ごした金沢を書いている。
 石川啄木は
   石をもて追わるる如くふるさとを いでし悲しみ消ゆる時なし
   かにかくに渋民村は恋しかり思ひ出の山思ひ出の川
   そのかみの神童の名の悲しさよふるさとに来て泣くはそのこと
   ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
と複雑なふるさとに対する思いを吐露している。
 飯田蛇笏は
   ふるさとの雪に我ある大爐(たいろ)かな
と謳歌する。
 松尾芭蕉は
   秋十(と)とせ却(かへ)って江戸を指故郷 
と十年の江戸での生活を振り返っている。 
 多くの人たちが、ふるさとに様々な感情を抱き生きていたことが分かる。もちろん私も例外ではない。
           令和元年7月23日 記  


         「清少納言」について

 テレビ東京の番組「新美の巨人」の中で、ナレーターが「清○少納言」と言っていた。「清少○納言」と言いたいところだが、ここはやはり「清○少納言」が正解である。なぜなら、清少納言は清原元輔の娘で、「清」は「清原」から来ているからである。また、「少納言」は、当時女房の宮廷での呼び名は、父・兄・夫など身近な人の官名に基づいて付けられることが多かったことによる。つまり、誰かが「少納言」であった可能性がある。
          令和元年7月22日 記  


         「お茶を濁す」について

 テレビから「お茶を濁して・・・」と聞こえてきた。その意味は、「その場をごまかすこと」であるが、その由来はと考えてみると思い浮かばない。調べてみると「素人がお茶を点てると、抹茶を茶碗に入れて適当にかき混ぜるだけだからお茶が濁ってしまう。そのことから、特に知識のない人がその場しのぎでそれらしく見せること」であった。世の中、知らないことが多すぎる。これからは適当に「お茶を濁す」ことはやめよう。
          令和元年7月19日 記  


         「逆鱗(げきりん)に触れる」について

 先日、 トランプ米政権を批判する機密公電を漏洩(ろうえい)し、米政府の強い反発を招いていたイギリスの駐米大使、ダロックが辞任した。トランプ米大統領の逆鱗に触れ、大統領がダロック大使を激しく罵倒する事態となったとニュースで放じていた。
 「逆鱗」とは龍の喉元に生えた1枚だけ逆さになっている鱗(うろこ)のことで、これに触れると必ず殺されるという伝説から転じて、「逆鱗に触れる」とは目上の人などを怒らせるという意になった。
 人は本質を指摘されると怒るものである。          
          令和元年7月18日 記  


         「邯鄲(かんたん)の夢」について

 「邯鄲の夢」とは故事成語である。内容は下記のようなこと。
 【人の世の栄枯盛衰のはかないことのたとえ。「一炊(いっすい)の夢」「邯鄲夢の枕」「盧生(ろせい)の夢」などともいう。中国唐の開元年間(713~741)、盧生という貧乏な青年が、趙(ちょう)の都邯鄲で道士呂翁(りょおう)と会い、呂翁が懐中していた栄華が思いのままになるという不思議な枕を借り、うたた寝をする間に、50余年の富貴を極めた一生の夢をみることができたが、夢から覚めてみると、宿の亭主が先ほどから炊いていた黄粱(こうりゃん)がまだできあがっていなかった、という李泌(りひつ)作の『枕中記(ちんちゅうき)』の故事による。】『日本大百科全書』より
    黄粱・・・粟(あわ)のこと
    故事成語・・・中国の出来事を元に出来た言葉
 大きな夢を抱いて故郷を出た盧生は、人生のはかなさを感じ、結局帰郷することになる。この一連の出来事を描いたのが、能「邯鄲」である。使用する面(おもて)は、「邯鄲男」。
          
          令和元年7月4日 記  


         「半夏生(はんげしょう)」について

 今日、7月2日は72候の一つである「半夏生」である。この時期になると、降る雨を「半夏雨」(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。確かに各地で大雨のニュースが放映されている。半夏生の言葉の由来の一つにもなっている植物が、半分白くなる時期でもある。
     
        
天竜寺で撮影 平成27年6月
     青空に冴える白さや半夏生  山崎 
          令和元年7月2日 記  


         「西瓜」について

 長男の妻の実家から、大きな西瓜が送られてきた。ダンボールの表には、「富里」と記載されてあった。今日の讀賣新聞の「編集手帳」にその名前があるくらいだから、有名なのは間違いないだろう。その中に正岡子規の作品も載っていた。
 「だまされて薄桃色の西瓜哉」
妙に納得した。いただいた西瓜は俳句と違い、とても甘かった。
 西瓜を見ると、独身時代それだけを食べて出勤したのを思い出す。
          令和元年6月27日 記  


         「語彙力」の必要性

 今朝のNHKニュースで、「語彙力」を高める書籍の売り上げが好調だと放映していた。ネット上に書き込む際、自分の語彙力のなさに愕然とするのが発端らしい。簡潔、明瞭もそれなりに意味があるだろうが、それだけでは不十分だと気付いたのであろう。何事にも必ず揺り戻しがあるものである。
         令和元年6月26日 記  


        精神的に強い人が決してしない10のこと

1 失敗にこだわらない
 精神的にタフな人は、自分が何に気持ちを集中させているかによって、自分の感情が左右されることを知っている。そのため、失敗に固執せず、一方でその失敗を忘れることなく、頭の片隅にとどめておく。そうすることで、将来の成功に向けて自分を変え、適応させていくために役立てることができる。
2 ネガティブな人と付き合わない
 冷たい人、失礼な人だと思われたくないために、何かを嘆いている人の話を聞いてあげなければという気持ちに駆られることはよくある。だが、親身になって聞いてあげることと、感情的な悪循環に巻き込まれることは違う。その二つの間には、紙一重の違いがあることを忘れてはいけない。心の知能指数が高い人は、必要なときには境界線を引いて一定の距離を保ち、巻き込まれないようにすることができる。
3 自分を疑わない
 精神力の強い人には忍耐力がある。失敗しても、疲れても、面白くないと思っても、諦めることはない。誰かに「絶対に無理だ」と言われても、それは他人の意見だと受け止める。
4 謝罪を求めない
 強い精神力の持ち主は、非を認めずに謝らない人のことも恨まずに許す。そうすれば物事が円滑に進むことを知っているからだ。過去の恨み事や感情に「寄生」する憎しみや怒りは、今の幸せや喜びを台無しにする。
5 自分を哀れまない
 自分を哀れむことは、自らを現状に屈した無力な犠牲者だと決めつけるのと同じだ。精神力の強い人は、自分を哀れんだりしない。それは自分自身の力を放棄することを意味するからだ。
6 恨まない
 他人を恨むことで生じる否定的な感情は、ストレス反応だ。ストレスを抱え続けることは、健康に害を及ぼす。米エモリ―大学の研究によれば、高血圧や心臓病にもつながる。精神的に強い人は、自らストレスを抱え込むようなことはしない。
7 誰の悪影響も受けない
 他人と自分を比較することで喜びや満足感が失われたとき、あなたは自分自身の幸福を人の手に委ねたことになる。強い精神力の持ち主が自分の行動に前向きな感情を持っているとき、他人の意見や成功に影響されることはない。
8 人のことに介入しない
 精神的に強い人は、他人を批判しない。人の能力はそれぞれに異なることを知っているからだ。自分を人と比較することは、制約を課すことだ。嫉妬することでエネルギーを浪費せず、人を理解することにそのエネルギーを使ってみよう。人の成功を祝福することは、あなたにとってもその人にとっても、プラスになる。
9 怠けない
 カナダの医療機関、イースタン・オンタリオ・リサーチ・インスティテュートの研究結果によると、10週間にわたって週2回の運動を続けた人は、社会性、知能、運動能力の各項目に関する自己評価が上がったという。自分自身のボディイメージや、自尊感情も改善した。自信を高めるための努力を続けることは、精神的な強さを得ることにつながる。
10 悲観しない
 ニュースを見れば、戦闘や攻撃、脆弱な経済、企業の破綻、環境災害など、世界は悪い方向に向かっていると思わせるようなことばかりだ。だが、精神的に強い人は、自分にはどうすることもできない事柄に心を捉われたりしない。   

 ネット上に流れている内容で、出典がよく分からない。内容は自分に当てはまることばかりで、反省点が多い。一度内容と照らし合わせてみてはどうだろうか。
         令和元年6月25日 記  


         「走り梅雨」について

 「走り梅雨」は夏の季語で、「梅雨に先立って、ぐずつく天候。梅雨の前触れ」のこと。5月の下旬から6月の上旬ぐらいの天気になる。以前、勤めていた学校の二階から眺めた光景をかつて次ような俳句にした。
  「山々に雲垂れ込めて走り梅雨」
 雲が低く垂れ込め雨が降り出さんばかりの情景は、まさに水墨画の世界だった。
         令和元年6月10日 記  


      「憤怒」について

 昨日の川崎での痛ましい事件、なぜ幼い子どもや賢明に生きている人が犠牲になるのか、やりきれない気持ちだ。また、高齢者の運転する自動車にはねられて、このところ幼稚園や小学生が何人も犠牲になっている。残された家族の気持ちを思うと、胸が張り裂けそうである。決して他人事ではない。まさに、「憤怒」という言葉そのものである。
       令和元年5月29日 記 


      再度「他人事(ひとごと)」ついて

 「他人事」の読み方は、「ひとごと」で「たにんごと」ではない。このところ頻繁に耳にする「たにんごとは」は、この読み間違いなのだろう。気を付けたいものだ。
 NHKでも、「平成12年(2000年)2月に放送用語委員会でこの件について改めて審議しました。その結果、『タニンゴトということばは誤読から発生したもので、原則として使わない』ことにし、従来どおり『表記は○ひと事 ×他人事 読みは○ヒトゴト ×タニンゴト』と決めています。」としている。
 ところで、先日の池袋での交通事故は悲惨であった。男性(87歳)が運転した車が暴走し、多くの死傷者が出た。31歳の母親と3歳の女の子が犠牲になったが、残された家族の悲しみはいかばかりであろうか。3歳といえば可愛い盛りだ。この事件は、決して他人事ではない。老い先短い高齢者が幼い命を奪っていく、あってはならないことだ。高齢者の運転免許については、法的に規制する時期にきているのではないだろうか。
       平成31年4月22日 記 


       「山吹」について

 
狩りの途中で雨にあった若き太田道灌(おおたどうかん)が一軒家で蓑を借りようとすると、一人の女性が一枝の山吹を手折(たお)って差し出してきた。その理由を計りかねた道灌が詳しく調べてみると、山吹には「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という短歌があることを知る。己の無学を悟った彼は、その後、努力し立派な武士になったとする逸話がある。
 この歌の出典は『後拾遺集』(兼明親王作)で、正しくは
  「ななへやへはなはさけども山ぶきのみのひとつだになきぞあやしき」である。
  【口語訳】
 
   小倉の山荘に住んでいました頃、雨が降った日、蓑を借りる人がいま
   したので、山吹の枝を折って取らせました。その人はわけもわからずに
   通り過ぎまして翌日、(蓑を借りようとしたのに)山吹を折って渡され
   た意味がわからなかったということを言って寄こしてきましたので、返
   事として詠んで送った歌。七重八重に花は咲くけれども、山吹には実の
   一つさえもないのがふしぎなことです。わが家には、お貸しできる蓑一
   つさえないのです。
「実の」と「蓑」は掛詞になっていて、貸すことのできない心苦しさを歌っている。なんとも趣のある情景ではないか。
 ところで、道灌には死にまつわる逸話もある。上杉定正(うえすぎさだまさ)に仕えていた彼は、その才能を疎まれ主君によって刺殺される。刺客が命を奪う寸前「かかる時さこそ命の惜しからめ」と上の句を言うと、道灌は「かねて無き身と思ひ知らずば」と下の句を付けたとされる。刺客が「こうなっては命が惜しいだろう」と言うと、道灌は「以前より人間の命は限りあるものだと悟っているから、そのようには思わない」と言ったとする。山吹の件の後、道灌は著名な歌人にもなっていたのである。付けられた上の句に、死の間際であっても即座に下の句を付ける。それは武士としての矜恃(きょうじ)でもあった。何よりも恥をさらすことを嫌悪したのである。
 以前の東京都庁は東京駅の近くにあり、その正面には道灌の銅像が屹立(きつりつ)していた。春の訪れとともに芽吹き、やがて可憐な黄色い花を付ける山吹。この季節になると、あの銅像とこの逸話を思い出す。
            平成31年4月1日 記 


       「つまずき」について

 先日、報道ステーションの字幕に「つまづき」と表記されたが、正しくは「つまずき」である。「つづく(続く)・つづみ(鼓)」のような同音連呼の場合は、「づ」が使用される。また、複合語、「みかづき」(三日+月)や「いろづく」(色+付く)なども「づ」が使われる。しかし、一語と考えられるものは「ず」となるので、「つまずき」「少しずつ」と表記する。
            平成31年3月22日 記 


       「海野勝珉(うんのしょうみん)」について

 「其技ニ誇リ他ヲ侮(あなど)ルカ如(ごと)キ自負心ナキ彼レカ如キハ蓋(けだ)シ希(まれ)ナリ」。1896年の帝室技芸員への推薦文には、明治期を代表する彫金家、海野勝珉(うんのしょうみん)の謙虚な人柄がうかがえる記述がある。さらに勝珉の死去を伝える讀賣新聞の1915年10月9日朝刊でも「資性温厚世俗に関せず、純芸術家気質を有し曽(かつ)て他の技術を罵(のの)しれることなし」と評されている。
(2019年 平成31年3月7日 讀賣新聞)

 海野勝珉は、私の敬愛する芸術家の一人だ。水戸に生まれ、海野義盛(よしもり)や萩谷勝平(はぎたにかつひら)から水戸金工の彫金技術を学び、さらに明珍義臣(みょうちんよしおみ)から鍛金(たんきん)の技術を習得している。その作品は精緻を極め、他の追随を許さない。その代表作は「蘭陵王(らんりょうおう)」(皇室御物)である。
 現在、彼の作品は「御即位30年記念 両陛下と文化交流 日本の美を伝える」(東京国立博物館)で展示されている。また、京都清水三年坂美術館にも加納夏雄(かのうなつお)や海野勝珉の作品が多く所蔵されているので、清水寺に立ち寄った際には訪れてみてはどうだろうか。
  加納夏雄・・・幕末から明治にかけての彫金の第一人者で、多くの優れた
         鍔を残した。海野勝珉も師事した。
       
  海野勝珉作 「蘭陵王」について(宮内庁ホームページより)
 海雅楽「蘭陵王」を舞う姿をモチーフとした作。高度な金属の着色加工や,象嵌(ぞうがん),打ち出しなど多彩な金工技法を駆使して,装束の内側にいたるまで文様を施している。面を取り外すと演者の素顔があらわれる工夫も凝らされている。江戸時代の細密工芸の流れを受け継ぎつつ展開した,写実性の追求という明治工芸の特色をよく示す海野の代表作。明治23年・第3回内国勧業博覧会出品作である。
           平成31年3月8日 記 


       「corruption」について

 corruptionとは、「買収・汚職」という意である。英会話でセルビアの講師に、「人間ドックをしてきた」と伝えたら、「医者や看護婦をcorruptionしないのか」と聞き返されてしまった。セルビアでは、なにがしかの金品を出さないと、あまりよく診察してもらえないとのことだった。どの国にも矛盾や腐敗がある。一般市民は、どこでもそのようなことに抗(あらが)いながら生きている気がする。
           平成31年3月5日 記 


       「残滓(ざんし)」について

 残滓とは、「残りかす」。韓国の文在寅大統領が、1日に行った「三・一独立運動」の100周年記念式典での演説で、「親日の残滓を清算しなければならない」と発言していた。韓国の大統領は支持率が下がると、決まって反日に舵を切ってくる。天皇陛下謝罪発言をした議会議長を初め、劣悪で稚拙な政治家が多くては、発展的な日韓関係は望むべくもないだろう。しかし、かつて日本が侵略した歴史は真摯に反省をし、二度とあのような醜悪な行為をしてはならない。後の人々が負の遺産を背負うことになる。
           平成31年3月2日 記 


       「縄心(なわごころ)」について
 
 縄心とは、「江戸時代、農民の労働意欲を高めたり凶作に備えたりするために、1割から2割少なめに検地を行ったこと」である。いわゆる遊びである。この検地を正確無比に行ったために、百姓一揆が起こった事例もある。自動車のブレーキやハンドルに遊びがあるように、それは何事においても大切なことである。
          平成31年3月1日 記 


       「諒闇(りょうあん)」について
 
 諒闇とは、「天皇が、その父母の崩御にあたり喪に服する期間。大喪の期間は1年間だが、後に仁明天皇により喪服を着る期間を13日間として、1年間は心喪(しんそう)に服せばよいとされた。(Wikipediaより)」という意である。この言葉は、先日の「在位30年記念式典」の中で天皇陛下が述べられたものだ。
 間もなく退位なされるが、東宮としての時代を含めて、一貫して平和を希求し国家の安寧を願ってこられた。また、常に国民の目線に立ったお姿は、何物にも代えがたいものだ。多くの災害が起きた平成の世に、どれほどの励ましを与えてくださったか計り知れない。阪神淡路大震災の訪問の折、バスに乗り込む美智子様が何度も何度も頑張ってくださいとばかりに強く手を握りしめたお姿には涙を禁じ得なかった。
          平成31年2月26日 記 


       「断じて敢へて行へば鬼神も之を避く」について
 
 「断じて敢へて行へば鬼神(きしん)も之を避く、後(のち)に 成功有り」『史記』。「決心して断行すれば、どんな困難なことも必ず成功する」意。池江璃花子頑張れ、日本中の誰もが応援している。
          平成31年2月14日 記 


         「偕楽園の有料化」について
 
 
昨日、偕楽園の有料化(今秋11月の予定)が発表された。県外の人たちから300円を徴収して、それを偕楽園の整備に充てるということだった。しかし、その根底には、最大の観光名所を使って、茨城県が魅力度ランキングで6年連続最下位の位置を脱出したいとの思惑があるという。つらつら考えてみるに、茨城はそんなに魅力のない県だろうか。我々茨城に住まいする者から見てみると、県外者が勝手に決めつけているとの感をもたざるを得ない。関東平野の一角に位置し、温暖で災害もあまりなく、豊富な農作物に恵まれ、人々も温かい、さらに東京に近く非常に便利である。いっそのこと、このまま最下位でもよいぐらいの開き直りがあってもいいはずだ。
 ところで、間もなく偕楽園で「梅まつり」が開催される。白梅、紅梅3千本が開花し、馥郁とした香りを漂わせる景色は見事しか言いようがない。その一角に確かな存在感を示しているのが好文亭だ。晋の武帝の故事「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、 梅の異名を「好文木(こうぶんぼく)」といったことから、好文亭と命名されたと言われている。偕楽園の南側斜面には、正岡子規の「崖(がけ)急に梅ことごとく斜めなり」の句碑もある。常陸太田市の深山幽谷の地にある西山荘(徳川光圀が隠居し生活した住まい)にも梅が植えられている。学問に精励する水戸藩の気風が、偕楽園を作り出したのだろう。
 偕楽園は、 『孟子』の「古の人は、民と偕(とも)に楽しむ、故に能(よ)く楽しむなり。」という一節からきている。有料化は9代藩主徳川斉昭の理念には反するかもしれないが、あれだけの園を維持するためには必要なことだ。兼六園、後楽園が有料なのからみても、それは十分理解できる。県の魅力度アップなどと糊塗(こと)せず、純粋に偕楽園の維持管理でいいのではないか。

        
          水戸偕楽園 好文亭
          平成31年2月13日 記 


         「不離五向(ふりごこう)」について
 
 「不離五向」とは、剣道の稽古の中で相手から外してはいけない五つのことを指す言葉である。その五つとは、「目、剣先、臍、つま先、心」だ。剣道を修行する上で、多くの先達が「心」について言及している。形而上的なことは、いつの時代も難しく、永遠の課題である。
          平成31年2月11日 記 


          「桎梏(しっこく)」について
          
 「桎梏」とは、「桎は足かせ梏は手かせ、そこから人の行動を厳しく制限して自由を束縛するもの」という意である。
 ところで、テニスのオーストラリアオープンは、男子がジョコビッチ、女子は大阪なおみが優勝して幕を閉じた。大阪の活躍に勇気をもらった人も多かったろう。残念だったのは、途中棄権をした錦織圭だった。その行為に、チームの在り方、調整の仕方、果てはインタビューの受け方まで、悪意ともとれる批判が起きている。最も悔しい思いをしているのは錦織自身なのに、人は勝手な物言いをするものである。
 あのステージで一試合でも勝つのは大変なことだろう。ランキングが上だとか下だとか、何の参考にもならない。怪我から復帰してギリギリのところで身を削って戦っている姿に、快哉を叫びたい。
 くだらない誹謗(ひぼう)や中傷が、錦織の桎梏にならないことを祈るばかりである。
           平成31年1月29日 記 


          「旗幟鮮明(きしせんめい)」について
          
 「旗幟鮮明」とは、「立場や意見をはっきりさせること」である。
 ところで、自衛隊哨戒機へのレーダー照射問題、従軍慰安婦問題、徴用工問題と韓国との関係で軋轢が続いている。しかし、韓国の対応に疑問を感じずにはいられない。レーダー照射問題については、何の根拠もなしに稚拙な手法で問題をすり替えているだけである。従軍慰安婦問題と徴用工問題については、戦後補償で当時韓国の国家予算の2倍にも当たる金額を賠償している。それを補償に充てず、経済発展に充当してしまった。それは、国内問題ではないのか。徴用工の判決について大統領は、「三権分立だから口を挟めない」との発言をしていたが、先日、元最高裁判所の長官が徴用工問題を職権を乱用して先送りしたとして逮捕された事案と矛盾してはいないか。大阪なおみが「私の精神性は3歳児程度」と発言していたが、まさに韓国の政治は国際的にみて幼児性から脱却できていない。日本は大人の対応をしなければならない。3歳児程度の子どもがくずっているのを、同レベルまで降りていって論争をしてはならないのである。だが、日本の立場はしっかり主張するべきだろう。
 明治以降、我々の先人が犯した過ち、韓国併合と統治、他の国を占領しして朝鮮半島の人たちを苦しめたことに対しては猛省をしなければならない。多くの政治家や軍人が惹起し、それに追随した国民、二度とあってはならないことである。負の遺産が今日まで尾を引いている。
           平成31年1月28日 記 


         「叱ると怒る」について
          
 「叱る」は「目下の者の言動に対し欠点を強くとがめ戒めること」、「怒る」は「自身の感情を抑えられず表に出すこと」である。両者は似ているようで別物である。
 ところで、今朝のNHKのニュースで「叱れない親」というタイトルで、現状を放映していた。あるレストランでは、子どもの目に余る言動が多発し入店を断っているとのことだった。問題なのは、親が子どもの我が儘を許し他のお客さんに迷惑をかけているのを叱らないことだ、と店主が話していた。別れ話がこじれ女性の首を切り殺害する事件、交番を襲い警察官を負傷させる大学生、クレマ-の増加など枚挙に暇がない。子どもの傍若無人の振る舞いを叱ることなく許し放置する親の態度が、そのような凶悪な事件や自分勝手な主張につながっていると言っても過言ではないだろう。
 常磐線で帰ってくるとき、上野から乗り合わせた親子連れがいた。牛久で下車するまで、母親はスマホを見ているだけで、3歳ぐらいの子どもに一言も声かけをしなかった。感性や言葉、そして善悪の判断を親から学んでいくのに、これでいいのだろうかとつくづくと考えさせられた。
 科学の進歩は、我々の生活を一変させている。しかし、変えてはいけないものがあるはずだ。家庭教育、学校教育、社会教育を通して人間を育てることを考えなくてはならない。
           平成31年1月25日 記 


        「跋扈(ばっこ)する」について
          
 「跋扈する」とは、「ほしいままに振る舞うこと。また、のさばりはびこること」である。テレビの解説か何かで仄聞(そくぶん)した言葉である。こんな言葉を使用するのかと嬉しくなった。平易な言葉で表現するのもよいが、やはりその言葉でなければ言い表せないものもある。易きに流れるのをよしとはしたくない。
           
平成31年1月22日 記 


       「聴雪(ちょうせつ)」について
          
 希代の傑物、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)の絶筆(昭和34年逝去)となった言葉である。「雪が降る音のように聞こえない音を聴く」 、まさに哲学の領域に達している。名人とはそうしたもので、常人には理解できない。人間国宝を固辞したことにも快哉を叫びたい。
           
平成31年1月18日 記 


       「衣食足りて礼節を知る」について
          
 「衣食足りて礼節を知る」は、「倉廩(そうりん)実つれば則ち礼節を知り、衣食足れば則ち栄辱(えいじょく)を知る」『菅子』に基づいている。 しかし、自動車を走らせていると道路沿いはゴミだらけ、日本人として情けない。私は多くのヨーロッパの国々を旅しているが、日本ほど路上にゴミが散乱している国を見たことがない。海外からの観光客を何千万人呼び込むなどと豪語しているが、足元が危ない。これは、家庭教育の学校教育の社会教育の敗北なのだろうか。
           
平成31年1月6日 記 


       「この一冊で旅に出る」について
          
 多くの人がそうであるように、旅の無聊(ぶりょう)を慰めるために、私も必ず一冊の本を携行することにしている。それは、『徒然草』だ。その中には、多くの珠玉の言葉がちりばめられている。
 「天下(あめつち)のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒(ほうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)にて、万人の師となる事、諸道変るべからず」(150段)、「四季は、なほ、定まれる序あり。死期(しご)は序を待たず。死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。沖の干潟(ひがた)遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」(155段)、「かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし」(32段)、「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ」(7段)、多くの言葉が人生の指針になっている。
           
平成31年1月4日 記 


       「去年今年(こぞことし)」について
          
 「去年今年」とは、新年にあたり、年去り年来る時の流れに対する感慨を表した言葉である。高浜虚子の俳句に「去年今年貫く棒の如きもの」とある。時代を超えて変わらないものを持ち続ける気概、人生かくありたいものである。
           
平成31年1月2日 記 


       「相好を崩す」について
          
 
今朝の讀賣新聞の一角に「・・・相好を崩す」という一文があった。「にこやかな表情になる」という意であるが、「そうこうをくずす」と読むのではなく、「そうごうをくずす」と読む。注意したいものである。
   
        
平成30年12月25日 記 


       「烏兎匆々(うとそうそう)」について
          
 烏兎匆々とは、慌ただしく月日が過ぎていくことである。今年も一週間ほどで終わる。同じ時間でありながら、年々時間の経過が速いのはどうしてだろうか。そんなことを思いながら、今年も過ぎていく。
   
        
平成30年12月23日 記 


       「節目(ふしめ)と節目(せつもく)」について
          
 
将棋の藤井七段が、プロになって50勝したときのインタビューで、「・・・節目(せつもく)・・・」と話していた。通常、「ふしめ」と読むが「せつもく」と言うのには何か意味があるのかと調べてみると、「小分けした一つ一つの箇条。細目」(ふしめより区切りが小さい)となる。つまり、彼は50勝をそのように考えていたのである。先日、100勝を達成したが、それも彼にとっては「せつもく」だったはずだ。
   
        
平成30年12月19日 記 


            「人間の最期」について
          
 斎藤茂吉の歌に「いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるもを」というものがある。陽が沈むように自分もいつか最期の時を迎える、ということである。
 ところで、昨日の讀賣新聞にエッセイストの鳥居りんこさんの介護についての記事が掲載されてあった。彼女の母親は、「胃ろうや人工呼吸をつける治療はしてほしくない」と、入居しているホームに伝えていたそうだ。その考えを尊重し、「延命治療をするか、しないか」と決断を迫られたとき、それをしなかったと鳥井さんは吐露している。
 記事はさらに続く、「やがて母親は次第に水を飲むことも難しくなり、意識障害や栄養失調で苦しそうでした。(中略)あの時、延命ではなく看取りを選択したことは本当に正しかったのか。母は本当は生きたかったのではないか。事実上、私が母の命の期限を切ったことは許されるのか。腹を割って母と話していなかったので、今となっては分かりません。両親の介護体験を通して、親も子も意思が伝えられなくなる前に、どこで死にたいか、医療や介護はどうしたいか、話し合うことが大切だと痛感しました」。
 日本の医療は、人間としての尊厳を尊重する死をよしとしない傾向にある。一昨年、私の弟が癌で亡くなったが、誰の目にも死は明らかな時、医者が「手術も出来ますが?」と話してきた。この医者は一体何を考えているんだろうと思ったが、一週間もしないうちに弟は亡くなった。鳥居さんの母親が生前「胃ろうや人工呼吸をつける治療はしてほしくない」と伝えていたことは、人間の尊厳を守ったまま死を迎えたいとする最後の決断ではなかったか。
 鳥居さんが、母親の最期の姿を「苦しそうでした」と述べているが、下記の本を見れば、それが大きな誤りであることが分かるだろう。
 『欧米に寝たきり老人はいない―自分で決める人生最後の医療』 (中央公論新社、内科医、宮本顕二・礼子夫妻著)より
 「スウェーデンが初めての海外視察だったのですが、食べなくなった高齢者に点滴も経管栄養もしないで、食べるだけ、飲めるだけで看取るということが衝撃的でしたね。脱水、低栄養になっても患者は苦しまない。かえって楽に死ねるとわかり、夫と私の常識はひっくり返ったのです。そして施設入所者は、住んでいるところで看取られるということも、日本の常識とは違うので驚きました。視察先の医師も、自分の父親が肺がんで亡くなった時に、亡くなる数日前まで普通に話をしていて、食べるだけ、飲めるだけで穏やかに逝ったと言っていました」
 斉藤茂吉の歌のように、誰しもが等しく最期の時を迎える。その時、自分の死はどうあるベきか、考えておきたいものだ。
           平成30年12月13日 記 



          「Anyone can start from scratch.」について

 「誰もがゼロからスタートできる」という言葉を見付けた。嫌なことや理不尽なことが多くある。そんな時、どんな言葉で自分を慰撫(いぶ)するのか、人それぞれだろう。
           
平成30年11月8日 記 


          「垂涎」について

 「すいぜん」と読み、意味は「ある物を手に入れたいと熱望すること」で、よく「垂涎の的」と使う。「すいえん」ではないが、慣用読みとして認めている辞書も多い。しかし、しっかり本来の読みに従いたいものだ。
           
平成30年11月7日 記 


          「日本人のDNA」について

 
9月の最後の土曜日と日曜日は、例年柿がとても売れる日である。平成29年度は56袋、今年度は68袋だった(つくばと土浦の合計、1袋2個入り)。この数字は他の曜日と比較しても、極端に多くなっている。これは、暑さが一段落して柿の赤い実を見ると心がざわついて、購入しなければならないと思わせるDNAが、日本人の中にあるからではないだろうか。1214年、甘柿の原種「禅寺丸」が星宿山王禅寺(現在の川崎市麻生区)の山中で発見されて以来、甘柿は秋の果物の定番になったのである。
           
平成30年11月5日 記 


          「残念な言葉」について

 昔の剣道の仲間が集まって、東京の中板橋で稽古を行った。稽古の後は、食事をしながら剣道談義に花を咲かせるのが恒例になっている。軽くお酒を飲みながら遅い昼食を囲むのが実に楽しい。会も終わりに近づいた頃、従業員の女性が、「そのグラス空いていますか」と尋ねていた。聞かれた後輩は、仙台まで帰る時に間に合わないと新幹線の時間の変更に専念して返事が出来なかった。そうすると、先ほどの女性が、「そのグラス空いていますか」と二度三度怒号を浴びせてきた。一瞬のうちにその場がしらけ、嫌な気分になってしまった。穏やかな後輩だったから言い合いにはならなかったが、もう少し考えた言動が出来ないものかと残念に思った。高齢化社会を迎え、耳の不自由な方も少なからずいる。現に、その中には両耳補聴器を付けている人もいた。ちょっとした言葉が相手を不愉快にさせたり、快い気分にさせたりするのではないか。人と人とのコミュニケーションを図るのが言葉なら、もう少し考えて言葉を発したいものである。
           
平成30年11月4日 記 
 


          「刀の区別」について

日本刀は次のように分けられる。
  古刀・・・慶長以前に作られた日本刀。
  新刀・・・慶長元年(1596年)以降から江戸時代後期の明和元年
       (1764年)より前に作られた日本刀。
  新々刀・・・明和元年(1764年)頃から明治9年(1876年)の廃刀
       令までに作られた日本刀。
 ただし、色々な説があるので、これが最も正しいものではない。日本刀の
特徴も緩やかに変化したので、目安という感じか。
           
平成30年10月26日 記 
 


          「人を招く時の所作の違い」について

 イタリアでお世話になっている時、ファビオさんと一緒に書店に行った。ファビオさんが日本文化を紹介する本を見付けて、私を手招きした。その時、日本と欧米の文化の違いを認識することになった。欧米人は手のひらを上にして手招きをするが、日本人は手の甲を上にしてする。まるっきり反対だ。日本人の手招きは、欧米人にとっては「あちらへ行け」となるそうである。
 ところで、日本人は写真を撮る時よくVサインをするが、この時手の甲を相手に見せて行うと、国によっては相手を侮辱することになるそうだ。「おもてなしの基礎英語」に出演しているハリー杉山が「おまえのかあちゃん出臍の百万倍」と言っていた。これは相当な侮蔑である。
 言葉はなくても、所作事にはそれぞれの意味がある。相手の国の文化を知ることは、相互理解に不可欠である。
           平成30年10月25日 記 
 


          「撰ばれてあることの」について

 「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり」、これは太宰治が、生前もっとも好んで口にしたといわれているポール・ヴェルレーヌの詩の一節である。太宰の苦悩が垣間見える。太宰治の名作『走れメロス』の書き出し「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した」が、いつまでも心を捉えて離さない。
   
         
平成30年10月22日 記 
 


              「太刀と刀」について

 よく美術館などへ行くと、日本刀の展示の仕方が違うことに気付いたことはないだろうか。刃部が下になっているものと上になっているものがある。これは太刀と刀の違いによるものである。太刀を帯びることを佩(は)くといい、刀は差すという。太刀を佩いた外側を>佩表(はきおもて)」といい、原則、茎(なかご)に刀工の銘が刻まれている。一方、刀は刃を上にしたときの茎の外側を「差表(さしおもて)」といい、こちらに刀工の銘がある。つまり、展示するときは、刀工の銘が見えるようにするものなのである。太刀は馬上で使用されたため、反りが深く長いものが多い。そのため、磨上(すりあげ)られたものもある。
        磨上・・・太刀などを短くすること
          平成30年10月18日 記 
 


           「次ぐをもて家とす」について

 能を大成した世阿弥は、その著『風姿花伝』の中で「当芸において家の大事、一代一人の相伝なり。たとへ一子たりといふとも、無器量の者には伝ふべからず。家、家にあらず、次ぐをもて家とす」と述べている。「たとえ自分の子であろうとも、器量のないものにはその芸は継がせない。家を継いだものが後継者なのだ」と言っているのである。
 今日の讀賣新聞に「ユニクロを展開するファーストリティリングは柳井正会長兼社長が二人の息子を取締役にする人事を発表した」との記事が掲載されてあった。私はこの記事を読み、即座に世阿弥の言葉を思い出した。約700年間にも及ぶ歳月の中で、紆余曲折を経ながらも厳然として家をつないできた「観世家」、その背景にはその家訓があったはずである。今回のこの人事は、柳井氏が将来的に会社を自分の子どもに継がせる布石かもしれないが、それで失敗した例は枚挙に暇がない。「家、家にあらず、次ぐをもて家とす」、先人の言葉は重い。
         平成30年10月12日 記 


          「grassとglass」について

 英会話の先生に、ベニスのムラーノ島で「ヴェネチアングラス」の工房を見学してきたと伝えたら、「grass」か「glass」かと聞き返されてしまった。日本人の最も苦手な発音を指摘されたなと即座に思ったが、修正する術をもたない身としては如何ともしがたかった。しかし、ベニスで「ヴェネチアングラス」を見たと話したら、誰も「grass」とは思わないだろうと考えるのは自分だけであろうか。話は、ある程度類推しながら聞けと言われるが、あの先生にはその力がなかったのだろうと勝手に考えた。
 かつて、その工房も二千軒ほどあったが、現在は数件にまで減少しているという。中国が多額のお金を出してその作り方を習得し、安価な品物を提供しているためだという。ベニスで作るから「ヴェネチアングラス」なのにとは思ったが、そんなことも、「grass」か「glass」かと聞き返す背景にあるのかもしれない。
         平成30年10月7日 記 


          「ヤとシー」について

 オランダのアムステルダム駅にいると、あちらこちらから歯切れのよい「ヤ」「ヤ」「ヤ」が聞こえてくる。ところが、イタリアは「シー」である。日本語で考えてみるとさしずめ「はい」になるのだろう。言葉が違うのだから当然なのだが、興味深い。      
         平成30年10月7日 記 


          「チャオの回数」について

 イタリアでは、会ったときや別れのさいに「チャオ」と言う。近くでファビオさんの電話を聞いていると必ず最後に「チャオチャオ」と言っていた。ところが、剣道仲間のマッテオさんは「チャオチャオチャオチャオ」と4回言うので、「何か法則はあるのか」と質問をしたら、大笑いをされてしまった。特に法則はなく、個人の好みらしいことが分かった。海外に出ると不思議なことに出会う。      
         平成30年10月6日 記 


          「エスプレッソとエクスプレッソ」について

 お世話になったイタリアのファビオさんのお宅では、朝食には必ずコーヒーが食卓に上る。エスプレッソかカプチーノである。そんな毎日を送っている時、私はエスプレッソをエクスプレッソと言ってしまった。これではまるでつくば駅を始発にしているエクスプレスである。知ったかぶりは禁物だ。      
         平成30年10月3日 記 


          「出国と出獄」について

 9月21日からイタリアのベニスを訪れていた。帰途についたベニスの空港で、同行した草山さんに「我々はもう出獄したの」と話しかけてしまった。一回目は聞き逃してくれた草山さんも、さすがに二回目には「出国です。出獄では刑務所から出ることになります」許さなかった。必死でイタリア人の会話を聞こうとした私の脳は、かなり混乱していた。何事も冷静さを失わないことが大切である。グラッツェ、ああまだ混乱しているようだ。       
         平成30年10月2日 記 


          「ゴッホの絵」について

 幕末、日本から輸出された陶器を包んだ紙は、浮世絵だった。その素晴らしさに感動したゴッホは、浮世絵を模写している。漢字も苦労して書いたのだろうと推測できる出来映えである。言葉は分からなくても、何かを読み取ろうとしたゴッホの気概が感じられた。幕末から明治維新、日本人は自国の文化を否定したが、それを評価したのが外国人であったとは皮肉なものである。       
           
            ゴッホ アルルの「はね橋」
            クレラーミューラー美術館

         平成30年9月18日 記 


         「海外で一枚の切符を買うこと!」について

 オランダの旅は楽しかったが、移動が公的な交通機関だったので、切符を購入することに難渋した。アムステルダム(首都)に8泊して活動していたが、移動はトラム、メトロ、バス、電車だった。アムステルダムは3日間フリーパスを利用していたので、電車以外は72時間フリーで便利だった。しかし、ロッテルダム、デンハーグ、ユトレヒト、オッテルローなどに行くには電車以外になかったので、拙い英語で聞かなければならなかった。どこ行きに何番線から乗車するのか、どこで下車するのか、どこで切符を購入するのかなど初めてのことばかりで、戸惑うことが多かった。だから、目的地に着いたときにはとても安堵した。今回の旅で、改めて英会話の必要性を認識した。老いた頭には荷が重いが、さらなる一歩を踏み出さなければらない。       
           
              デン・ハーグ

           平成30年9月18日 記 


          吉田兼好とゴッホ」について    

 オランダのクレラーミューラー美術館で「ひまわり」の絵を見た。その解説に、「ゴッホは咲き誇るひまわりよりも、枯れかかったものに美的なものを感じていた」とあった。これは、吉田兼好の『徒然草』(137段)に酷似していたので、とても驚いた。吉田兼行とゴッホは600年からの隔たりがあるが、その感性には共通するものがあったのである。ゴッホは、日本の浮世絵に傾倒し模写もしている。そして、構図や色彩を自分の絵の中に取り入れている。その根底には、こんな共通項があったのだと勝手に想像している自分がいた。
     
『徒然草』(137段
 「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀れに情(なさけ)ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所おほけれ」

         平成30年9月10日  記



           四君子(しくんし)」について    

 「四君子」とは、蘭、竹、菊、梅の4種を、草木の中の君子として称えた言葉である。「蘭はほのかな香りと気品を備え、竹は寒い冬にも葉を落とさず青々としている上、曲がらずまっすぐな性質を持っている。梅が早春の雪の中で最初に花を咲かせる強靱さ、菊が晩秋の寒さの中で鮮やかに咲く姿が好まれた」(ウィキペディアより)とあるように多くの人に好まれ、古来より画題にもなった。剣道でも、気位や気品はよく使われる言葉だ。剣道も 「四君子」の姿を参考にできないものであろうかと考えたら、実に哲学的である。
    
       かつての菊作り  平成18年10月26日撮影
           平成30年8月13日  記



          芸者」について    

 英会話でよく能面を話題に取り上げているが、小面(こおもて)を見せると、決まって「芸者か」と質問をされる。「15歳ぐらいの可愛い女性だ」といつも答えるようにしているが、それだけ知られている言葉なのだろう。多くの観光客が来日している今日でも、日本といえば「侍、芸者、すきやき」と考えている外国人も多いはずだ。それでは、我々が相手国のことをどれだけ知っているかというと甚だ疑問である。英会話の国々もセルビア、マケドニア、ウクライナ、アルバニア、アルメニア、ボスニア・ヘルツェゴビナと多岐にわたる。それまで、それらの国がどこに位置しどのような歴史的な背景があるかなど、ほとんど知らなかったと反省をしている。
 正しい日本を理解してもらうために、英会話の中で日本の伝統文化として「能楽、剣道、居合道」などがあると、稚拙な英語を駆使して発信している。どれだけ相手に伝わっているか怪しいものだが、日本の国際化に貢献しているのだと考えるのは大袈裟であろうか。
         平成30年8月11日  記




         「Can you speak English?」について

 私は長い間、「Can you speak English?」と尋ねるのが正しい方法だと思っていたが、失礼な言い方だと勘違いされることもあるという。「あなた、本当に英語話せるの?」というニュアンスになることがあり、上から目線の言い方だと誤解されるらしい。「Do you speak English?」が適切だ(『NHKおもてなしの基礎英語』)と書いてあったので、他のDVD(『おとなの基礎英語』)で確認したところ、そこでも「Do you speak English?」と質問していた。学ぶということは、新しい発見をすることでもあり、自分の間違いに気付くことでもあるんだと改めて感じた。

         平成30年8月7日 記 


         「伸るか反(そ)るか」について

 「伸るか反るか」は、「いちかばちか」という意で「伸るか反るか行動を起こす」などと使う。矢を作る時、竹を型に入れて反りを直す作業をした。取り出した矢が、真っ直ぐになっていれば使用できたが、反りのあるものはできなかった。「伸るか反るか」は、唾(かたず)を呑んで見詰めていた職人の気持ちを表したものである。だから、「乗るか反るか」が誤りなのは、一目瞭然である。

         平成30年7月28日 記 


         「縮痾(しゅくあ)」について

 讀賣新聞の「編集手帳」に「先頃国会で成立したカジノ法の評判が芳しくない。(中略)国内外から客が詰めかけ地域にお金を落としてくれたとしても、破滅する人は必ず出てくる。そうした賭け事の縮痾への嫌悪も多分に含む国民の声にちがいない」とあった。「縮痾」とは、「長い間治らない病気」の意である。すでにあるパチンコ、競馬、競艇、競輪などを考えれば、日本はギャンブル大国である。これ以上そのようなものを増やして何の意味があるのだろう。自民党は、どうやら日本を賭博大国にしたいらしい。観光立国を標榜するなら、もっと違うかたちがあるはずだ。

         平成30年7月26日 記 


         「すべからく」について

 「すべからく」とは、「須く」という再読文字(二度読む漢字)からきている。「人須く礼儀を重んずべし」の文中にある「須く・・・べし」が再読文字である。「当然・・・のはずである」という意になる。「学生はすべからく勉強に励むべし」などと使う。ところが、「販売された飲み物は、すべからく完売した」などと近年間違った使い方をしていることが多い。この場合は、「すべて」の意味で使われていて誤りである。間違いを指摘する時は、時と場所を考えないと思わぬ反撃を食らうことになるので、注意が必要だ。

【参考】
 すべからく【須く】(副) 〔漢文訓読に由来する語。「すべくあらく(すべきであることの意)」の訳。下に「べし」が来ることが多い〕ぜひともしなければならないという意を表す。当然。「学生は―勉強すべし」〔古くは「すべからくは」の形でも用いられた。近年「参加ランナーはすべからく完走した」などと,「すべて」の意味で用いる場合があるが,誤り〕「大辞林 第3版」
         平成30年7月24日 記 



         「大暑」について

 「大暑」とは、「二十四節気の一。7月23日ごろ。一年のうちで、最も暑い時期。」(デジタル大辞泉)である。まさに大暑、41.1℃を熊谷市で記録した。気象庁は、「災害と認識」との公的な発表も行った。日本のあの緩やかな季節の変化は、どこに行ってしまったのだろう。こうなると東京オリンピックが心配だ。誰が決めたのか、災害の中でオリンピックを開催することになる。選手第一ではなく、商業主義に陥った醜いエゴが垣間見える。
 「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」(村上鬼城)、くれぐれも熱中症対策を怠りなく。
         平成30年7月23日 記 


         「看過できない」について

 「参院定数を6増する改正公職選挙法の成立」「カジノ法案」など自民党の暴挙が続いている。それに対して野党の党首が「・・・看過できない」と話していたが、野党がしっかりしていないと国家百年の大計を誤るおそれがある。「カジノ法案」など論外である。外国人観光客が増えているが、その人たちの目的は、伝統文化、自然、芸術、食などであるはずだ。7万人の雇用を生み出すなどと豪語しているが、それを越えた負の部分を見逃してはなるまい。日本を博打の国にしてよいのか、まさに看過できない問題だ。
         平成30年7月19日 記 


         「突然の突風」でいいのか

 NHK水戸放送局が午後8時45分からのニュースの中で、「雷や突然の突風に・・・」と流していた。「突風とは、突然吹き起こる強風」のことである。これは、重複表現である。強い違和感を覚える。
 頭痛が痛い 鉄の鉄橋 馬から落馬する お金を入金する 
         平成30年7月14日 記 


         「幕間」の読み方について

 「幕間」は「まくあい」と読む。「演劇で、一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間」のことを指す。「あい」という読み方が表外読み(常用漢字表にない読み方)のため、間違いやすい。能楽の間狂言(あいきょうげん)、菊の品種の間管(あいくだ)、寄席の間囃子(あいばやし)などの言葉がある。表外読みは「平仮名書き」とすることが一般的らしいが、「あい狂言」と記載したら、それこそ間(ま)が抜けている感じがする。読めなければ、ルビを付ければいいだけのことであり、軽々な判断は日本文化の衰退に繋がる。
        平成30年7月12日 記 


         「おもてなしの基礎英語2」から

 NHK教育テレビが「おもてなしの基礎英語」で、「I'll give you a hand with that(それお手伝いしますか) 」の文が出てきた。直訳すれば「手をかしますか」ということになる。英語でも日本語でも、手伝うことを「手をかす」と言うんだと、とても不思議な気持ちになった。言葉は違っても考えることは同じだ。そう考えると宗教だ、政治だ、国益だと国と国とが争っていることは、馬鹿げたことではないだろうか。
        平成30年7月11日 記 


         「承(うけたまわ)る」について

 「承る」は謙譲語(自分の行動をへりくだる言葉)である。よって、部下が上司に「・・・の件、承っていますか」とは言うことができない。この場合は「ご存知ですか」とか「お聞きお及びでしょうか」となる。もちろん、「承っていらっしゃいますか」などは論外(謙譲語に尊敬語をつけても敬語にはならない)である。
 「ご存知ですか」に似た表現で「存ずる」があるが、これは謙譲語である。「それについては存じております」などと使用する。様々な場面で適切に使わなければならないのが、敬語である。
        平成30年7月10日 記 


         「おでこ」について

 NHK朝のニュースで、広島の氾濫した川の近くから中継したアナウンサーが、「気温が上昇してきて、立っていてもおでこに汗が・・・」と話していた。「おでこ」は、あくまでもくだけた言い方であり、その場に相応しくないと感じた。「額」が適切だろう。
        平成30年7月9日 記 


         「おもてなしの基礎英語」から

 NHK教育テレビが「おもてなしの基礎英語」と称して、ドラマ仕立ての英会話の番組を放映している。その中で、出演者のハリー杉山(日本生まれのイギリス育ち)が、「toiletは直接的なのでlavatoryかlooを使用する」と言っていた。さらに、「Where do I wash my hands?」といった婉曲的な表現があると紹介していた。そういえば、日本でも、「便所」とは言わず「厠やお手洗い」などと別称で言うこともある。洋の東西を問わず、考えることは同じなんだと感じた。
        平成30年7月8日 記 


         「月の名」について

 
今日の讀賣新聞「四季」の欄は、松尾芭蕉の「手をうてば木魂(こだま)に明(あく)る夏の月」の紹介であった。この月は「二十三夜の月」だということだ。「そろそろ夜も白みはじめるだろう。夏の青い夜空を走るこだまが目に見えるかのような一句」との解説も掲載されてあった。私のもっとも敬愛する俳人である。

 月の名前は「満月」ばかりではない。それぞれに名前があり、漆黒の闇の中で月を待ちこがれた気持ちがよく分かる。
  十六夜の月(いざよいのつき)
   「いざよい」はためらう意。日没後、出るのをためらう月。
  立待月(たちまちづき)(新月から17日頃)
   日没後、立って待っていても見られる月。
  居待月(いまちづき)(新月から18日頃)
   座っていないとくたびれるくらい月の出るまでに時間がある月。
  臥待月(ふしまちづき)(新月から19日頃)
   横になって待っていないと出ない月。寝待月(ねまちづき)ともいう。
  更待月(ふけまちづき)(新月から20日頃)
   夜が更ける頃に昇ってくる月。
  二十日余りの月(新月から22日頃)
  二十三夜月(新月から23日頃) 
 吉田兼好も『徒然草』の中で、ある女性の行動を「なほ、事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。やがてかけこもらしまかば、口をしからまし。あとまで見る人ありとは、いかでか知らん。かやうの事は、ただ、朝夕の心づかひによるべし」(32段)、「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨にむかひて月をこひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほ哀れに情(なさけ)ふかし」(137段)と述べている。
 月は、日本人の美意識にとってかけがえのないものであった。
        平成30年7月5日 記 


         「漢字の書き方読み方」について

 桂歌丸が亡くなり、テレビでも生前の姿を放映していた。ある落語家が発した言葉を字幕で「人の最後」と記載していた。これは「人の最期」である。また、今朝の「あさチャン」では、「サッカーの日本チームは・・・模範」の「模範」を「きはん」と読んでいた。どこから、そんな読み方が出てくるのか聞きたかった。視聴率ばかりに拘泥して、局もアナウンサーも自己研鑽を怠っているのではないか。
         平成30年7月4日 記  


         「念頭に入れて・・・」は間違い

 ある番組で講師が「・・・念頭に入れて・・・」と話していた。正しくは「念頭に置いて・・・」である。間違って上記のように言ってしまうことがある。これもやがて市民権を得て、「念頭に入れる」が正しいなんてことになってしまうのかと戦々恐々としている。いつもこのように人の間違いばかりを探していると、「では、貴方はどうなの」と言われそうである。他山の石として我が身を正しているのであるが、密かにほくそ笑んでしまうこともある。そうそう「他山の石」の使い方もご注意を!
  他山の石
 「他山の石、以(もっ)て玉を攻むべし」、よその山から出た粗悪な石も自分の玉を磨くのに利用できるの意から、他人のつまらぬ言行も自分の人格を育てる助けとなりうることのたとえ。 (大辞林)間違っても「上司の言動を他山の石として」などと使ってはなりませぬ。
         平成30年6月29日 記  


          六道」について 
   
 組内でお葬式があり、六道を務めた。昔と違い埋葬するための穴を掘ることはないので、気分的には楽であった。「六道」とは「仏語。衆生がその業(ごう)によっておもむく六種の世界。生死を繰り返す迷いの世界。地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道。」(デジタル大辞泉)となる。また、「六道の役割」として次のような説明もある。
 「六道の役割について」
 陸尺(ろくしゃく=六尺、または六道)呼ばれる役割があり、棺かつぎや墓穴を掘る人のことで、重要な役目であったことから墓から帰ってくると一番風呂に入ってもらい、酒でもてなしたりしていました。現在茨城ではほぼ100%が火葬であるため墓穴掘りはしませんが、墓地へ遺骨を運んだり納骨の手伝いをして、世話役となっている地域があります。陸尺は作業しやすいように喪服ではなく作業服を着、組内で役割が順に回ってくることが多いようです。

 ところで、吉田兼好は『徒然草』の中で「 あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ち去らでのみ住み果つる習ひならば、いかにもののあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。」と人生の無常を述べている。お葬式に参加すると、常にこのくだりが脳裏に浮かんでくる。
         平成30年6月27日  記


          大地震」「大舞台」はどう読む? 
   
 「だい」か「おお」かは、迷うところである。「NHKことばのハンドブック」を参考にして考えてみると分かり易い。日本語は難しい。

NHKことばのハンドブック
 接頭語「大」のつくことばで、読みが(ダイ)か(オー)か、よく迷うところですが、これには一般的な決まりがあります。原則として、「大」のあとに漢語(音読み)がくると(ダイ)、「和語」(訓読み)がくると(オー)です。
例えば・・・
  (ダイ) 大英断 大音声 大草原 大打撃 大接戦 大洪水など
  (オー) 大金持ち 大酒飲み 大入袋 大通り 大売り出しなど
しかし、「大地震」の場合は例外的に(オージシン)と読む慣用がありました。このほか、次のことばも「大」のあとに漢語(音読み)がきていますが、慣用的に(オー)と読むことになっています。「大火事」「大御所」「大道具」「大所帯」「大騒動」「大相撲」など。

 『方丈記』に、「おびただしき大地震(おおなゐ)ふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて、川を埋(うず)み、海はかたぶきて陸地(くがち)をひたせり。土さけて、水湧き出で、巖(いはお)割れて、谷にまろび入る。渚こぐ船は、浪にたゞよひ、道行く馬は、足の立處をまどはす。」とある。やはり、大地震は「おお」となっている。

 昨日、サッカーの試合についてコメントを求められた解説者が「・・・ワールドカップの大舞台で・・・」と発言していた。ところが、「大舞台」を「だいぶたい」と発音したのである。この「大舞台」の読み方は、「おおぶたい」である。間違って読むことのないようにしたい。

(参考)
NHK文化放送研究所
 現在、「大舞台」の読みについては、「「晴れの場・活躍の場」の意味の時は①「オーブタイ」②「ダイブタイ」、古典芸能の場合は「オーブタイ」(×「ダイブタイ」)」として、「オーブタイ」を推奨の読みとしています。しかし、実は一時期、「活躍の場」の意味の場合は、「ダイブタイ」の読みのほうを推奨としていたことがあります。昭和63年と平成3年に行った調査で、「ダイブタイ」と読む人が8割近くいたことなどから、第1121回放送用語委員会(平成5年)で審議し、「活躍の場」の意味では「ダイブタイ」、古典芸能の場合は「オーブタイ」と、意味による読み分けをすることにしたのです。しかし、近年「大舞台」という語がかなり使われるようになった結果、「オーブタイ」が伝統的な読みであり、「ダイブタイ」は誤用であるという意識が広がりはじめ、放送で「ダイブタイ」を使うと「オーブタイ」の間違いではないか、などといった問い合わせを多く受けるようになりました。また、国語辞書も、「ダイブタイ」の読みを載せている辞書はありませんでした。そこで、第1275回放送用語委員会(平成17年)で、再度検討し、推奨の読み方を「オーブタイ」に戻すことにしたという経緯があります。当時の用語決定報告でも詳しく示されています。参考にしてください。
         平成30年6月26日  記



       「居られます」について

 教育評論家の尾木直樹(通称尾木ママ)が、ニュース番組で「・・・が居られます」と言っていた。これは間違いである。
    「居」・・・下一段活用の動詞の未然形 謙譲語
    「られ」・・尊敬の助動詞「られる」の連用形
 謙譲語に尊敬の助動詞を付けても、尊敬語にはならない。謙譲語は自分の行動をへりくだる表現だからである。この間違いが実に多い。
           平成30年6月25日 記  


        「百聞は一見に如かず」について

 先日NHKの英会話講座を見ていたら、「A picture is worth a thousand words」という文をやっていた。日本語に訳すると「百聞は一見に如かず」となるという。なるほどと妙に納得した。どの国にも同じような考え方があるものだと感心しながら、言葉の不思議さを感じた。
           平成30年6月13日 記  


       「英会話から世界が見えてくる5」について

 つくばのララカーデンの「わくわく広場」に果樹を卸している。現在販売しているのは梅である。梅に値段を付けて店頭に並べるまでが、私の仕事だ。その後は、珈琲を飲むのも食事をするのも、私の心次第である。つくばまで足を伸ばすと、きまってそんな虫が騒ぎ出す。
 私のお気に入りは、二階のインドカレー店だ。経営者はネパール人で、ナンがもちもちとしてとても美味しい。従業員さんは英語が堪能なので、英語で話すように先日お願いした。ちょっとした英会話の練習である。その方が、帰国した時レストランで「すみません」と無意識に言ってしまったと話していた。日本に住んで13年、すっかり日本語が身に付いて、英語を忘れてしまうとも言っていた。かたや英会話に悪戦苦闘していて、かたや日本語が上手になっている。世の中は様々である。
           平成30年6月10日 記  


       「英会話から世界が見えてくる4」について

 現在、4カ所で梅を販売している。それに合わせて英会話でも梅ジュースや梅干しの話を取り上げている。おにぎりを作る時、中に梅干しを入れ海苔で包むのだと話して、海苔を知っているかと聞くと、全員知っていると返答してくる。驚いたことにどの国にも日本食のレストランがあり、そこで寿司を食べているのである。ちなみに海苔は「seaweed」である。しかし、その日本食レストランで提供される食べ物が、我々が食べているようなものかどうか、にわかには信じがたい。
           平成30年6月9日 記  


       「巨人の4番」について

 先日巨人の岡本が4番に就いた。案の定、翌日の新聞には「第89代の4番打者・・・」と記載されてあった。巨人以外で、このように第何代などと言っているチームがあるだろうか。聞いているこちらが恥ずかしくなってしまう。優勝もできない、他のチームから優秀な選手を引き抜くばかりで若手を育てようとしない、過去の栄光に幻影を抱いている巨人。落城著しい現状をしっかり認識して、このような時代にそぐわないことは即座に止めたほうがいい。このように痛烈に批判する私は巨人ファンである。
           平成30年6月4日 記  


       「英会話から世界が見えてくる3」について

 今日の英会話で、日本武道館に剣道の稽古に行ったことを取り上げた。そこに行くためには、3回乗換をしなくてはならない。そのことを話すと、間髪(かんはつ)を入れず「Are they punctual?(電車は時間どおりにきますか)」と質問してきた。このことは、以前も聞きかれた。穿(うが)った見方をすれば、その国(セルビア)では時間どおりに電車が来ないことが日常的なのだろう。日本にいると電車は時間どおりに来ると思いがちではあるが、決して世界標準ではない。でも、やはり電車は時間どおりであってほしいものだ。
           平成30年5月26日 記  


        「自己犠牲」について

 三島由紀夫と石原慎太郎が「男らしさ」について談じた時、それについてどのように考えているか紙に書いて同時に出そう、となったそうである。いみじくも二人が書いたのは「自己犠牲」であった。しかし、この言葉は今の日本では死語になってはいないか。国の長にしても、どこかの大学のある部の前監督にしても、まったく同系列にある。自分自身が関与もしくは発言しているにも拘わらず、部下や学生の責任にして自分は頬被りてしてまっている。情けないことだ。 
           平成30年5月24日 記  


        「給桑(きゅうそう)」について
 
  皇后様が最後の給桑(蚕に桑の葉を与えること)を行った、と讀賣新聞が掲載していた。「皇后の養蚕は明治天皇の后だった昭憲皇太后が始め、歴代皇后に受け継がれており・・・」とは意外であった。古来より営々と受け継がれてきたものだと思っていた。
 ところで、桑の葉というと「桑の葉の照るに堪へゆく帰省かな」(水原秋桜子)の俳句を思い出す。いかにも夏らしい句ではあるが、桑畑もほとんど見かけなくなってしまった。 
           平成30年5月22日 記  


        「字幕」について
 
  NHKの「西郷どん」を見て驚いた。奄美大島の言葉に、なんと字幕が付いていたのである。西郷隆盛が流された奄美大島での出来事を描いている場面ではあったが、字幕がなければ理解できないほどではなかった。同じ日本の言葉を字幕で放映しなければならないほど、日本人は無能になってしまったのか。NHKの放映の仕方にも憤懣やるかたない。せっかくの薩摩弁も色褪せてしまう。
           平成30年5月20日 記  


    「辻褄(つじつま)が合う」について
 
  「辻」は着物の縫い目の十字に合う部分のこと、「褄」は着物の裾の両端のこと。どちらもしっかり合っていること合が大切だ。そこから、道理に合っていることを「辻褄が合う」と言うことになった。感情的に話すと辻褄が合わなくなるから気を付けたい。
           平成30年5月14日 記  


    「相槌を打つ」について
 
 英会話で毎日セルビアの講師の方と話をしているが、適切に相槌を打ってくることに感心している。日本人ではこうはいかないだろうとよく考える。ところで、「相槌を打つ」とは、「相手の意見に頷いて調子を合わせる」という意で、刀などを作る時、師匠が打つのに合わせて弟子が槌を打ったことが語源である。 童謡 「村のかじや」にも「しばしも休まず槌うつ響き 飛び散る火花よ走る湯玉」と歌われている。蛇足になるが、「相槌を入れる」と昨今耳にすることが多くなったが、誤りである。
           平成30年5月9日 記  


    「惹起」について
 
 国民民主党が発足したが、野田佳彦前首相は参加しなかった。その理由の中に「惹起」という熟語が使われていた。その意味は「事件や問題をひきおこすこと」である。こんな言葉も、やがて消えていくのだろうか。
           平成30年5月7日 記  


    「英会話」から世界が見えてくる2
 
 先日胃カメラの検査をして、その結果が出た。心配したが、それは杞憂に終わった。そんなことも英会話の話題にしている。その流れの中で、講師の方(セルビアの20代前半の女性)にご両親はお元気ですかと尋ねたら、一人は二年前に母親を亡くしもう一人は三年前に父親を亡くしていた。おそらく二人とも50代と考えられる。調べてみたら、平均寿命が日本とセルビアでは10歳以上も違っていた。日本では100歳時代などと言われているが、世界的にみるとそれは普通のことではない。我々は何不自由なく生活して生を享受しているが、その生を無駄にしてはいないだろうか。時代の趨勢の中でインターネットを使って、一昔前なら決して会えない海外の人とリアルタイムに話ができるようになった。茨城にいても世界が具に見えてくる。自分の立つ位置をしっかり考えたいものだ。
           平成30年5月4日 記  


    「日本語が聞こえない」について
 
 4月30日、久しぶりに金閣寺を訪れた。しかし、そこはさながら外国であった。飛び交うのは、英語、フランス語、スペイン語、中国語、韓国語、タイ語(はっきりとは分からないが)ばかりであり、日本語があまり聞こえない。日本人が小さくなっている姿に隔世の感を覚えた。あのしっとりとした京都の風情はどこかにいってしまったようだ。そんな中、7ケ国(オマーン、カナダ、アメリカ、スイス、台湾、中国、イタリア)の人たちと会話(6割ぐらいの理解)をしてみると、彼らが一様に「日本人はfriendlyでkindだ」と返答してくるのが救いだった。東京オリンピックに向けて、益々多くの外国人が日本を訪れるであろう。そのためには多くの課題を解決する必要があるようだ。
           平成30年5月3日 記  


    「親譲り」について
 
 夏目漱石の『坊っちゃん』は、「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」と始まる。坊っちゃんの性格は親から譲り受けたものであり、それ以外のものでない。
 今朝、TBSテレビが、楽天のオコエルイの妹オコエモニカを紹介していた。彼女は運動神経が良く、バスケットをしている。アナウンサーが「兄譲りの運動神経で・・・」と紹介していた。それでは、オコエモニカの父親はオコエルイかよ、と言いたくなってしまった。ああ、残念。
            平成30年4月25日 記  


    「日本語と英語」について

 昨日、日本武道館の合同稽古に参加した。突然「網代先生はどちらにいますか、漢字が難しくて読めないんです」と外国の方から声をかけられた。「Unfortunately, I can't confirm him」と返しながら、これはチャンスとばかり話しかけた。「Where are you from?」「ベルギーです」、「How long have you been staying in Japan?」「2年間です」、「How long have you been practicing kendo?」「12歳からですから11年目です」、「Where did you start to practice kendo?」「フランスです」、「What degrees do you hold in kendo?」「4段です」と。英語で話しかけているのは日本人である私、日本語で答えているのはベルギー人である。これはもしかしたら逆ではないかと、疑問がわいてきた。
 昨夜、ニュースの解説でおなじみの池上彰が、「英語を幼いうちから学ばせるのは反対だ。そうすることによって、どっちつかずの人間になってしまって駄目になる。論理的な思考力は、やはり母国語によって磨かれる」と言っていた。国語力がないために、数学や理科の問題が解けない生徒が増えているとも危惧していた。藤原正彦も「なぜ国語が初等教育の中心であるべきか。一番目の理由は、言語を学ぶという目的があるからです。生活をするうえでも学問をするうえでも、国語はすべての出発点です。二番目は、国語をきちんと学ぶことで論理的思考能力が身についていくからです。算数や数学の先生は、算数や数学を勉強することで論理的思考ができるようになると言いますが、それはウソ。それが証拠に、数学者の多くが論理的ではありません。」と述べている。子どもたちに幼いうちから名文に親しませ、しっかりと日本語の基礎を身に付けさせることは日本の将来に関わることだ。
 65歳から英会話を始めた私は、爛れた脳みそに活を入れながら、日々悪戦苦闘している。毎日25分の英会話の時間は、苦痛そのものである。なぜもっと早く始めなかったのかと後悔しているが、日本語を身に付けてからという論理には合致している。そのように己を正当化して、今日もセルビアのお姉さんとの格闘が続く。
            平成30年4月17日 記  


    「土俵の女人禁制」について

 先日舞鶴市の大相撲巡業で、市長が挨拶中に倒れ意識不明に陥った。応急処置のために土俵に上がった女性に、土俵から下りるようにとのアナウンスがされた。市長は一命は取り留めたものの、一ヶ月間の入院安静が必要だという。人間の命以上に大切なものはないと考えれば、神事や伝統などは問題ではない。突発的な出来事に対処しようとした女性が、どうして土俵を下りる必要があろうか。「女人禁制」が問題なのではない、既成の概念に拘泥し事の本質を理解できないことにある。今回のことも大相撲協会の一連の不祥事の延長にある。伝統に胡座をかき、改革を実行しない帰結だと言っても過言ではないだろう。      
         平成30年4月6日 記  


    「台湾」について

 台湾に行ってきた。英会話に日々努力している我が身としは、是非ともこの機会を逃すまいと意気込んでいた。しかし、現実はそう簡単ではなかった。ホテルや観光地で英語で話しかけても、日本語で返されてしまうのである。日本人であることが見透かされてしまっていたのだ。もちろん、背景には訪れる人の90%が、日本人であるということもある。日々日本語を使うことが求められてきたのであろう。有名な小籠包(しょうろんぽう)のお店では、胸に日本の国旗を描いたバッチを付けた女性が忙しく働いていた。聞いたところ日本語が話せる印で、大卒の初任給が10万円ほどなのに、2万円の給料の加算があるということであった。当然アメリカや韓国のバッチを付けている従業員もいた。限られた国土の中では、このような努力も必要なんだろうと改めて考えさせられた。
 台湾の英語事情を聞いたところ、日本と同じで勉強はするが話せないのが現実らしい。少子化に伴い小さいうちから英語を習わせている家庭が増えてきた、とガイドさんが言っていた。そういえば、エレベーターの中で「何歳ですか」と英語で尋ねたら、「six」と返ってきた(ここでも英語を話そうとする私の涙ぐましい努力が垣間見える)。
 長く日本の植民地にありながら、台湾は親日国である。「あの橋もこのビルもあの鉄道も日本のお陰でできました」と感謝の言葉を述べていたのはガイドさんだった。彼女もまた日本の占領下に育った祖父(小学校では日本語の教育を受けた)の影響を受けて、日本の大学に留学したと話していた。ホテルでレストランでお店で、多くの方が日本語を話すからといって、それに甘んじてはいけない。過去の不遜な歴史を忘れてはならない。未だに従軍慰安婦だのと言っている国とは違って、安心できる国であった。      
         平成30年3月28日 記  


    「金泥」について

 今日の讀賣新聞に「金泥に舟を描きぬ水ぬるむ」(武藤紀子)という俳句が掲載されてあった。その中に「金泥」とあるが、これは金粉(純金を粉にして作る)を膠液で溶かしたものである。金粉は金相場にも左右されるが、0.4グラムで4,000円ほどする。面(おもて)の作成には、これを日常的に使用する。下記の面にはそれぞれ2袋ほどの金粉が使用されている。以前、代用品を使用したこともあったが、純金の輝きには勝てない。やはり、似非(えせ)では駄目なのである。これは何事も同じだろう。
      
         平成30年3月23日 記  


    「英会話」から世界が見えてくる1

 昨日の英会話の講師は、セルビアの26歳の男性であった。「職業は」と聞いたら、「英会話の先生」と答えてきた。私は、英会話の講師はほんのアルバイト程度かなと考えていた。というのも、英会話の月謝は月5900円だからである。1日に換算すると200円弱で、25分のレッスンを受けられる仕組みだ。そうすると、講師の手にはどんなに多く見積もっても、一回につき150円は入らないであろう。1日14コマ(7時間)入れても2,100円、1カ月で65,000円ぐらいにしかならない。どんなに物価が安くても厳しい生活には変わりはないはずだ。
 若者の失業率が20%で、彼は大学を卒業後、仕事を見付けたが就職できなかったと話していた。日本は人手不足で、廃業する企業もあるという。日本だけにいると、この生活が当たり前だと思いがちだが、世界的に見ると様相は一変する。自分たちの生活を見直してみる必要があると考えさせられた。
         平成30年3月19日 記  


     「卒業式」について

  
校塔に鳩多き日や卒業す    中村草田男
  梅香る父母に感謝の門出かな   山崎 淳一

 
今日は茨城県の多くの中学校で、卒業式が行われる。卒業式、正式には「卒業証書授与式」である。日本人は言葉を短くすることが好きなので、こうなるのだろう。穏やかで厳粛な卒業式になることを願うばかりだ。
 ところで、平成元年度の卒業生は48、010名いたが、平成29年度は25、358名まで減少している。これは、茨城県に限ったことではなく、日本全国あまねくそうである。人口減少は、高齢化、労働人口の減少、空き家の増加、年金制度の存亡、地域社会の崩壊など様々な問題を引き起こしている。大所高所から政治的な施策を講じなければならなかった問題である。一部の政治家を守るために、公文書の書き換えなどやっている場合ではない。喫緊の課題が多くあるのに、劣悪な政治家(せいじやと呼びたい)が何と多いことか。切歯扼腕(せっしやくわん)するばかりだ。
          平成30年3月13日 記 


     「知っていること」と「教えること」について

 昨日の英会話は最悪であった。私はあまり理解できないので、「初心者なのでゆっくり話してください。難しい言葉は理解できません」と伝えている。ところが、相手の講師は一方的にまくし立てるだけで、一向にこちらに合わせようとしない。会話の途中にも何度か「英語が理解できないので、ゆっくり話してください」と訴えたが、改善されることはなかった。「教えること」を自分の知識を最大限に与えることだと誤解しているようであった。相手の状況を具に理解して、どの程度なら可能なのかという判断ができない人らしかった。理解できなければ、相手の目線に立って平易な言葉に置き換えることが大切なのである。やはり、「知っていること」と「教えること」は、根本的に違う。
 教育界の大先達である大村はまは、『教えるということ』の中で「教師として子どもへの愛情というものは、とにかく子どもが私の手から離れて、一本立ちになった時に、どういうふうに人間として生きていけるかという、その一人で生きていく力をたくさん身に付けられたら、それが幸せにしたことであると思いますし、付けられなかったら子どもを愛したとは言われないと思います。親も離れ、先生もなくなった時、一人で子どもがこの世の中を生き抜いていかなければなりません。その時、ことばの力がなかったら、なんとみじめでしょうか。国語の教師としての私の立場で言えば、その時、ことばの力がなかったらいかにみじめかと思います。平常の聞いたり、話したり、読んだり、書いたりするのに事欠かない、何の抵抗もなしにそれらの力を活用していけるように指導できていたら、それが私が子どもに捧げた最大の愛情だと思います。
 そのほかのことは、後になってみれば、嬉しかった思い出にすぎないのです。生き抜くときの実力になっていない単なる愛というものは、センチメンタルなものだと思います。ですから職業人に徹するということは、子どもが一人で生き抜くために、どれだけの力があったらよいか、それを鍛え抜こうとするのが、それが先生の愛情だと思いますし、ほんとうに鍛え抜く実力が先生の技術だと思います」と述べている。これを読むとちょっとできるからといって、軽々に「先生」などと呼んではいけないことが分かる。「先生」と呼ばれるためには、相当な覚悟が必要なのである。
          平成30年3月12日 記 


     「存亡の秋(とき)」について

 今日の讀賣新聞の一角に「存亡の秋(とき)」は、どうしてこのように書くのかという文章があった。「穀物や果物を収穫する秋は、一年のうちでも最も大事な季節です。そこで、存亡がここで決まるという大事な時、時機を表すのに秋の字をあてたのでしょう。だから春先に来る存亡の秋(とき)もあるはずです。」 とのこと、妙に納得がいった。日本は農耕民族、自然を大切にして共に生き畏怖し、収穫の喜びを感じてきた。農業をないがしろにしてはいけない。食料を断たれたら、最も脆弱なのが日本ではないのか。先進国でこのように食料自給率(平成28年度38%)が低い国はない。「衣食住」ではなく、「食住衣」だろう。一つの言葉からこのようなことも考えさせられた。
          平成30年3月7日 記 


     「スロベニアとスーバニア」について

 「Sloveniya」と「souvenir」、前者はヨーロッパの「スロベニア」であり後者は「お土産」だ。英語に慣れていない我が身は、「なぜここでスロベニア」と狼狽してしまった。相手は「お土産か」と質問してきたのである。
 吉田兼好『徒然草150段』に「天下(あめつち)のものの上手といへども、始めは、不堪(ふかん)の聞えもあり、無下の瑕瑾(かきん)もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒(ほうらつ)せざれば、世の博士(はかせ)にて、万人の師となる事、諸道変るべからず」これを心の糧に努力の日々は続く。
          平成30年3月6日 記 


     「名伯楽」について

 オリンピックの選手たちが昨日凱旋した。活躍した選手たちの後ろに名コーチがいることを忘れてはなるまい。スピードスケートにおいては顕著である。トレーニングの仕方はもちろんのこと、栄養学や選手としての心の部分まで踏み込んで指導している。
 「世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。」とある。世界で活躍するためには、本人たちの努力はもちろんのこと、名伯楽との出会いも大切だ。それを構築するのは国であり、各競技団体だ。組織内で権力争いなどしている団体は論外だ。
          平成30年2月28日 記 


     「トラベルとトラブル」について

 ネットを利用した英会話を始めて約一ヶ月になる。オランダにあるレンブラントの「夜警」を見たいのでそこに行きたいと伝え、さらにフェルメール、ゴッホ、ロイスダールなどの作品も鑑賞したいと話した。その後、「Where do you want to travel to?」と先生が質問してきた。しかし、それがどうしても聞き取れないのである。「travel」が「trouble」と聞こえ、「Where、trouble」などの単語が錯綜し、まさに「confusion」の状態になってしまった。英語は日本語と違い同音異義語が少ない、冷静に考えれば分かりそうなのだが、分からないというのはそのように混乱してしまうことなのだろう。
 教育界の大先達である大村はまは、その著『教室をいきいきと』で「真心をこめてやれば何でもやれるというものではない。人生の先輩である教師は,やれない悲しみを胸に持って,そして,子どもを励ましたいものです。やってもできないことが相当あると言うことを考えて,不始末というか不成績を温かな目で見たいのです。」と述べている。
 老骨に鞭打って始めた英会話も遅々として進まない。行きつ戻りつの日々を考え、はたして自分は現役の時、大村はまのような考え方をしていたのだろうかと自責の念にかられる。 
   
       平成30年2月26日 記 


     「踏み絵」について

 ピョンチャンオリンピックの閉会式に出席するため、北朝鮮では金英哲(キム・ヨンチョル)朝鮮労働党副委員長を代表とする代表団を送ってきた。その意図をある番組のコメンテーターが「韓国に対する踏み絵・・・」と話していた。「踏み絵」とは、江戸幕府が当時禁止していたキリスト教の信徒を発見するために使用した絵である。その状況を表した言葉だけが、このように使用されるのかと不思議に感じた。
 平成26年五島列島に行った時、堂崎教会で初めて「踏み絵」を見た。摩滅したその絵は悲しみを語っていた。
       摩滅せし踏み絵や黙す秋時雨    山崎
        
         
五島列島 堂崎教会
        平成30年2月25日 記 


     「潔さ」について

 中学生棋士藤井聡太六段の活躍で、将棋の公式戦の結果をテレビでよく見かけるようになった。その折り、負けた方が必ず「負けました」と投了している。先日の一戦でも、負けた羽生善治竜王が頭を下げていた。そこに美学を感ずるのは、私だけであろうか。しかも、勝者は驕らず敗者は卑屈にならない。凄味すら感じさせる。
 三島由紀夫と石原慎太郎が「男らしさ」について談じた時、それについてどのように考えているか紙に書いて同時に出そう、となったそうである。いみじくも二人が書いたのは「自己犠牲」であった。「潔さ」と「自己犠牲」は同じ系譜にある。
       平成30年2月21日 記 


     「英語にすることの難しさ」について

 英会話を始めて、日本語を英語にする難しさを味わっている。日本語も十分ではない身とすれば、無謀な振る舞いであることは間違いない。しかし、吉田兼好の『徒然草150段』に背中を押されて頑張っている。
 「いまだ堅固かたほなるより,上手の中にまじりて,毀(そし)り笑はるるにも恥ぢず,つれなく過ぎて嗜(たしな)む人、天性その骨(こつ)なけれども,道になづまず,みだりにせずして,年を送れば,堪能(かんのう)の嗜まざるよりは,つひに上手の位にいたり,徳たけ,人に許されて,双(ならび)なき名を得る事なり。」『徒然草150段』
        平成30年2月17日 記 


     「英会話の回数」について

 一万時間をかけて一角になるということなので、「英会話」の時間数について考えてみた。加入した「英会話」の規約では、一日25分となっている。一週間で約3時間、そうすると一年間では約156時間しかできない。一万時間に達するのに、なんと64年間もかかってしまう。私は優に100歳を越えているではないか。「大は方所(ほうしょ)に絶し、細(さ)いは微塵(びじん)に至る」という、考え方によっては大宇宙であり細かい塵埃(じんあい)にもなるとする。考え方が大切か。
       平成30年2月11日 記 


      三回目の「他人事」について

 ある芸能人が、娘が大麻を所持していたということで記者会見を開いていた。その中で「今まではタニンゴトだと思っていたが・・・」と発言した。おそらく「他人事」を頭に入れて発した言葉だと思われるが、正しくは「ひとごと」である。
 ところで、成人した大人の所業に対して、親はいつまで責任を取らなければならないのだろうか。生計の違う子どもの行動を、「親の監督不行き届きで」でもあるまい。
      平成30年2月2日 記 


     能「高砂」の詞章(ししょう)について

 能「高砂」の一節に、「山川萬里(さんせんばんり)を隔つれども互に通う心遣いの妹背(いもせ)の道は遠からず」とある。「妹」と「背」については、このコーナー(平成30年1月23日)でも紹介している。いつの時代も相手を思いやる気持ちに変わりはない。だからこそ、このように詞章として残っているのであろう。
      平成30年1月29日 記 


     「蠢動(しゅんどう)」について

 「蠢動」とは、「虫などがうごめくこと。また、物がもぞもぞ動くこと」である。選挙になると利権を求めて、色々な人物がもぞもぞ動き出す。そんな世界から距離を置いているので、清々しく生きられる。大切なことだ。
      平成30年1月27日 記 


     「抗弁(こうべん)」について

 昨日の「相棒」で、出演者が「・・・抗弁できませんね」と言っていた。「抗弁」とは「相手の主張ややり方に反対して弁ずること」であるが、法律関係では「民事訴訟法上,相手方の申し立てまたは主張を単に否認するのではなく,その排斥を求めてそれと相いれない別の事項を主張すること」となる(三省堂大辞林より)。普段あまり聞き慣れない言葉だが、「相棒」ではそのような言葉をよく使用する。「面従腹背」という四文字の熟語も発せられていた。注意してドラマを見ていると面白い。
      平成30年1月25日 記 


     「背(せ)と妹(いも)」について

 『万葉集』に「背」や「妹」を使用した短歌がある。「背」は親しい男性(夫、兄や弟、恋人)を指し、「妹」は親しい女性(妻、姉や妹、恋人)を指している。
 
    防人(さきもり)に 行(ゆ)くは誰(た)が背と 問ふ人を
   見るが羨(とも)しさ 物(もの)思(も)ひもせず
 【口語訳】
  「防人に行くのは誰のご主人」と悩みも無く聞く人を見ると羨ましい。
 
   我(あ)が面(もて)の 忘れもしだは 筑波嶺(つくはね)を 
   振り放(さ)け見つつ 妹(いも)は偲(しぬ)はね
 【口語訳】
  私の顔を忘れてしまったら、筑波山を見てなつかしんでください、妻よ。
       平成30年1月23日 記 


     「業腹(ごうはら)」について

 
「業腹」とは、「非常に腹が立つこと」という意である。昨日の劇場版「相棒」の中で杉下右京が発した言葉だ。「相棒」では、このような言葉が多く使用されている。そのような視点から見ても面白い。大河ドラマ「独眼竜正宗」(昭和62年ジェームズ三木脚本)の中で「端倪(たんげい)すべからざる・・・」という台詞があり、さすがジェームズ三木と感心した記憶がある。
     端倪すべからざる・・・推測できない
       平成30年1月22日 記 


     「雪辱(せつじょく)を晴らす」は間違い
 
 時々「雪辱を晴らす」と聞くことがあるが、これは間違いである。正しくは「雪辱を果たす」である。「雪辱」は「恥をすすぐこと」という意味で、「雪辱を晴らす」では重言(重複表現)になってしまう。つまり、「頭痛が痛い、鉄の鉄橋、馬から落馬する」と同類なのである。文化庁の「国語に関する世論調査」では、正しい「雪辱を果たす」を使用する人が、間違っている「雪辱を晴らす」よりもわずかに下回っている。残念至極。

 「NHK文化放送研究所」ホームページより抜粋
 「雪辱」とは「辱(はじ)を雪(すす)ぐこと」で、「試合・勝負などで前に負けた(辱めを受けた)相手に勝ち、前に受けた恥をそそぐ(除きさる)」という意味です。この語を用いた「雪辱を晴らす」という言い方は、「雪辱」の「雪」(「雪ぐ」すすぐ・そそぐ)が、「晴」(「晴らす」はらす)と意味が重なります。これは、同じ意味の語を重ねて使う重言(じゅうげん)つまり重複表現にあたります。この言い方は「雪辱を果たす」と「屈辱を晴らす」の混同から生じた誤用とみられます。ご指摘の場合には、「雪辱を果たす(~を果たしてほしい)」「雪辱する(~してほしい)「屈辱を晴らす(~を晴らしてほしい)」などと言うべきでしょう。
       平成30年1月11日 記 


     「可塑性(かそせい)」について
 
 NHKBS「英雄たちの選択 島津久光の率兵上京」が放映されていた。その中で「政治の可塑性」という発言があった。「可塑性」とは「物質などが外部からの入力に対応して変形適応すること」という意である。島津久光は、政治の可塑性が分かっていた人物だと主張していた。大きく変化する幕末、その中で島津久光の役割の大きさに言及していた。久光に対して見る目も変わった。
       平成30年1月5日 記 


     「荘厳(そうごん)」について
 
 年末のドラマで黒澤明の「赤ひげ」を放映していた。その中で主人公の赤ひげが、「人間の一生で臨終ほど荘厳なものはない」という言葉を発していた。瞬時に浮かんだのが、高村光太郎の妻智恵子の臨終について述べた医者の「あのような荘厳な死を経験したことがなかった」と述懐していることだった。ともに「荘厳」という言葉が見える。「荘厳」とは「重々しく、威厳があって気高いこと」である。同じことを思うのだと感心した。
       平成30年1月3日 記 


     「去年今年(こぞことし)」について
 
 「去年今年」は、昨日が去年で今日が今年という一年の変わり目を捉えた俳句の季語。高浜虚子は、「去年今年貫く棒の如きもの」と詠んでいる。その俳句のように変わらない信念をもち続けたい。新しい年の始まりだ。
       平成30年1月1日 記 


     再び「啓蒙」から「啓発」について
 
 一度、「啓蒙」ではなく「啓発」を使用するように書いたが、讀賣新聞の「編集手帳」に「天然もののフグなら乱獲防止への啓蒙も忘れてはなるまい」とあったので再度記載する。 「啓蒙」は無知な人々に知識を与え教え導くことで、居丈高(いたけだか)な感じがする。「啓発」は人々が気付かずにいるところを教え示して、より高い認識・理解に導くことで、本人が自力で答えに辿り着くようにすることがねらいである。そのように考えれば、讀賣新聞も「啓発」と書くべきだろう。
       平成29年12月27日 記 


     「猿」について
 
 先日も猿が神奈川や東京に現れ、大捕物をしていた。以前勤務していた中学校のグランドに、猿がちょこんと座っているのを見た時にはひどく驚いた。また、取手市の小学校の周りの家を徘徊している猿を見かけたこともある。そのことを保護者に話したら、「ああ、家にも来て飼い犬(ゴールデンレトリバー)の頭をなでながら、犬の餌を食べてた」と言っていた。眉唾かなとも思ったが、あながち嘘でもなかったかもしれない。身近な動物なので、文学作品やことわざの中にも見られる。
 ◇俳句
   初時雨猿も小蓑(こみの)をほしげなり  松尾芭蕉
   かけ橋に猿の折りたる氷柱かな      上島鬼貫
   このむらの人は猿也冬木だち       与謝蕪村
   山平老猿雪を歩るくなり         飯田蛇笏  
 ◇漢詩
    早(つと)に白帝城を発(はっ)す   李白
 ◇ことわざ・故事成語
   猿も木から落ちる
   犬猿の仲
   猿に烏帽子(えぼし)
   意馬心猿(いばしんえん)
       平成29年12月26日 記 


     「心の安定(サバイ)」について
 
 NHKでアジアハイウェイの風「タイ」を放映していた。首都バンコクから農村部へ行くと風景は一変する。リポーターが生活について質問すると「お金はないが、毎日御飯が食べられて不足はなく、サバイだ」と言っていた。「サバイ」とは、「精神的に安定して幸せなこと」という意である。その表情は穏やかで笑顔が溢れていた。決して番組用のつくり笑いではなかった。それを見て、幸せの基準とは一体何なのだろうかと考えさせられた。多くの物に囲まれても満足せず、次から次へと新しい物を求めていく、欲望に終着点はない。そこに、はたして心の安寧はあるのだろうか。一方、毎日御飯が食べられることに満足し感謝している生活がある。「サバイ」は、「足るを知る」ことである。 『梅里(ばいり)先生碑陰ならびに銘』に「有れば則ち有るに随つて樂胥(らくしょ)し、無ければ則ち無きに任せて晏如(あんじょ)たり」とあるが、まさにそれである。物の豊かさではなく、心の豊かさを求める人生でありたい。
       平成29年12月22日 記 


     「印章」について
 
 我々が通常「印鑑」とよんでいるのは、正しくは「印章(いんしょう)」である。
 「印章」・・・木、石、象牙などに文字や絵を彫り込んだもの
 「印影」・・・「印章」を押して写し出されたもの
 「印鑑」・・・市役所や銀行などに登録した「印影」
宅配業者などが「ここに印鑑を押してください」というのは間違いで、正しくは「ここに印章を押してください」である。しかし、すべて曖昧になっている現実がある。
       平成29年12月21日 記 


     「収斂(しゅうれん)」について
 
 「収斂」は、「縮めること。まとめること」という意である。「血管を収斂させる」とか「意見を収斂させる」などと使用される。剣道でも打突の際、「収斂と弛緩(しかん)」が大切だと言われる。しかし、これが難しい。世の中なんと難しいことが多いのだろう。
       平成29年12月16日 記 


     「満身創痍(まんしんそうい)」について
 
 「満身創痍」は、「体中傷だらけ」という意である。この頃、この言葉をよく使うようになった。『梅里先生碑陰ならびに銘』に「聲色飲食(せいしょくいんし)其の美を好まず弟宅器物(ていたくきぶつ)其の奇を要せず、有れば則ち有るに随つて樂胥(らくしょ)し、無ければ則ち無きに任せて晏如(あんじょ)たり」とある。』このような気持ちをもちあせることが出来れば、「満身創痍」も乗り越えられるのだが。体と心の調和が図れない。
       平成29年12月9日 記 


     NHKのニュースキャスター「食べれる」発言
 
 NHKニュースウオッチ9のキャスターが、昨夜「・・・鶏肉は安心して食べれる」と発言していた。最後の牙城が崩れたような感じがした。「食べる」は下一段活用なので、「られる」接続なのは周知の事実、その瓦解が益々進むのではないかと心配だ。
 「走る」や「書く」などの五段活用の動詞では「~できる」という意味の時、「走れる」「書ける」と可能動詞になる。これらは下一段活用になる。
       平成29年12月5日 記 


     再度「奇貨(きか)として」について
 
 オランダでは女性用トイレが少なく、今問題になっていると讀賣新聞が報じている。女性が外で小用をして裁判になった時、裁判官が「我慢できなかったのなら、男性用トイレ(小用)を使うべきだった」と発言したのが契機だったらしい。女性は判決への上訴も可能だったが、「裁判官の問題発言を奇貨として、公衆トイレ問題を十分にアピール出来た」と受け入れたという。日本では必ず男女両方のトイレがあり、それが普通だと思っていたが、そうでもないらしい。そういえば、海外に出るとトイレに難渋してしまう。
  奇貨・・・「 利用すれば思わぬ利益を得られそうな事柄・機会」
       「奇貨として」と使用される  
       平成29年12月2日 記 


      「謝罪の言葉」について
      
 「謝罪の言葉」についてあるテレビ番組で取り上げていたので紹介する。
 1 「ごめんなさい」
    漢字で書くと「御免なさい」、つまり「許しなさい」という意味で、
   一方的に命令して、この場で終わりにしたい時に使う言葉。
 2 「すみません」
    漢字で書くと「済みません」、つまり「済みではありません」とい
   意味で、このままでは終われないので、何か償いたい時に使う言葉。
 3 「申し訳ありません」
    「申す」は「話す」で「話すことがありません」という意味で、す
   べて自分に非があり、償いようがない時に使う言葉。

 「謝罪の言葉」にも段階があることが分かった。今まで、いかにいい加減に
使用していたか恥ずかしい。しかし、この区別はほとんどの人ができていない
のかもしれない。
          平成29年11月29日 記 


       悲憤慷慨(ひふんこうがい)」について    

 「悲憤慷慨」とは、「世情や自分の運命などについて、憤慨し、嘆き悲しむこと」という意味である。
 先日、常磐線で帰ってくる時、上野から幼い女の子(5歳ぐらい)を連れた夫婦が乗り込んできた。電車に乗り込んでくると同時に母親はスマホに首っ丈、ひたちのうしく駅で降車するまで、咳をする幼子にほとんど声を掛けることをしなかった。一体子育てをどのように考えているのであろうか。注意しない父親も同類なのかもしれない。他人事(ひとごと)ながら腹が立ってしかたがなかった。まさに「悲憤慷慨」の気分であった。
         平成29年11月19日  記



       こけし」について    

 人形の「こけし」を「子消し」「子化身」として、貧しかった時代の口減らしだとする説がまことしやかに語られているが、それに信憑性(しんぴょうせい)はないらしい。「こけし」は温泉地のお土産物として発展をみたものであり、子殺しの贖罪(しょくざい)ではないということだ。しかし、過去にそのように語られる事実があったことも忘れてはならないだろう。そして、現代こそ子どもにとっては受難の時代なのかもしれない。ネグレクト、虐待、虐待死など枚挙に暇がない。大人が我が身を振り返り、踏み止まなければならないだろう。
         平成29年11月8日  記



       焦眉(しょうび)の急」について    

 「焦眉の急」とは、「 眉毛が焦げるほど近くまで火が迫っていて、きわめて危険な状態」という意である。『宇治拾遺物語』に絵仏師良秀(よしひで)のことが書かれてあるが、まさにこの焦眉の急でありながら芸術の到達点を求めて止まなかった。人の生き方は様々だ。
         平成29年11月7日  記



       隔靴掻痒(かっかそうよう)」について    

 「隔靴掻痒」とは、「靴を隔てて痒(かゆ)いところをかく意から、痒いところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。思うようにいかず、じれったいこと。物事の核心や急所に触れず、もどかしいこと」という意である。世の中はこのことに満ちあふれていると言っても、過言ではないだろう。
         平成29年11月3日  記



       間髪を入れず」について    

 10月31日、県の武道館で文部科学省委託事業「平成29年度武道等指導充実・資質向上支援事業」の「授業協力者養成講習会」(茨城県剣道連主催)が行われた。講習で日本武道協議会作成のDVD「中学校武道必修化指導書 映像集(剣道)」を視聴した。その中で「間髪を入れず打ち込む」を「かんはつをいれずうちこむ」と、ナレーターが正しく発音していた。間に髪一本も入れないほどの短い間という意味で、「かんはつをいれず」と読む。伝統や文化を標榜(ひょうぼう)する剣道、正しい発音に快哉(かいさい)を叫んだ。
         平成29年11月2日  記



        「睥睨(へいげい)」について

 「睥睨」とは、「にらみつけて権威を示すこと」という意である。チャンネルを回していたら、偶然「世界ネコ歩き」の中で流れていた。本当にそうしているのか、はたまた人間がそう感じているのか、推測の域を出ない。
      
   平成29年10月31日 記  


      「下剋上」という言葉で終わらせてよいのか

 昨夜、広島がDeNAに破れて日本シリーズの進出が決まった。テレビや新聞が盛んに「下剋上」という言葉を使っている。「下剋上」とは、「下の者が上の者に打ち勝って権力を手中にすること」である。
 ところで、レギュラーシーズンにおいて広島は、横浜を14.5ゲーム引き離して優勝している。しかも試合数は144もあった。それらを鑑みると、はたして今回DeNAが勝ったことを「下剋上だ」「よかった」と安易に判断してよいものだろうか。長いシーズンには、連敗や選手の怪我等で思い通りにならないことも多い。それらを乗り越えた144試合であったはずだ。わずか1勝のアドバンテージでよいはずがない。10ゲームの差があったら、2勝のアドバンテージを与えるとかシリーズをやらないとか、何らかの改善策を考えなければ、選手はたまったものではない。興行収入ばかりに目を向けていると、甲子園の泥だらけ試合を強行するような愚かな判断をするようになる。
 何事も不断の努力が報われる社会であってほしい。
       平成29年10月25日 記 


      「しんし」という表記から「真摯」は想起できるのか

 衆議院選挙が終わり、その結果が出た。民進党の前原代表の言葉を「厳しい結果をしんしに受けとめたい」と字幕で表していた。難しい言葉だから平仮名でいいんだとする安易な発想は、一体どこから来るのであろうか。漢字は日本の文化ではないのか、日本人の精神性が危ない。
 それにしても、2・3日前にできた党に持参金までもって合流して、多くの仲間を見殺しにした功労者の仕置きはどうなるのであろうか。信頼されていない某東京都知事などを頼ろうとしたところに過ちがあった。政治信条を曲げず信念を貫いた立憲民主党に票が集まったのは、当然の帰結だ。
       平成29年10月23日 記 


        「音(おと)と音(ね)」について1

 
現代は、様々な音が行き交っている。自動車、テレビ、コンピュータ、果ては炊飯器まで。平安時代は、どうであったろうか。『枕草子』(第一段)に「日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。」とある。静寂の闇から聞こえてくるかそけき音に耳を傾け、想像力を膨らまし感性を豊かにしていったのだろう。1000年の時の経過は、多くのものを得るのと同時に失った歴史でもある。「風の音」は「かぜのおと」(大きな音だから)、「虫の音」は「むしのね」(小さな音だから)と読む。欧米人は、虫の音を雑音として聞くそうだが、四季の明確な中で暮らす日本人の感性とは根本的に違っている。
         平成29年10月20日 記  


      「秋波を送る」について
      
 新聞の記事に「小池氏発言は、民進党の“再結集”阻止へクサビを打つべく野田氏へ秋波を送る意図があるとみられる」とあった。「秋波を送る」とは、「女性が男性の気を引くために、媚びた目つきで見つめること。色目を使うこと」とある。さすが政界の渡り鳥、真骨頂とでも言えばよいだろうか。風を読み、その都度権力に媚び、立つ位置を変えてきた浅薄な人物だ。ついに馬脚を現したというべきだろう。「 牝鶏(ひんけい)の晨(あした)するは、惟(これ)家の索(つ)くるなり」『書経』だ。
          平成29年10月15日 記 



      「英語の多用」に疑問
      
 NHKの番組「金曜イチから」の中で、ゲストが「・・・フラット・・・リスペクト・・・」と述べていた。そこでその英語を使用するのか、とよく理解ができなかった。日本語は、外国語を取り入れやすい言語である。だからといって、安易に使用することに疑問を覚える。先日、拙宅にイタリアから4名の剣道愛好家が来られた時、英語を話せない不自由さを感じたが、それとこれとは違うような気がする。
          平成29年10月13日 記 


      「包摂(ほうせつ)」について
      
 「包摂」とは、「一定の範囲の中につつみ込むこと」。立憲民主党の辻本清美が、演説の中で「包摂と対話の政治・・・」と言っていた。選挙特有の有権者の心を揺さ振る公約が、乱れ飛んでいる。我々有権者は、しっかり考えて投票しなければならない。
          平成29年10月11日 記 


      「払拭(ふっしょく)」について
      
 「茨城は5年連続ワーストの屈辱-。全国の自治体の魅力度の順位付けを行っている民間調査会社『ブランド総合研究所』(東京都港区)が10日発表した都道府県魅力度ランキングで、茨城県が5年連続で全国最下位となり、今回も汚名を払拭できなかった」と産経新聞は載せている。この調査には納得できない。何をもって、そう決めているのだろうか。茨城は人も物も豊かである。
 「払拭」とは、「すっかり取り除くこと」。この言葉はよく使用するので、留めておきたい。
          平成29年10月10日 記 


      「麗澤(れいたく)」について
      
 「麗澤」とは、「連なった二つの沼沢が互いにうるおし合うように、友人が互いに助け合いながら学ぶこと」である。水戸藩の思想家、藤田東湖(とうこ)が「麗澤」と揮毫した書が見付かり、現在弘道館で公開されている。藤田東湖は、徳川斉昭に仕え藩校弘道館の設立に中心的な役割を果たした。その思想は、明治維新にも大きな影響を与えた。
          平成29年10月3日 記 


      「まなじりを決する)」について
      
 自民党両院議員総会で、首相安部晋三が「皆さん、まなじりを決して戦い抜いていこうではありませんか」と語っている。「まなじりを決する」の意味を調べると、「目を大きく見開く。怒ったり、決意したりするさま」とある。政治家は「自分ファースト」ではなく、国家のため国民のために身を粉にしてもらいたい。「まなじりを決する」を「目尻??を決する」とするのは誤りである。「まなじり」とは「目尻」のこと。
          平成29年9月30日 記 


        「煮え湯を飲まされる」について
      
 「煮え湯を飲まされる」の意味を調べると、「信頼している人に裏切られて、ひどい目にあうことのたとえ
」とある。あくまでも信頼する相手であり、敵対する人物の行為には使用しない。また、裏切りを含まない行為に使用するのも誤りである。「親友に金銭問題で煮え湯を飲まされた」などと使う。日本語は実に難しい。
          平成29年9月26日 記 


      「こだわる」について
      
 「こだわる」の意味を調べてみると、「
心が何かにとらわれて、自由に考えることができなくなる。気にしなくてもいいようなことを気にする」とある。本来、あまりよくないことに使う言葉なのに、「味にこだわる」「こだわりのメニュー」などと聞くようになった。これも時代の趨勢かと考えざるをえない。
          平成29年9月23日 記 


      「話のさわり」について
      
 今年度の文化庁調査(国語に関する世論調査)の中に「話のさわり」もあった。「話のさわり」は「話などの要点のこと」という意であるが、「話などの最初の部分のこと」と勘違いをしている人が半数以上に達するということだ。文化庁は、「さわりは義太夫節の最大の聞かせどころ,聞きどころとされている箇所を指した言葉でした。それが転じて,音楽や物語の最も感動的な部分,話や文章の要点などという意味で使われています。」と説明している。言葉は時代とともに変遷するものではあるが、多すぎるような気がする。スマートホンの使用で、更に拍車がかかるだろう。
         平成29年9月22日 記 


      「高いもの・安いもの」について
      
 『くらべる値段』(おかべたかし著)は、なぜその品物が高いのか安いのか検証した本である。「高いもの」にも「安いもの」にもそれなりの理由がある。作者は、「高いもの」には夢が、「安いもの」には努力があるとしている。
 ところで、今葡萄「ピオーネ」をつくばと土浦で販売しているが、スーパーに並んでいるような大きさの(約500グラム)房ではなく、1キログラム前後のものを搬入している。区別化、差別化を図っているのである。大きな房にするためには、摘粒を適宜行う必要がある。結果、高い価格となる。それでも売れ残りは皆無だ。もし売れ残ったとしても、安易に値段を下げるつもりはない。価格競争をすれば、努力が水泡に帰して疲弊するだけである。価値を共有できる人に購入してもらえればと考えている。
         平成29年9月20日 記 


      「鯉魚風(りぎょふう)」について
      
 「鯉里風」とは「秋風」のこと、秋の季語にもなっている。秋の鯉は一年で一番脂肪がのって美味しい時期なので、「秋風」を「鯉魚風」と呼ぶようになったという。特に海のない内陸の地方では、好まれて食される魚だ。そういえば、昨日、若手を厳しく育てた広島カープが優勝した。当然の帰結と言っていいだろう。まさに「鯉魚風」が吹いたのである。
         平成29年9月19日 記 


      「恬淡(てんたん)」について
      
 讀賣新聞の番組欄にドラマの紹介文が載っていた。「欲を無用のものとして捨て、恬淡と人生の下り坂を行く」と。「恬淡」とは、「欲が無く物事に執着しないこと、あるいはそのさま」という意である。人生の中で、これが難しい。茨城県前知事の某氏もこの境地があれば、晩節を汚さずに済んだろう。「四時の序、功を成す者は去る」『史記』とある。これを実践する人のなんと稀なことか。だからこそ、このような言葉が残っているのかもしれない。
         平成29年9月16日 記 


      「万能(まんのう)」(農機具)について
      
 写真の農機具は「万能」という。農作業の様々な場面に使用するまさに万能(ばんのう)の機具である。しかし、その万能さが今回禍となってしまった。万能の先にある棒を取ろうとして、それに気付かず刃(多少湾曲している)の部分を強く踏んだから、柄の部分が私の目を直撃したのである。二日ほど目を開けられないほど腫れ上がり、普段の生活にも支障が出てしまった。眼球に多少の傷はあるが、大きな損傷ではないという診断に安堵した。それでも、夜間の外出は視角の関係で控えたほうがよいとの助言があり、鬱々とした日々を送っている。今となっては、その名前「万能」、「何にでも利用できる」ということが恨めしい。
         平成29年9月15日 記 


      「~たいです」について
 
 「夢は何ですか」の質問に「毎日頑張りたいです」と答えるCMがあった。この「毎日頑張りたいです」を考えてみたい。
  頑張り・・・五段活用「頑張る」の連用形
  たい・・・・希望の助動詞「たい」の連体形か終止形だが決定はできない
  です・・・・断定の助動詞「です」の終止形
 「です」は体言かある種の助詞などに接続するが、助動詞にはしない。正しくは「毎日頑張ることです」となる。しかし、これも次第に市民権を得ることになるのだろう。
         平成29年9月9日 記 


      「静謐(せいひつ)」について
 
 道徳を教科として実施することに関連して、教科書採択の問題をニュースで取り上げていた。教科書採択の会議を非公開しているのは、静謐な環境で行うためだとしている。「静謐」とは、「静かで落ち着いていること」という意である。その中で、「静謐」を「静ひつ」と記載する愚行があった。漢字は表意文字なので、「静ひつ」としてしまっては何の意味もない。「静謐(せいひつ)」とすべきではないのか。何度も提唱しているが、改善は見あたらない。残念だ。
 ところで、教科書検定の必要性について文部科学省は、「小・中・高等学校の学校教育においては、国民の教育を受ける権利を実質的に保障するため、全国的な教育水準の維持向上、教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持、教育の中立性の確保などが要請されている。文部科学省においては、このような要請にこたえるため、小・中・高等学校等の教育課程の基準として学習指導要領を定めるとともに、教科の主たる教材として重要な役割を果たしている教科書について検定を実施している。」と記載していてる。「市町村立の小・中学校で使用される教科書の採択の権限は市町村教育委員会にありますが、採択に当たっては、都道府県教育委員会が市町村の区域又はこれらの区域を併せた地域を採択地区として設定します。」と共同採択についても述べている。
 大阪市は、過去の反省を踏まえて教科書採択の会議を公開で行い、その経過を明らかにした。何事も結論ありきでは不愉快だ。利権を排除しなければならない。何故なら教科書は、「全国的な教育水準の維持向上、教育の機会均等の保障、適正な教育内容の維持、教育の中立性の確保」するためのものだから。
         平成29年9月8日 記 


      「奇貨(きか)として」について
 
 巨人の山口俊投手の一連の問題で、巨人の対応について選手会が、「本件を奇貨として不当な解雇を突きつけることで、金銭的な負担を軽くする意図があったのではないかと邪推せざるをえない」 と主張している。この「奇貨」は
 1 珍しい品物
 2 利用すれば思わぬ利益を得られそうな事柄・機会
という意味で、「奇貨として」と使用されることが多い。問題の多い山口選手を、「そのオイシイ状況を利用して」かなり厳しい処分にしたのだろうと選手会は考えているのである。
 それにしても、自分の球団で育てることを忘れて、他から引き抜くことばかり考えているから、この体(てい)たらくである。山口選手がかなり問題があることは、素人の私にも分かっていた。 
         平成29年9月1日 記 


          「鰻」について
 
 『万葉集』に次のような大伴家持(おおとものやかもち)の短歌がある。
「石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(むなぎ)捕り喫(め)せ」
「夏痩せには鰻がいいから捕って食べなさい」と、大伴家持は石麻呂をからかっているのである。つまり、既に夏場の滋養として鰻が食べられているのが分かる。こんなことからも人々の生活が推察できる。当時の鰻の発音は、「ウナギ」ではなく「ムナギ」なのでご注意を。 
         平成29年8月12日 記 


         「肝に命ずる」は間違い
 
 巨人阪神戦について、「・・・肝に命じてほしい」と書き込みがあった。心に刻むのであるから、正しくは「・・・肝に銘じてほしい」となる。このような間違いが実に多い。 
         平成29年8月10日 記 


         「覆水盆に戻らず」は間違い
 
 江崎沖縄・北方担当大臣が、「覆水盆に戻らずで、一度、活字に残った以上、私の言葉足らず。これは大いに反省。・・・」と発言していたが、正しくは「覆水盆に返らず」である。仕事し内閣のはずが早くも馬脚(ばきゃく)を現したか。また、「日米地位協定をもう少し見直さないといけない」とも発言していた。沖縄県民を幾度となく苦しめてきたこの協定の見直しは是非とも行ってもらいたい。期待して見守っていく必要がある。
         平成29年8月9日 記 


         「黄門(こうもん)」について
 
 「黄門」というと「水戸黄門」、つまり徳川光圀を指すようになってしまったが、水戸家の当主は代々中納言、よって全員「黄門」となる。「黄門」とは中納言の唐名である。「黄門」といえば光圀を指すことの大きな理由は、『大日本史』の編纂にある。徳川光圀が始め、実に250年以上の歳月を経て、明治39年に完成をみた。水戸家は、この事業に莫大な資金を費やした。「水戸学」の基礎ともなった事業である。
 明治天皇が明治33年笠間に行幸された折り、光圀に正一位を送られている。その時の言葉が、「贈従一位徳川光圀夙(つと)に皇道の隠晦(いんかい)の慨(うれ)ひ深く武門の驕盈(きょうえい)を恐れ名分を明かにして志を筆削に託し正邪を弁して意を勧懲(かんちょう)に致せり洵(まこと)に是れ勤王の倡首(しょうしゅ)にして実に復古の指南たり朕常陸に幸し追念転々(うたた)切なり更に正一位を贈り以て朕が意を昭(あきらか)にす」であった。
  隠晦・・・隠れてわからないようにすること。
  驕盈・・・分不相応の贅沢をすること。
  筆削・・・文章の語句を書き加えたり削ったりすること。
  勧懲・・・勧善懲悪。
  倡首・・・率先して呼びかけること。
         平成29年8月8日 記 


         「定府(じょうふ)」について
 
 「定府」とは、江戸時代参勤交代をせず大名等が江戸にいたことである。水戸藩は定府であった。藩祖、徳川頼房は徳川家康の11番目の子であり、その子徳川光圀(水戸黄門)は家康の孫になる。御三家の中で最も石高が低く35万石(尾張62万石、紀伊56万石)、また、位も中納言(尾張・紀伊とも大納言)であった。参勤交代に莫大な費用がかかることを考えたら、水戸にとってはありがたい制度であったろう。
         平成29年8月7日 記 



         「枕草子」について

 『枕草子』の作者清少納言は、993年中宮定子(ていし)に仕え、中宮の死後間もなくの1000年に宮中を退いている。紫式部は、1005年頃彰子(しょうし)に仕え始めるので、二人は同時期に宮中にいなかった。
 ところで、『枕草子』の「枕」について諸説がある。
 1 寝具の「枕」とする説。
   内大臣伊周(これちか)が献上した料紙を「枕にこそははべらめ」
  と清少納言が答えたところくださった。
     ※伊周・・・藤原道隆の子、中宮定子の兄
 2 「枕」を「座右に置いて離さないもの」の意として、備忘録または手控 
  えのことだとする説。
 3 「枕」を「枕言(まくらごと)」「歌枕」などの枕とみて、題詞を集め
  たものとする説。
 4 「白髪の老監(ろうかん)書を枕にして眠る」(白髪の老役人は書物を
  枕にして眠っている)『白氏文集 』を踏まえているとする説。
 藤原氏が摂政関白として権力を握っていった。その手段が、外戚(がいせき)政策であった。そのため、女子の教育には熱心で、世の才女を女房として仕えさせた。宮廷女流文学が花開くのである。
   ※外戚政策・・・娘を天皇の后にして皇室と姻戚関係を結ぶこと
         平成29年8月3日 記 



         「庭屋一如(ていおくいちにょ)」について

 「庭屋一如」とは、家屋と庭園が一体となっていることを指す。多くの庭園を有する京都で使われている言葉らしい。自然を愛する日本人らしい言葉だ。庭にも哲学を見出してしまう我々の精神性を表す言葉だろう。古来、日本人は自然とともにあった。木に山に川に海に、神々を見出してきた。環境保護やエコなどと近年声高に叫ばれているが、日本人は元来そのような民族なのである。自然を支配しようとする西洋人とは、本質的に違っている。
         平成29年7月30日 記 



         「最期」か「最後」か

 先日のテレビの字幕、「命の終わり」という文脈の中で「最後」と記載されてあった。これは間違いであり、「最期」と書かなければならない。「最期」と「最後」、しっかり認識してほしい。
         平成29年7月29日 記 



         「老獪(ろうかい)」について

 「老獪」とは、「いろいろな経験を積んでいて、悪賢いこと」という意味である。
 島崎藤村が、姪のこま子との関係を精算しようとして『新生』を書いた。その主人公を評して、芥川龍之介は「老獪な偽善者」と切って捨てた。島崎家では、藤村の父親と長姉が狂死するなど様々な問題があった。芥川龍之介の母親は、龍之介を産んだ7ヶ月後に精神に異常をきたし、11歳の時亡くなっている。似たような家系から、ある意味龍之介は藤村に親近感を覚えていたという。そのような状況下での『新生』の上梓(じょうし)、藤村に裏切られたような気分になったのであろう。
         平成29年7月27日 記 



      「和泉式部」について
 

 「和泉式部」は本名ではない。幾つか伝わっているが、類推の域を出ない。夫、橘道貞(たちばなのみちさだ)が、999年和泉守(いずみのかみ)として和泉国に下ったことと、父、大江雅致(おおえのまさむね)の官名により、「和泉式部」という候名(さぶらいな)をもつことになった。二人の間にできた子が、小式部内侍(こしきぶのないし)である。小式部内侍は、若くして亡くなってしまう。その哀傷歌が残されている。
 「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり」
 「もろともに苔の下には朽ちずしてうづもれぬ名を見るぞ悲しき」
         平成29年7月21日 記 



      「おととい」と「おとつい」について
 

 時々、「おととい」か「おとつい」か、迷うことがある。次のようなことが分かった。

【語源由来辞典】「おととい」について
 「おとつい(をとつひ)」が転じて語で、現代でも「おとつい」という地方がある。「おと(をと)」は、遠方を意味する古語「おち・をち(遠)」に由来し、「つ」は「の」を表す助詞、「い(ひ)」は「日」を表している。つまり、おとといは「遠方の日」という意味になるが、「おち・をち(遠)」は空間だけでなく、時間的にも遠いことも表すようになった語なので、「おととい」には「遠く過ぎ去った日」という意味が含まれる。
【ウィキペディア】
 「おととい」と呼ぶ地域は、関東地方、東北地方の太平洋側、九州地方中央部に多い。近畿地方、岐阜県周辺、中国地方、四国地方、宮崎県、福岡県などでは「おとつい」と呼ぶ地域が多い。

 ちなみに放送界では「おととい」を使用している。「 前日(をとつひ)も昨日も今日も見つれども明日さへ見まく欲しき君かも」(万葉集・橘文成)という歌もあるように、「をとつひ」が本来のかたちではあったが、時代の変遷に伴い「おととい」となったようである。しかし、その使い方は、今でも厳然として日常性の中に生きているのである。
         平成29年7月15日 記 



      「百足(むかで)」を「蛇蝎(だかつ)」のように嫌う
 

 「ムカデ」を漢字で書くと「百足」となる。昨夜、寝室に「百足」が出没した。すぐさま退治したが、よくツガイでいるので気を付けなければならない。以前「百足」に刺されたので、その恐ろしさは身にしみている。手袋の中にいた「百足」に気付かず、刺されたのである。ガラスで切られたよう痛みとともに、手は腫れ上がった。
 ところで、嫌われる代表として挙げられるのが「蛇蝎」である。「蛇蝎のように嫌われる」とよく使われる。私にとって「百足」は、「蛇蝎」のように嫌うものである。
  ※蛇蝎・・・蛇と蠍(さそり)、人が嫌うもののたとえ 

         平成29年7月11日 記 



         「戒飭(かいちょく)」について
 

 新聞に「我が身命を賭して述べる古巣への戒飭」とあった。この漢字「戒飭」を初めて見た。調べてみると「人に注意を与えて慎ませること」という意であった分からない漢字や読めない漢字は、どれほどあるのであろうか勉強は一生続くものだと改めて感じた。 
         平成29年7月10日 記 



         「くすし」について
 

 「よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには、医師(くすし)。三つには、智恵ある友。 」と吉田兼好は『徒然草』に書いている。古文の「くすし」とは医者のことである。
 6月の下旬から左耳の調子が悪く医者にかかっていたが、一向に病状が好転せず病院を変更した。7月7日に変更したから、一週間、左耳がほとんど聞き取れない苦しい状態であった。日常的な耳掃除が、炎症を引き起こしまったのだ。最初の医者のままだったら、おそらく辛い日々が続いたであろう。変更した病院の医者は、適切に症状を判断して治療薬も決めてくれた。以前、肺炎を風邪と診断され苦しんだこともあった。医者も様々である。
 700年前、吉田兼好が「くすし」を挙げているが、いつの時代も名医者は必要だ。
         平成29年7月9日 記 



         「美味しかったです」でいいのか
 

 東京都議会選挙が行われ、自民党が歴史的な惨敗を喫した。さもありなんという結果だろう。小池知事が「昨夜はお酒を召し上がりましたか」の質問に対して、「まずビールで・・・。美味しかったです」と答えていた。
  「た」・・・過去の助動詞
  「です」・・丁寧な断定の助動詞
「です」はある種の助詞(「の」「ほど」「だけ」)などや「形容動詞の語幹」「動詞・形容詞の連体形」に接続する。つまり、「です」は助動詞に接続しないのである。「です」を付ければ、丁寧な言い方となり文法的にも正しいというわけではない。ここは、「ございます」を付けて、「美味しゅうございました」(美味しいのウ音便)と言うべきであった。美しい日本語が滅んでゆくのは残念だ。

         平成29年7月4日 記 



         「半夏生(はんげしょう)」について
 

 「半夏生」ついての説明をウィキペディアは、「かつては夏至から数えて11日目としていたが、現在では天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となっている。毎年7月2日頃にあたる。この頃に降る雨を〔半夏雨〕(はんげあめ)と言い、大雨になることが多い。地域によっては〔半夏水〕(はんげみず)とも言う。」と記載している。この日、関西地方では田植えの労苦を慰撫し、神に感謝して豊作を願ってタコを食べる習慣があるそうだ。
 平成27年6月に京都天龍寺で「半夏生」という植物を見て、その言葉を初めて知った。植物の「半夏生」という名には、毎年7月2日頃に花を咲かせることに由来する説と、葉の一部を残して白く変化する様子(半化粧)からとする説がある。近年絶滅が心配されているという。
      
             天龍寺に群生する半夏生

         青空に冴える白さや半夏生  山崎
 
         平成29年7月1日 記 



         「領袖(りょうしゅう)」について

 讀賣新聞に、「傷だらけの状態だ」(派閥領袖)と現在の自民党を評している記事があった。権力を握り、長くその場に留まっているとおごりが出てくる。一連の事件は、当然の帰結かもしれない。
 ところで、「領袖」であるが、「領」は「えり」のこと、「袖」は「そで」のこと。どちらも人目に付くことから、集団を率いる人物を指すようになった。「四時の序、功を成す者は去る」『史記』とある。領袖たる人物はそのような心構えをもちたいものだ。
         平成29年6月30日 記 


         「少しづつ」は正しいのか

 「少しづつ」と記載されたのを二度ほど目にしたので調べてみた。そうすると下記のようなことが分かった。
 【内閣告示第一号「現代仮名遣い」昭和61年7月1日】に次の記載がある
〈 第2 特定の語については、表記の慣習を尊重して、次のように書く。
 5 次のような語は,「ぢ」「づ」を用いて書く。
 (1) 同音の連呼によって生じた「ぢ」「づ」
    例 ちぢみ(縮み) つづみ(鼓)
 (2) 二語の連合によって生じた「ぢ」「づ」
    例 はなぢ(鼻血) みかづき(三日月)
 なお,次のような語については,現代語の意識では一般に二語に分解しにくいもの等として,それぞれ「じ」「ず」を用いて書くことを本則とし,「せかいぢゅう」「いなづま」のように「ぢ」「づ」を用いて書くこともできるものとする。〉
 (2)の例の中に「ひとりずつ」とある。つまり「ひとりづつ」も認めるとのことである。よって、「少しずつ」を本則として「少しづつ」も間違いではないことになる。ただし、学校では「少しずつ」を正しいものとしているので注意が必要だ。また、官庁や会社などでは、「この場合はこのような表記にしましょう」との約束事があるので確認することが求められる。
 分かり易いホームページがあったので紹介する。
【「コトバノ」のホームページより】
「ずつ」と「づつ」はどちらを使っても誤りではありませんが、「ずつ」を使うほうが好ましいとされています。蝶々をてふてふと書いたのと同じく「づつ」は歴史的仮名遣いです。元々は「づつ」と書いていたものを、戦後の昭和21年に「これからは現代仮名遣いを使っていくようにしましょう」となったために「づつ」は誤った用法であることにされてしまいました。
 ところが、旧仮名遣いを誤用と言い切ってしまうのでは、ご高齢の方が使う表現や文化的価値の高い文書に対して歪んだ認識が生まれてしまうことになります。そこで昭和21年に作られた「現代かなづかい」の一部が昭和61年になって「現代仮名遣い」と改訂されることになりました。その時に「ずつ」が本則(正しい使い方)であるが、「づつ」も許容すると改められたのです。現代仮名遣いにおける本則とは、教科書や公文書、新聞で使うべきとされているものですので、たとえば学校のテストで「づつ」と書いてしまうとこれは×になってしまいます。正確な表現は「ずつ」だけれど「づつ」と書く自由も与えたということですね。
 言葉の変化、多様性について厳密に定義するのではなく、曖昧さを残すことでそれぞれの世代の考え方や表現の仕方に配慮を見せたわけです。その一例がこの「ずつ」と「づつ」の用法なのでした。 
         平成29年6月28日 記 


         「難渋(なんじゅう)」は忘れられない熟語

 「難渋」、この熟語を忘れられない。なぜかというと、遙か昔の高校入試に出題(国語)されてあり、「なんじゅう」と振り仮名を付けることができなかったからだ。できた問題よりも、できなかった問題のほうが脳裏に刻まれる。不思議なものだ。剣道も勝った試合よりも、負けた試合のほうが印象深いし課題が明かになる。何事もそのようにできているのかもしれない。  
         平成29年6月27日 記 


         「千載一遇」について

 先日、将棋界で注目の戦いがあった。28連勝をかけた藤井四段と澤田六段の一戦だ。結果的に藤井四段の勝利となったのは御存知だろう。その前日、田中寅彦九段がその解説を行い、「澤田六段は、今回の一戦を千載一遇のチャンス・・・」と発言した。残念だったのは、「千載一遇」を「せんさいいちぐう」と言っていたことである。正しくは、「せんざいいちぐう」である。  
         平成29年6月25日 記 


         「梅仕事」について

 6月19日の読売新聞「編集手帳」は下記のようなものだった。
 「梅雨入りと前後して、梅の実が収穫期を迎える。梅酒、梅シロップ、梅ジャム・・・漬け込んだり、煮詰めたり、その滋養を暮らしに取り込むための一連の作業を梅仕事と呼ぶ。
 (中略)
 梅の木のある家は減ったが、梅仕事を楽しむ人は少なくない。店先には丸々とした実が山をなす。黄色がかってきたら梅干し作りの頃合いだ。
 しみ出した梅酢に赤ジソを加えるとルビー色に発色する。中国の梅では見られぬことと、梅専門店を営む乗松祥子さんが語り下ろした『百年の梅仕事』にある。梅雨の鬱陶しさを払ってくれる自然の妙に感じ入る。味わい深い果実である。」
 これを読み、私の「梅仕事」を考えてみた。厳冬期の剪定に始まり、害虫駆除、施肥、下草刈り、収穫と続く。その後、記載されてあった作業(梅酒や梅シロップ作り)にいそしむ。収穫後も、施肥(お礼肥)、害虫駆除、下草刈り、施肥(基肥)と私の「梅仕事」は一年間続く。その中心に収穫の喜びがある。
 梅から作る梅酒というと、この詩を思い出す。
       「梅 酒」
            高村 光太郎
  死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は
  十年の重みにどんより澱(よど)んで光を保み、
  いま琥珀(こはく)の杯に凝って玉のやうだ。
  ひとりで早春の夜ふけの寒いとき
  これをあがって下さいと、
  おのれの死後に遺していった人を思ふ。
  おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
  もうぢき駄目になると思ふ悲に
  智恵子は身のまわりの始末をした。
  七年の狂気は死んで終わった。
  厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
  わたしはしづかにしづかに味わふ。
  狂瀾怒涛(きょうらんどとう)の世界の叫も
  この一瞬を犯しがたい。
  あはれな一個の生命を正視する時、
  世界はただこれを遠巻きにする。
  夜風も絶えた。
         平成29年6月21日 記 


         「他山の石」について

 他の山から取ったつまらない石でも自分の玉を磨くことができることから、他人の取るに足りない言動でも自分を向上させる助けとなるという意。つまり、自分が尊敬する相手や手本とする言動に対して使用する言葉ではないので、注意したい。

 【文化庁のホームページより】
 「先生の生き方を他山の石として頑張っていきます。」 ― このように,「他山の石」という言葉は,「自分が手本にしたい目上の人の良い行い」という意味でしばしば用いられているようです。しかし,本来の意味は違っており,冒頭の言い方では「先生」に失礼な発言をしたことになってしまいます。
 (中略)

・「広辞苑」第6版(平成20年 岩波書店)
 たざんのいし【他山の石】 「他山の石以(もっ)て玉を攻(おさ)むべし」より、自分の人格を磨くのに役立つ他人のよくない言行や出来事。「―とする」 ▽本来,目上の人の言行について,また,手本となる言行の意では使わない。  
         平成29年6月20日 記 



         「人口に膾炙(かいしゃ)する」について

 膾(なます)や炙(あぶ)った肉は誰の口にも美味に感ずることから、人々の話題に上ってもてはやされ広く知れ渡るという意。故事成語である。
  故事成語・・・昔、中国で起こった出来事から生まれた教訓のこと。
         平成29年6月19日 記 


        「紫式部」について

 紫式部という名は、宮仕えをしていた時の女房としての呼び名であって、本名ではない。当時、女性の本名は、皇女、皇紀、皇子の乳母等、公的な立場にいた人以外ほとんど伝わっていない。女房の呼び名は、一般的に父親や夫などの官職によって付けられていた。父親が藤原為時(ふじわらのためとき)、「紫」は姓の「藤」に由来する。また、「式部」は、為時がかつて「式部丞(しきぶのじょう)」であったことによるらしい。
 藤原道長の娘彰子(しょうし)に仕え、世界に冠たる『源氏物語』を著すことになる。幼い頃、為時が藤原惟規(ふじわらののぶのり 式部の兄もしくは弟)に漢籍を教えるのを傍で聞いていて、惟規よりも先に覚えるので「この子が男の子であったら」と残念がったという。

        平成29年6月7日 記 



        「黒白をつける」について

 読み方は、「こくびゃく」である。物事の正邪をはっきりさせるという意である。同じ意味で「白黒をはっきりさせる」という言葉があり、これは「しろくろ」と読む。間違いやすいので注意したい。

        平成29年6月5日 記 



        「居られます」でいいのか

 公明党の北側議員が天皇陛下退位の問題に関して、「今上天皇が・・・居られます。」と発言していた。国会の場で、このような発言をしていいのだろうか。「居る」は謙譲語、自分をへりくだって言う時に使用する言葉だ。だから、今上天皇に使う言葉ではない。いくら後に「られ(尊敬の助動詞〈られる〉の連用形)」を使用したからといって、すまされる問題ではない。『枕草子』や『源氏物語』は、敬語の使い方に間違いがない。そうすると、1000年前の人のほうが、正しい言葉を使用していることになる。情けない

        平成29年6月2日 記 





        「清少納言」について

 言わずと知れた『枕草子』の作者である。曾祖父は清原深養父(きよはらのふかやぶ)、父は清原元輔(もとすけ)、ともに歌人であった。ゆえに、「清少納言」の「清」は、「清原」からきている。当時(平安時代)、女房(にょうぼう)の宮廷での呼び名は、父兄・夫など身近な人の官名に基づいて付けられることが多かったので、誰か「少納言」であったことが推測される。そうすると読み方は、「清少○納言」ではなく「清○少納言」となる。どうも、そんなことが気にかかるお年頃である。
 ところで、清少納言は、藤原道隆(ふじわらのみちたか)の子、定子(ていし)に絶対的な献身と賛美を惜しまなかった。その心の交流が、『枕草子』に生き生きと描かれている。藤原道長(ふじわらのみちなが)の子、彰子(しょうし)に仕えていた紫式部とは同じ時期に宮廷にいることはなかった。

        平成29年5月21日 記 



        気を付けたい「重複表現」について

 無意識に使用してしまうのが、この重複表現である。誰しも一度は経験があるかもしれない。気を付けたいものだ。
  ・新しい新学期   ・頭痛が痛い  ・鉄の鉄橋  ・後で後悔する
  ・炎天下の下    ・被害を被る  ・新年明けましておめでとう
 調べれば他にもたくさん出てきそうである。

        平成29年5月10日 記 



        「多士済々」について

 読み方は「たしせいせい」で、意味は「優れた人材が多くいること」である。ところが、世の移ろいとともに間違いである「たしさいさい」も市民権を得ているという。誤読が闊歩(かっぽ)するのは、業腹(ごうはら)だ。

 「NHK文化放送研究所より」

 「済」の音読みには、「さい」(呉音)、「せい」(漢音)があります。この漢字を使った「多士済々」は「たしせいせい」が伝統的な読み方ですが、「たしさいさい」という誤読も広がってきたことから多くの辞書は「たしせいせい[多士済々]」の見出し語で、「『たしさいさい』とも」と記述しています。しかし、辞書の中には「誤って『たしさいさい』とも言う」と明記しているものもあり、「たしさいさい」への違和感・抵抗感は強いようです。放送でも伝統的な読みである「たしせいせい」を使っています。
 私もNHKに入るまでは、「多士済々」は「たしさいさい」だと思い込んでいました。ところが新人時代のある時、部内の会合でこの言い方をしたところ「それを言うなら『たしせいせい』だ!」と先輩記者から即座に注意されたことがあります。その時には「なにも満座の中で間違いを指摘して恥をかかせなくてもよいではないか」と少し恨めしく思ったものですが、「小言幸兵衛」などと嫌みを言われながらも若い人たちに端的に厳しく指導してくれた先輩たちのおかげで少しでも正しいことばづかいを身につけていくことができたと今では感謝しています。
        平成29年4月25日 記 



        「やがて」について

 昨日観た狂言「樋(ひ)の酒」の中で、主人が出かける際「やがて戻ろう」と言うと、太郎冠者(たろうかじゃ)と次郎冠者が「やがて、お帰りなされませ」と返した。この「やがて」は、「すぐに」という意味で現在の我々の使い方とは異にする。このように古文の中には、現在と違うものが多くある。太郎冠者と次郎冠者は、狂言の中で主人に使える召使いで、多くの失敗や滑稽な行動をする愛嬌のある人物として描かれている。
        平成29年4月24日 記 


        「父兄」から「保護者」へ

 以前、学校では「父兄会」と称していたが、現在はその言葉を使用せず「保護者会」としている。つまり、「父兄」から「保護者」になったのである。これは、時代の趨勢(すうせい)でもある。
 ところで、松戸市の小学校3年生誘拐殺人事件の犯人が逮捕されたが、PTA会長だという。前代未聞の所業だ。子どもたちを守るべき立場の人ではないか。学校は、子どもたちは何を信用していいのだろうか。この混迷は深い。社会全体で考えなければならない問題だ。
        平成29年4月15日 記 


        再び「念頭に入れる」は間違い

 TBSテレビ「ひるおび」の中で、早稲田大学教授 中林美恵子氏が、「・・・念頭に入れて・・・」と発言していた。正しくは、「念頭に置く」である。「頭に入れる」と混同しているのかもしれない。トランプ大統領就任前後から、その経歴(元アメリカ上院補佐官)によりテレビに出る機会が多くなった。小沢一郎ガールズの一人として、衆議院議員を一期務めたこともある。間違ってはいけない立場の人である。
        平成29年4月14日 記 


         「画竜点睛を欠く」について

 読み方は、「がりょうてんせいをかく」で「がりゅうてんせいをかく」ではない。梁の画家が寺の壁に竜の絵を描いたが、瞳を描き入れなかった。村人が不思議に思い聞いてみると、「瞳を入れたら、竜が飛び去ってしまう」と画家が答えた。そうすると、村人は瞳を描き入れるように迫った。仕方なく瞳を入れると竜が天高く昇ってしまったという。その故事からきている故事成語である。「睛」は瞳であり「晴」という字ではないので、注意したい。「画竜点睛を欠く」は、「最後の肝心な仕上げをしないこと」という意。
        平成29年4月12日 記 


         「うん」について

 BS8プライムニュースのメインキャスターが、人の話を聞くとき「うん、うん」と相槌を打つ。これが耳障りでいけない。話を聞くときは、「はい」「分かりました」などと言うべきではないだろうか。どれほどの知識人かは知らないが、品性を疑ってしまう。公共の電波を利用して全国に流しているのに、指摘をする人が周りには居ないのだろうか。これについては、自戒もしなければならない。
        平成29年4月5日 記 


         「蹂躙(じゅうりん)」について

 「蹂躙」とは、踏みにじられるという意味である。東京の杉並区長が、ふるさと納税に伴う税金の減収について、「物欲、肉食欲に蹂躙される」と発言していた。税収が減り区政にも支障をきたすことになり、この発言に至ったのだろう。都市部から地方へという趣旨で始まったふるさと納税が、都市部の行政を苦しめているというのは皮肉な話である。「あの市町村に納税すると、何々がもらえる」という話はよく耳にした。本来の目的から外れ、あらぬ方向へいってしまった。この制度を見直す時期にきているのではないか。
        平成29年3月30日 記 


        頑張ってほしい」の表記が正しい    

 NHKニュースでインタビューの文字表示に、「頑張って欲しい」とあった。「欲しい」は補助形容詞(形式形容詞)だから、「ひらがな」となる。「頑張ってほしい」となるべきであった。正しく表記してほしい。
         平成29年3月28日  記



        忖度」の市民権について    

 森友学園国有地払い下げ事件に端を発した一連の問題で、「忖度」という言葉が飛び交っている。ニュース等で聞かない日はないぐらいである。ある意味、この言葉が市民権を得たと言っても過言ではないだろう。しかし、『水田道場読本』でもお分かりのように、それは以前から使われていた言葉である。あれだけ世の注目を浴びれば、「忖度」も本望だろう。
         平成29年3月26日  記



        補助(形式)動詞と補助(形式)形容詞の表記」について    

 「剣道をやってみる」の「みる」は本来の意味がなくなっている。このようなものを補助動詞(または形式動詞)という。通常、「て(接続助詞)+補助動詞」のかたちになっているので分かり易い。この場合の表記は、「ひらがな」である。
  1 城を見る。      見る(動詞)
    卓球をやってみる。  みる(補助動詞)
  2 人が居る。      居る(動詞)
    雨が降っている。   いる(補助動詞)
 同じようなものに補助形容詞(形式形容詞)がある。これも本来の意味がなくなって補助的に使われる。補助動詞と同じく「ひらがな」の表記である。
  1 籠手が欲しい。    欲しい(形容詞)  
    勉強を頑張ってほしい。ほしい(補助形容詞)
  2 お金が無い。     無い(形容詞) 
    考え方が正しくない。 ない(補助形容詞)
漢字かひらがなのどちらで書くかは迷うところである。
         平成29年3月24日  記



         「形式名詞の表記」について

 名詞は、普通名詞・数詞・固有名詞・形式名詞・代名詞に分けられる。形式名詞は、その語本来の意味を失って形式的に用いられるものであり、「こと・ところ・もの・ため」などがある。その表記は、「ひらがな」となる。
  1 事の顛末を話す。       事(普通名詞)
    頑張ったことが認められた。 こと(形式名詞)
  2 物を大切に扱う。       物(普通名詞)
    友達をいじめるものではない。もの(形式名詞)
  3 旅行したい所は茨城だ。    所 (普通名詞)
     これから出発するところだ。  ところ(形式名詞)
       
 平成29年3月22日


         「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」について

 「魑魅魍魎」の意味を調べると「人に害を与える化け物の総称。また、私欲のために悪だくみをする者のたとえ。▽「魑魅」は山林の気から生じる山の化け物。「魍魎」は山川の気から生じる水の化け物。」とあった。今、日本各所にこの「魑魅魍魎」が出没してはいないだろうか。
 東京都の百条委員会の席にもいた。しかし、あの都議会の体(てい)たらくはいったい何なのだろうか。「魑魅魍魎」をばっさりと斬り倒すのではなく、反論を許し汲々としていた。その結果、真実の究明には何ら至らなかった。旧制第一高等学校(現在の東大)の寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」は
   『行途(ゆくて)を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある
    破邪(はじゃ)の剣を抜き持ちて 舳(へさき)に立ちて我よべば
    魑魅魍魎も影ひそめ 金波銀波の海静か』

となっている。この気迫を示してほしかった。
           平成29年3月21日


         「~したいと思います」について

 以前から気になる言葉に「~したいと思います」がある。「これから会議を始めたいと思います」「2時から開始したいと思います」などのような表現をよく耳にする。「何も貴方が勝手に思わなくてもいいから始めろよ」とつい言いたくなってしまう。「これから会議を始めます」「2時から開始します」でいいのではないだろうか。慇懃無礼(いんぎんぶれい)までとは言わないが、どうも耳障りでいけない。
          平成29年3月19日 記 


         「文の種類」について
 
 文の種類は、単文、複文、重文の三つに分類できる。
 1 単文
   主語と述語の関係が、一回だけで成り立っている文。
   (例文) 私は、剣道の稽古をした。
        私は(主語)  した(述語)
 2 複文
   主語・述語の関係が二回以上成り立つが、結局一つの主語・述語の関係
  に考えられる文。
   (例文) 梅の咲く春が来た。
      ○梅の(主語) 咲く(述語)  ○春が(主語) 来た(述語)
      この関係を大きくみてみると下記のようになる。
       梅の咲く春が(主部)  来た(述語)
      ※連文節(文節が二つ以上ある)の場合は、主部・述部となる。
       「梅の咲く春が」は三文節だから連文節である。文節は「ネ」
       を付けて考える。「梅のネ 咲くネ 春がネ」と。
 3 重文
   主語・述語の関係が、並立の関係で二回以上成り立っている文。
   (例文) 花が咲き、鳥が歌う。
      ●花が(主語) 咲き(述語)  ●鳥が(主語) 歌う(述語)
       「花が咲き」と「鳥が歌う」が並立の関係になっている。
           平成29年3月16日 記 


         「天地天命に誓って」は誤り
 
 稲田防衛大臣が、籠池森友学園理事長との関係を尋ねられて「天地天命に誓って・・・」と語った。これは、「天地神明に誓って」の間違いである。籠池側の弁護士として法廷に立ったことはないとの発言を撤回し謝罪したが、こうなると理事長との関係も疑惑が増大する。何故なら、天地神明に誓ってないからである。国を守る防衛大臣、しっかりしていただきたい。
          平成29年3月15日 記 


         「一縷(いちる)の望み」について
 
 日ハム大谷選手に関する記事で、「今後の患部の状況次第では開幕ローテーション入り、さらには3年連続開幕投手にもいちるの望みが出てきた。」とあった。問題なのは、「一縷」とすべきところを「いちる」としたことである。「いちる」では、何のことかさっぱり分からない。やはり、「一縷(いちる)」のように漢字で書き振り仮名を付けるべきであった。このコーナーで何度も取り上げていることだ。残念至極。
 ところで、大谷選手の二刀流もやぶさかではないが、打者として立つことはリスクを背負うことにもなる。やはり、投手としての才能を生かすことが先決ではないだろうか。
   一縷・・・一本の糸から、ごくわずかという意味。「一縷の望み」
        というように使われる。
          平成29年3月14日 記 


         「忖度(そんたく)」について
 
 森友学園の一連の問題について、国会での論戦が続いている。その中で、安部首相と野党の議員が「忖度して・・・」と言っていた。「忖度」とは、他人の心を推し量ることである。森友学園の問題では、誰が誰の心を推し量ったのか解明が求められる。それにしても、「忖度」だけで8億円も安くなるのなら誰しもが願うことだろう。真面目にこつこつ働く人が報われないような社会であってはならない。
          平成29年3月9日 記 


         「押しも押されぬ」は誤り
 
 正しくは、「押しも押されもせぬ」である。実力があって堂々としているさまという意味である。一方、「押すに押されぬ」という言い方もあり、意味は似ている。
   「押しも押されもせぬ」 「押すに押されぬ」
 上記の二つが混同して使用され、誤った「押しも押されぬ」になったらしい。気を付けないと間違って使ってしまう可能性がある。

 「NHK放送文化研究所」より抜粋

 「押しも押されぬ」という言い方は、「押しも押されもせぬ(押しも押されもしない)」-実力があって(堂々として)立派な様子-と「押すに押されぬ(押しても押せない)」-厳として存在する(争うにも争われぬ)事実-との混交・混用表現です。近年この言い方・表現が「押しも押されもせぬ」と同じ意味として広く使われているようですが、国語辞書の中には「押しも押されもせぬ」の語釈(ことばの意味や使い方の説明)の中で<「押しも押されぬ」は誤った言い方>と明記して注意を呼びかけている辞書もあります。
 また、国内の主な新聞社や通信社の『用字用語集』や『記者ハンドブック』なども、この「押しも押されぬ」という言い方を「誤りやすい表現・慣用語句」に挙げたうえ、「押しも押されもせぬ[=しない]」への言いかえを示しています。例えば<押しも押されぬ→押しも押されもせぬ「揺るぎない、誰もが認める」意味の慣用句。「押すに押されぬ」との混同。>『最新用字用語ブック[第6版]』(時事通信社編)など。
 この誤った表現は若い世代を中心に広がっているのは確かなようです。文化庁の平成15年度の「国語に関する世論調査」では、「実力があって堂々としていること」の本来の言い方である「押しも押されもせぬ」を使う人が36.9%にとどまったのに対して、間違った言い方である「押しも押されぬ」を使う人が20代~30代を中心に半分以上51.4%もいました。

          平成29年3月2日 記 


         「世耕大臣の発言」について
 
 世耕経済産業大臣が「書類が見れて・・・」と発言していた。これは、経済産業省の各部屋に施錠をしたことの説明の一節である。天下に号令する内閣の重鎮(じゅうちん)が、このようなことでは困ってしまう。それでなくても、「見れる」「食べれる」「来れる」などの言葉が当然のように闊歩(かっぽ)しているのに。再度確認する。
 上一段活用・下一段活用・カ行変格活用は、助動詞「られる」接続となる。
    見(上一段活用未然形)+られる→見られる
    食べ(下一段活用未然形)+られる→食べられる
    来(カ行変格活用未然形)+られる→来られる 
近頃は「ら」抜き言葉を耳にすると、頭痛がする。微力ながら正しい日本語を守ることに力を注ぎたい。 
          平成29年3月1日 記 


         「李下(りか)に冠を正さず」
 
 上記の言葉は、故事成語である。故事成語とは、
故事に基づいてできた言葉で中国の故事に由来するものが多い。「蛇足」「矛盾」「画竜点睛を欠く」など多くの言葉が挙げられる。「李下に冠を整さず」とは、「スモモの木の下で冠を直すと、盗んでいるように疑われることから、誤解を招くような行動はするな」という意である。同じ意味で「瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず」がある。世の中には、疑わしいどころか真っ黒なのにしらを切る国家もある。 
          平成29年2月26日 記 


         狂言「庵梅」から見えてくること
 
 昨日の読売新聞に狂言「庵梅」についての記事があった。それは、五世茂山千作(71歳)が襲名披露公演に選んだ演目(高齢の狂言師が演ずる演目)であり、家元の許しがなければ上演できなかったものだという。「能狂言では、老いは何も出来ないこと、といった否定的なとらえ方をしない。長寿をことほぐという意味もあるだろう」と評論家も指摘する。確かに、能の演目でも高齢でなければ演じられないものがある。「名人になれば、わずかの動きで多くを想像させる。そぎ落とした表現こそ芸の究極なのだ」と新聞は結んでいる。
 最後の一節は、「道」と付くすべてのものに共通することだ。「剣道」「弓道」「茶道」「華道」「書道」など(「柔道」はオリンピックの種目に入り堕落してしまったので敢えて加えない)そのどれもが、余分なものを取り除く作業である。「剣道」もそぎ落としたものが多い人ほど、無駄のない動きで相手を制することが出来る。
          平成29年2月23日 記 


         「わび・さび」について
 
 水田道場のkさんから『翻訳できない世界のことば』(作者エラ・フランシス・サンダース)という本をお借りした。各国の言葉が取り上げられていて、興味深く読むことができた。その中に「わび・さび」があり、「生と死の自然のサイクルを受け入れ、不完全さの中にある美を見出すこと」と訳されてあった。「仏教の教えがルーツにある日本のこの考え方は、不完全であるものに美を見出す感性です。うつろいと非対称性をくらしの中に受け入れるとき、わたしたちつつましく、満たされた存在になりえます。」との作者の考えも掲載されてあった。自然の中に神々を見出し共存してきた日本人は、非常に寛容な考え方をもって生活してきた民族である。それは、「不完全であるものに美を見出す感性です」に繋がるものではないだろうか。それにしても、その国の言葉を本当に理解するためには、当事国での生活が不可欠かもしれない。

「わび」とは(ウィキペディアより抜粋)
 本来は、いとうべき心身の状態を表すことばだったが、中世に近づくにつれて、不足の美を表現する新しい美意識へと変化し、室町時代後期に茶の湯と結び付いて急速に発達し、江戸時代の松尾芭蕉がわびの美を徹底したというのが従来の説であったが、歴史に記載されてこなかった庶民(百姓)の美意識を説こうとする説が発表された。
「さび」とは(ウィキペディアより抜粋)
 「さび」とは、老いて枯れたものと、豊かで華麗なものという、相反する要素が一つの世界のなかで互いに引き合い、作用しあってその世界を活性化する。そのように活性化されて、動いてやまない心の働きから生ずる、二重構造体の美とされる。
          平成29年2月21日 記 


         「船村徹逝く」

 平成29年2月17日、作曲家船村徹が逝った。巨星墜つという感じである。「柿の木坂の家」「王将」「風雪ながれ旅」「みだれ髪」「おんなの出船」など数々の作品がある。その作品は哀愁を誘い、人々の応援歌になった。多くのヒット曲を生み出した背景には、心に響く歌詞があった。
    みだれ髪 
          星野哲郎 
   髪のみだれに手をやれば
   赤い蹴出しが風に舞う
   憎や恋しや塩屋の岬
   投げて届かぬ想いの糸が
   胸にからんで涙をしぼる
 素晴らしい詩とメロディーとの相乗効果が、心に残る歌を作る。現在は、言葉を操る作詞家がいない。これでは、演歌の灯火は消えていくばかりだ。
         平成29年2月19日 記 


        「考えざるをえない」について

 
「~ざるをえない」という言葉を使う時、注意しないと間違うことがある。よく見かける間違いは、下記のようなものである。
   × 考えざるおえない  「を」が「お」になっている
   × 考えざる負えない  「負」では意味不明
   × 考えざる終えない  論外
   ○ 考えざるをえない  正解
 「考えざるをえない」を次のように考えると分かりやすい。
「考えざる+を+えない」、つまり「考えないというわけにはいかない」ということである。くれぐれも注意をしたいものだ。
       
    平成29年2月15日 記  


        「雲霧仁左右衛門」の台詞から

 
NHKBS時代劇「雲霧仁左右衛門」の中での一コマ。火附盗賊改安部式部が、雲霧仁左右衛門のことを評して「不倶戴天(ふぐたいてん)の敵、しかし、世が世であれば肝胆(かんたん)相照(あいて)らす・・・」と言っていた。「不倶戴天」とは、「ともにこの世に生きられない、また、生かしてはおけないと思うほど恨み・怒りの深いこと。また、その間柄。」(デジタル大辞泉より)という意である。これは、『礼記』の「父の讎(あだ)は与(とも)に共(とも)に天を戴(いただ)かず」からきている。逆から考えると、「ともに天を戴く」とは運命をともにするとか志を同じくするということになる。水田先生剣道範士受称記念祝賀会の折りに作った俳句
    「秋空を抱(いだ)きて今日の宴(うたげ)かな」
には、そのような意味合いがあった。
 「肝胆相照らす」とは、「互いに信頼し親しく付き合うこと」という意の故事成語である。
       
    平成29年2月7日 記  


        「裨益(ひえき)」について

 
NHK7時のニュースで、安部首相の答弁「アメリカとはお互いに裨益して・・・」を流した。このテロップが「アメリカとはお互いにひ益して・・・」と出た。このコーナーで何回も指摘しているが、漢字は表意文字だからこそ、瞬時に我々はその意味を理解することができるのである。「裨益」と表記するところを「ひ益」としては、ただ読めるだけで何の役にも立たない。こんなことも、読解力低下につながっているのではないか。
 さらに、9時のニュースでは、「少しずつ」と記載するところ「少しづつ」となっていた。このことは、我々も気を付けたいことだ。
      裨益・・・・助けになり役立つこと。
       
    平成29年2月1日 記  


        「問題文が理解できない」読売新聞より

 今朝の読売新聞の記事である。「読解力が危ない。問題文が理解できない」という文字が躍っていた。記事の内容は下記のようなものだった。
【普段のテストでも答えを何も書かない子たちから「問題で何を聞かれているか分からない」という声が出ていたからだ。(中略)大学生の読解力もおぼつかない。学生の劣化を指摘する著書がある音真司氏が講師を務めた私大では、読書をする学生は少数で、3年でゼミに入るまで図書館に行ったことのない学生もいた。音氏は「試験やリポートではSNSや日記のような文章を書いてくる。文の構造を理解せず、考えも整理できない」と話す。】
 これは、由々しき問題だ。以前からも指摘された内容でもある。藤原正彦も「国語をきちんと学ぶことで論理的思考能力が身についていくからです。算数や数学の先生は、算数や数学を勉強することで論理的思考ができるようになると言いますが、それはウソ。それが証拠に、数学者の多くが論理的ではありません。感情的です。ディベートをする、何かを主張する作文を書く、そうしながら論理的に考える力が身に付いていくのです。」と述べている。英語教育を充実させ英語が話せても論理的な思考力が身に付くわけではなく、思考の根底には母国語で考えるという過程があるそうだ。今こそ、読解力や論理的な思考力を高める国語の学習の充実が望まれる。
       
    平成29年1月30日 記  


        「俳句6」山の季語について

 
山に関した季語は下記のようになっている。
   山笑う・・・・春    山滴(したた)る・・・夏
   山装おう・・・秋    山眠る・・・・・・冬
日本の自然は豊かだ。そのため、言葉もそれに沿うようになっている。俳句の「山」に関した季語によく現れている。 
       
    平成29年1月28日 記  


        「お客様は神様です」について

 NHKのクローズアップ現代で、サービスをテーマにしていた。あるシェフが修業時代に働いていたところでは、「お客様は神様です」の考えで、客のタバコを買ってきてくれ、車を回してくれといった様々な要望に応えていた。その結果、従業員は疲弊しサービスも劣化したという。彼は後に自らレストランを開業するが、「サービスは食事に関することだけ」とする。そうすると、客の満足度も上がり従業員も生き生きとして働いたということだった。お金を払うからお客はどんな無理難題を言ってもいい、お店はそれを甘んじて受け入れなければならないなどという誤った考え方は、払拭するべきである。二者の間には、最低限の節度があってしかるべきなのだ。お互い様、お陰様といった考え方が希薄になっているのは悲しいことだ。子どもの声がうるさいから保育園を建てるな、除夜の鐘は昼間鳴らせ、運動会の練習の音量を下げろ等々、論外である。社会全体を考えて言葉を発するべきではないだろうか。
 ところで、「お客様は神様です」という言葉は、誤って流布されているらしい。これを言ったのは、三波春夫。彼は、「お客様を神様だと思い、神様の前で無心に素直になって芸を披露したい」と言っている。お客様が神様のように絶対的な存在なんだなどとは言ってはいない。
 SNSの急速な発達により、社会の在り方が変わってきた。しかし、人間としての大切な在り方までも変えていいはずはない。「 君子(くんし)博(ひろ)く学びて日に己を参省(さんせい)すればすなはち智(ち)明らかにして行ひ過ちなし。」(荀子)にあるように、自分の生活を見直すことが大切だ。
       
    平成29年1月27日 記  


        「重篤(じゅうとく)」について

 「相棒」の再放送を見ていたら、「重篤な公務員法違反が・・・」という台詞があった。おかしいと思い調べてみると、「重篤」は「病気の症状がおもいこと」という意味になる。だから、この場合は不適切である。脚本家はしっかりとした日本語を使ってもらいたいと思うのは自分だけであろうか。細かいことが気になる杉下右京にもお願いしたい。
  
         平成29年1月25日 記  


        「俳句5」句切れについて

 俳句は、「五七五」の17音からなり、それぞれ初句、二句、結句と呼ばれる。初句に切れ字がある場合は初句切れ、二句にある場合は二句切れ、二句の中間にある場合が中間切れである。切れ字には「かな」「や」「けり」の三語があり、感動の中心となる。
  1 初句切れ
     菊の香や奈良には古き仏たち     松尾芭蕉
     なきがらや秋風かよふ鼻の穴    飯田蛇笏
  2 二句切れ
     斧入れて香におどろくや冬木立   与謝蕪村
     ひつぱれる糸まつすぐや甲虫(かぶとむし) 高野素十
  3 中間切れ
     萬緑(ばんりょく)の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる
                      中村草田男
     摩滅せし踏み絵や黙す秋時雨    山崎淳一
        五島列島の堂崎教会で初めて「踏み絵」を見た。摩滅した
       「踏み絵」は、どれだけの人間の悲しみを受けとめたのであ
       ろうか。今、遠藤周作の「沈黙」が、マーティン・スコセッ
       シ監督により出会いから28年の歳月を経て映画化された。

            
            
 長崎 五島列島 堂崎教会 
               (平成26年11月2日撮影)

      
    平成29年1月20日 記  


        「辞世の句」について

 辞世の句とは、この世の最期に残す言葉で、俳句、漢詩、短歌などを指す。下記のようなものがある。
 旅に病んで夢は枯野をかけめぐる   松尾芭蕉
 身はたとひ武蔵の野べに朽ちぬともとどめおかまし大和魂  吉田松陰
 なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節は在りとこそ聞け 西郷千恵子
多くの人たちが最期の声を残している。身にしみてくる。
      
    平成29年1月19日 記  


        「俳句4」季語について

 俳句は、基本的に季語を入れることになっている。なぜかというと、季語を入れることにより、イメージが無限に広がるからである。例えば、「雪」という季語があると、「白い・冷たい・美しい・東北・大混乱」などのイメージをもつ。俳句は、わずかに17音、表現できる世界は極端に狭い。それを補うものが、季語なのである。季語を決めて、それから発想を広げて俳句を詠むこともある。季語を入れないものに、自由律俳句や川柳がある。季語は一つだけで、二つ以上使用する季重ねは行わないことになっている。
   外(と)にも出よふるるばかりに春の月 (中村汀女)季語「春の月」春
   たたかれて昼の蚊を吐く木魚哉 (夏目漱石)  季語「蚊」夏
   たましひのしづかにうつる菊見かな( 飯田蛇笏)季語「菊見」秋
   流れ行く大根の葉の 早さかな(高浜虚子)   季語「大根」冬  
      
    平成29年1月18日 記  


        「三島由紀夫肉声テープ発見」の記事について

 昨日の読売新聞に、「三島由紀夫肉声テープ発見」という記事があった。その中で次のような漢字が使用されていて、振り仮名が付いていた。一部平仮名にしなかったことが大切だ。このことについては何回も触れている。
      哄笑(こうしょう)・・大きな声で笑うこと
      畢生(ひっせい)・・・一生涯
      剔抉(てっけつ)・・・えぐり出すこと
      知悉(ちしつ)・・・・詳しく知っていること
覚えておきたい漢字だ。 
     
      平成29年1月17日 記  


        「日本刀の置き方」について

 昨日、ニュースステーションで坂本龍馬の書簡が発見されたことを取り上げていた。それはよかったのであるが、残念だったのは再現された「近江屋」(龍馬が暗殺された場所)の一室だった。何かというと、日本刀の置き方が、逆になっていたのである。刀の柄には「縁頭(ふちかしら)」が付いていて、「頭」が向かって左側にくるように置くのである。正しく伝えることは、メディアの使命ではないか。そういえば、昨年10月に高知県の龍馬記念館を訪れた際にも、間違っていた。館のガイドさんに伝えたが、直してくれたであろうか。
     
        
 頭と縁          正しい日本刀の置き方
          平成29年1月14日 記  


        「俳句3」17音について

 俳句は、基本的に17音である。その中で、拗音(ようおん)は1音とすることになっている。拗音とは、「しゃ・しゅ・きゃ・きょ・じゃ」などのように発音するものである。
     仏より痩(や)せて哀れや曼珠沙華  夏目漱石
この俳句の結句に「まんじゅしゃげ」とあるが、拗音を1音とするから5音と数える。つまり、この句は「五・七・五」の有季定型になっている。
 ただし、促音(そくおん)は1音として数える。促音とは、「言った・買った」に使われる「っ」のことを指す。
    そっと鳴け隣は武士ぞ時鳥(ほととぎす)    小林一茶
    秋十(と)とせ却(かえ)って江戸を指故郷   松尾芭蕉
二つの句とも「五・七・五」になっている。
          平成29年1月12日 記  


        「了解しました」について

 1月1日の「相棒スペシャル」の中で、上司に対して部下が「了解しました」と言っていた。これは、、「かしこまりました」「承知いたしました」などと言うべきである。「相棒」は、言葉遣いがしっかりしているとみていたのに残念である。
 ところで、細かなことが気になる杉下右京が、上司の前でも訪問した時でも、コートを脱がないのは不可解だ。一般常識から乖離(かいり)している。独特の発想と勘で、見事に事件を解決してしまうことは百歩譲ったとしても、コートを脱がない非常識は許されることではない。細かいことが気になる私。
          平成29年1月9日 記  


        またもや「どう喝」の表示

 ニュースの表示に「チェーンソーで相手をどう喝・・・」とあった。何度か取り上げた問題である。漢字が、表意文字だということを無視している。「どう喝」と表記して、何の意味があるのだろう。しっかり「恫喝(どうかつ)」とすべきである。この現状をどのようにしたら打開できるのであろうか。かといってテレビ局を恫喝することもできない。蛇足となるが、NHKニュースウオッチ9でも「トランプ次期大統領が、日本を恫喝しているようだ」と話していた。
          平成29年1月7日 記  


        旅行雑誌「アゴラ」にみる社会の趨勢(すうせい)

 JALの会員になっているので旅行雑誌「アルゴ」が送られてくる。12月号に次のような文が載っていた。「機械ではほとんどのものが作れる時代。最後に残る究極の贅沢が、人の手を介して作られる世界でひとつだけのクラフトなのだ。」「モノを多く持つよりも、価値あるものを少しだけという方向に世の中が向かっているのは明か。」この二つは、違う項目に書かれてあった一節である。しかし、その内容は不思議なほど合致する。確かな物を大切に長く使う、これこそ本当の心の充実でありエコでもあるはずだ。外国で作られた安価で粗製濫造な物が出回っている。それを手にして喜んでいる多くの人がいる。このへんで、それぞれの生活を見直してみてはどうだろうか。
          平成29年1月6日 記  


        「旗幟鮮明」について

 
今朝の読売新聞に「保革が激しく対立する韓国政界で旗幟鮮明・・・」とあった。「旗幟鮮明」は「きしせんめい」と読み、「主張や立場がはっきりしている」という意味である。新聞には、振り仮名が付いてあった。やはり、そうありたい。これで、「きし鮮明」とあったら、不買運動でも起こしたいぐらいだ。
         平成28年12月28日 記  


        「かい離」について

 昨日のニュースのテロップで「被爆者と政治家の間には大きなかい離がある」と出た。問題なのは「乖離(かいり)」と書かず「かい離」と表記することである。「脆弱」のところでも取り上げたが、漢字は表意文字だから「乖離」とするところに意味がある。漢字を見て、瞬時に意味を理解できるのである。「かい離」では、何のたしにもならない。まさに、読み手と書き手の間に乖離がある。
 それにしても、核兵器禁止条約にどうして日本は反対なのだろう。むしろ、唯一の被爆国として積極的に賛成するのが立つ位置ではないだろうか。IR法案の可決などを含めて、このところ与党の横暴が目に付く。国民との乖離だ。
         平成28年12月25日 記  


        病院での「・・・様」について

 ある時、病院で「・・・様」と呼ばれたときには、ひっくり返るほど驚いた。違和感で気持ちが悪くなった。病院に行って気持ちが悪くなっては、本末転倒である。案の定、患者が勘違いして、傍若無人の振る舞いをしたそうだ。最低の節度は必要だが、行き過ぎはよくない。慇懃(いんぎん)無礼という言葉があるが、それは人を不愉快にする。病院での「・・・様」は是正されたようで、この頃は聞かなくなった。しかし、新病院に移転した某病院で「何番さん」と人を番号で呼ぶのはいかがなものか。個人情報保護ばかりが一人歩きすると殺風景な社会になる。何事もほどほどにと言いたい。そんなことを私が言っても説得力がないか。
         平成28年12月23日 記  


         「下拵(ごしら)え」か「下処理」か

 先日のNHKのプロフェッショナル。鯛を調理する場面で、「鯛の下拵えを・・・」と放映していた。やはり、調理する場合は、「下処理」ではなく「下拵え」と言いたい。注意すると料理番組なのに「下処理」言っていることが多い。ああ、料理が不味くなりそうだ。
         平成28年12月22日 記  


        「両岸に屹立する急峻を分け」の表現について

 ノルウェーのフィヨルドを紹介する旅のパンフレットに、上記のような表現があった。思わず目に入ったのは、一昨年、その地を訪れたからである。両岸の切り立つ山々は1000メートルを超え、入り組んだ入江は同じく1000メートルの深さに達する。氷河が削り、そこに海水が浸入したためである。その深さ故、大型豪華客船も出入りする。驚くべきは、山々に家が点在することである。ノルウェーは、山また山の地である。わずかな土地を求めて人が住み、山羊などを飼いチーズ作りを生業(なりわい)としていたという。もちろん、現在はそのような生活ではないらしいが。それでも、海面から家に行くためには、道路などない急峻(きゅうしゅん)な地を登らなければならない。後日、テレビでその地の昔の生活を紹介していたが、子どもたちは遊ぶ時、紐につながれていた。フィヨルドに落ちないためである。確かに1000メートル転げ落ちたら大変だ。旅には驚きと発見がある。
 屹立は、「きつりつ」と読み、「そそり立つ」という意味である。さしずめ高浜の太鼓橋から見る筑波山を表現する時にも使いたくなる言葉だろう。
       
 
     ソグネフィヨルド             豪華客船の接岸 
          (平成26年8月24日撮影)

         平成28年12月20日 記  


        「同床異夢」について

 ニュースの解説で「プーチン大統領と安部首相は、北方領土の問題で、同床異夢(どうしょういむ)・・・」とあった。まさにそのとおりである。1ミリたりとも返還するつもりなどないだろう。四文字熟語は便利な言葉で、色々な場面で使われる。
         平成28年12月19日 記  


        「俳句2」

 私が、上佐谷小学校に勤務していたときに作った俳句は
   「山々に雲垂れ込めて走り梅雨」
であった。学校の周りには、山本山、雪入山、浅間山(せんげんやま)の三山が連なっていた。雨が降り出すときは、きまってその山々に低く雲が垂れ込め、あたかも山水の世界のようであった。季語は「走り梅雨」で季節は「夏」となる。
 ところで、俳句の形式として、有季定型の俳句と自由律俳句がある。
  ・有季定型の俳句
    17音(五七五)で季語を入れる。
      柿くへば鐘がなるなり法隆寺 (正岡子規)
      流れゆく大根の葉の早さかな (高浜虚子) 
  ・自由律俳句
    音数や季語にこだわらない。
      咳をしても一人 (尾崎放哉)
      分け入つても分け入つても青い山(種田山頭火)
         平成28年12月9日 記  


        「俳句1」

 「短歌1」「短歌2」と同窓生の男子生徒Sくんの作った俳句は、
   「山門とみどりの風と京言葉」(知恩院にて)
であった。単に名詞を羅列しているように感じられるが、実に京都の特徴を表している。偉容を誇る知恩院の山門、新緑の京都、そしてどこか懐かしい京言葉、そのどれもが彼にとっては感動の対象であったはずだ。俳句は、「嬉しい、楽しい、悲しい、辛い」などの言葉を使わず、それらの感情を表現しなければならない。例えば、小林一茶の句に「這(は)え笑え二つになるぞけさからは」がある。幼くして次々に亡くなっていく(4人の子どもが2歳まで生きられなかった)我が子を見送った一茶が、この子は無事に育ってほしいという気持ちを詠んだものである。そこには、前述した表記は何もない。しかし、痛いほど一茶の感情が伝わってくる。そのような観点からみても、Sくんの俳句は合致する。
 Sくんは、剣道部員であった。たらたら稽古をしているので、よく叱られた。しかし、この俳句を読んで、彼の違う一面をみたような気がした。人は、表面だけで判断してはいけないということを教えられた一句であった。
         平成28年12月8日 記  


        「言質を取る」の読み方は

 「げんちをとる」と読む。「交渉事などで、後で証拠となるような言葉を相手から引き出す」という意味である。ところが、「げんしつ」も容認している。誤読からきた慣用読みだとしている。誤読を一般的に使用するようになったからといって、辞書にも掲載していいものだろうか。やはり、誤りは誤りだとしていかなければ、何が真実だが分からなくなってしまう。
         平成28年12月7日 記  


        「短歌2」

 「短歌1」の作者と同学年でCさんがいた。その女子生徒が作った短歌が
   「東塔の木目の奥にまだ残るあせし朱色に昔を思ふ」 (薬師寺にて)
であった。国宝薬師寺東塔は飛鳥時代から残るものであり、古色蒼然としている。一方、西塔は、昭和56年(1981年)再建され真新しい。時代の変化を目の当たりした作者は、東塔に微かに残る朱に悠久の時を感じたのだろう。その才能と感性に驚かされた。
 ところで、西塔は東塔より約30㎝高くできているという。宮大工、西岡常一は500年の時を経て同じ高さになると説明する。一部鉄筋コンクリートを主張する大学教授と真っ向から対立して、木造にしたのが西岡常一だ。その卓越した力量と叡智は何者をも越えている。「山で二千年生きてきた木は、さらに建物にして二千年生きる」(『法隆寺を支えた木』)と主張する西岡常一からみれば、鉄筋コンクリートなどは50年ぐらいしかもたないまがい物にしか写らなかったはずだ。
 Cさんは、そのような様々な時代の変遷も感じ短歌を詠んだのかもしれない。
         平成28年11月30日 記  


        「短歌1」

 中学三年生を担当した修学旅行で、短歌か俳句を作る課題を出していた。Kさん(女子生徒)の作った短歌は、
   「仏門を好かぬわが目に映れども冴えて麗し弥勒像」
           (太秦 広隆寺弥勒菩薩を詠むで)
あった。私は、驚きと衝撃をもってこの短歌を読んだ。しかし、よく考えてみると、その生徒は休み時間等を利用して常に本に親しんでいた。その帰結だと考えてみると何の不思議もなかった。私は、当然のように最優秀賞を与えた。
 これには、後日談がある。部活動を指導しているところに母親が来て、「あの子はいつも誤解をされてきた。作品を提出すると、お母さんか誰かに作ってもらったの」と言われ続けてきたと話すのである。生徒をよく見て、適切に評価する大切さを認識させられた。小中学生は幼いだけで、決して劣っているわけではない。それを理解していないと大きな過ちを犯すことになる。そんなことを考えさせられた「短歌」であった。
 ところで、和歌という言葉は、「漢詩」を「唐歌(からうた)」と呼び、それに対する日本の「倭歌(やまとうた)」を「和歌」と呼んだところに由来する。和歌の種類を分類すると下記のようになる。
 ・短歌〔五七五七七〕
 ・長歌〔五七五七・・・五七七〕--「・・・」の部分は五七を繰り返す
 ・旋頭歌(せどうか)〔五七七五七七〕
 ・仏足石歌(ぶっそくせきか)〔五七五七七七〕--『万葉集』に一首
つまり、短歌は和歌の一つなのである。しかし、『万葉集』の後、ほぼ短歌しか作られなくなり、和歌というと短歌を指し示すようになってしまった。とは言っても、和歌と短歌は区別して使いたいものだ
         平成28年11月29日 記  


        「が」と「で」の違い

 間もなく卒業式を迎えようとしていた中学三年生の学級活動で、同窓会の役員を決めていた。司会をしていた女子生徒が、「Aくんがいい人」と賛同を求めたが、クラス全体がしらっとしていた。と、間髪(かんはつ)を入れず「Aくんでいい人」と投げかけたら大半が挙手した。「が」が「で」に、一つの助詞を変えるだけで同意を取り付けたのである。「が」は「Aくんでなければ駄目だ」であり、「で」は「誰でもいいがAくんにしておけ」となる。傍で聞いていた私は、生徒の機転と言葉の巧みさに驚愕した。
 言っておくが、Aくんはとても優秀で人望もあった。だからこそ、少し揶揄(やゆ)しても彼なら大丈夫だという遊び心のようなものがあったのだろう。
         平成28年11月27日 記  


         「瑣末と齟齬」について
 
 昨日のテレビの番組で、あるコメンテーターが、「朴大統領に関しては瑣末(さまつ)な問題が・・・」と話していた。「瑣末」という言葉が使われていた。一方的に言葉が流れていくだけであるから、多くの視聴者は聞き逃しているのではないだろうか。
 また、今朝のニュースの中で特派員が、「トランプ次期大統領と安部首相が会談して、安全保障の問題で齟齬(そご)が生じては・・・」と報告していた。難しい言葉は使われているのである。意識しなければ耳には届かない。
  瑣末・・・細かなこと
  齟齬・・・食い違い
         平成28年11月18日 記  


         「寸志」について
 
 目上の人が目下の人に渡す場合に、のし袋等に記載するのが「寸志」である。目上の人に渡す場合は、「お礼」や「粗品」とする。言葉は適切に使わないと失礼になる。
         平成28年11月15日 記  


         「湯桶(ゆとう)読み」について
 
 「訓読み+音読み」と読むものがある。このような読みをするものを「湯桶(ゆ+トウ)読み」という。
1合図   2湯気   3手本   4消印   5店番   6荷物
7喪主   8相性   9朝晩  10雨具 
         平成28年11月14日 記  


         「重箱読み」について
 
 漢字二字の場合は、通常音読みにする。しかし、「音読み+訓読み」と読むものがある。このような読みをするものを「重箱(ジュウ+ばこ)読み」という。
1額縁   2客間   3残高   4新顔   5雑木   6台所
7反物   8団子   9楽屋  10素顔 
         平成28年11月12日 記  


             「熟字訓(じゅくじくん)」

 熟字訓とは、特別な読み方をする漢字のことである。貴方は幾つ読めるか。
 1 小豆     2 意気地   3 一言居士
 4 乳母     5 乙女    6 お神酒
 7 母屋     8 河岸    9 早乙女
10 雑魚    11 桟敷   12 五月雨
13 時雨    14 竹刀   15 三味線
16 砂利    17 数珠   18 上手
19 素人    20 師走   21 数寄屋
22 草履    23 山車   24 足袋
25 雪崩    26 祝詞   27 野良
28 日和    29 吹雪   30 蚊帳
31 果物    32 景色   33 十重二十重
34 凸凹    35 投網   36 読経
37 梅雨    38 木綿   39 最寄り
40 行方    41 浴衣   42 若人  

 以前、テストに「素人」の対義語を書けという問題を出したところ、多くの生徒が「黒人」と書いてきた。採点をしながら、どうしてここに「黒人」が出てくるか理解ができなかった。しかし、その疑問はやがて解けた。「素人(しろうと)」の対義語は、「玄人(くろうと)」、「しろ→くろ」と考えたらしい。中学生の涙ぐましい努力である。
         平成28年11月4日 記  


         「四文字の熟語」

 
四文字の熟語で間違いやすいものがあるので注意したい。テストでこのような問題を出すとあまりできはよくなかった。密かにほくそ笑んだものだ。
 1 絶対絶命 → (正) 絶体絶命
 2 無我霧中 → (正) 無我夢中
 3 針少棒大 → (正) 針小棒大
 4 危機一発 → (正) 危機一髪
 5 五里夢中 → (正) 五里霧中
 6 大同小違 → (正) 大同小異
 7 心気一転 → (正) 心機一転
         平成28年11月3日 記  


         「音便(おんびん)」について

 1 五段活用の連用形に「た(だ)」(助動詞)や「て」(接続助詞)が
  くる場合音便が起きる。これらは、無意識に使っているはずだ。
     書きて→書いて・・・・イ音便(いおんびん)
     走りた→走った・・・・促音便(そくおんびん)
     読みだ→読んだ・・・・撥音便(はつおんびん)
 2 形容詞の連用形に「ございます」や「存じます」がくると音便が起き
  る。
     美しくございます→美しゅうございます・・・・・ウ音便
     美味しくございます→美味しゅうございます・・・ウ音便
     ありがたく存じます→ありがとう存じます・・・・ウ音便

 「です」という助動詞は、ある種の助詞(「の」「ほど」「だけ」)などや「形容動詞の語幹」「動詞・形容詞の連体形」に接続する。ただし、言い切るかたちの「です」は動詞・形容詞に接続しない。例外として、「でしょう」のかたちで接続する。そうすると、現在使われている。「美しいです」「悲しいです」はあり得ないことになる。正しくは「美しいのです」「悲しいのです」となる。もしくは、「ございます」を使い、「美しゅうございます」「悲しゅうございます」と表現するのが適切な言い方になる。そういえば、以前「料理の鉄人」という番組で、岸朝子は常に「大変美味しゅうございます」と評していた。時代とともに言葉は変化するものなのであろうが、美しい言葉は残したいものだ。
        平成28年11月2日 記  


         「副詞の呼応」

 副詞には、呼応して後にくる語を決めるものがある。それを陳述(ちんじゅつ)の副詞という。
  おそらく・・・だろう   決して・・・ない  全然・・・ない
  まるで・・・ようだ  たとえ・・・としても  もし・・としても
などが挙げられる。前に記載したのが副詞である。その中で「全然・・・ない」の使い方が、とても気になる。「全然いい」とか「全然大丈夫」など耳にする。辞書にも強調して使うなどと書いてある。言葉は確かに時代とともに変化するものであるが、間違いを肯定してもいいものだろうか。
        平成28年11月1日 記 


       「表意文字と表音文字」の違い

 「表意文字」は、漢字のようにそれぞれに意味のある文字のことである。「表音文字」とは、ひらがなやカタカナのように音だけを表すものをいう。日本語の表記は、この「表意文字」である漢字と「表音文字」であるひらがなが、適度に混ざっていることにより読みやすくなっている。漢字だけもしくはひらがなだけの文章は、読めたものではない。文章を読みながら、無意識のうちに漢字で意味を読み取っているから理解ができるのである。
        平成28年10月30日 記 


         「慣用句2」

 慣用句は、動物に関するものも多い。身近なものほど関心があるのは常である。
 1 鵜呑みにする
 2 馬が合う  尻馬に乗る
 3 蚊の鳴くような声
 4 烏の行水
 5 狐につままれる
 6 鯖(さば)を読む
 7 雀の涙
 8 狸(たぬき)寝入り
 9 鶴の一声
10 猫なで声  猫の手も借りたい 猫の額  猫をかぶる
11 袋のネズミ   
12 鷲づかみ
13 鳶(とび)に油揚げさらわれる 
14 トドのつまり
   「トド」は、魚のボラのこと。ボラは出世魚で「ハク」「スバシリ」な
  どと名前を変え最終的に「トド」になるからという説がある。
15 虎の子
16 犬猿の仲 
17 蟻のはい出るすきもない
          平成28年10月28日  記


       「慣用句1」

 慣用句とは、二語以上の単語が結びつき、全く異なる意味をもつようになったものである。特に体の一部を使用しているものが多い。
 1 耳
   耳が痛い 耳にたこができる 耳をすます  耳をそろえる
 2 目
   目が高い 目がない 目に余る   目を細める
 3 手
   手が届く 手塩に掛ける 手を打つ 手を広げる
 4 鼻
   鼻が高い 鼻にかける 鼻をあかす 木で鼻をくくる
 5 口
   口がうまい 口からすべる 口をはさむ 口が堅い
 6 頭
   頭が痛い 頭が固い 頭が低い 頭を抱える
 7 顔
   顔がきく 顔が立つ 顔に泥を塗る 顔が広い
 8 舌
   舌が回る 舌をまく 舌の根の乾かぬ内  舌を出す
 9 歯 
   歯がたたない 歯を食いしばる 歯に衣着せぬ 歯牙にもかけない
10 足 
   足がつく 足が出る 足並みをそろえる 足下に火がつく
11 頬
   頬がゆるむ 頬が落ちる 頬を染める 頬を膨らます   
12 眉
   眉をひそめる 眉に火がつく 眉を上げる 眉に迫る
13 唇
   唇をかむ 唇をとがらす 
14 顎(あご)
   顎を出す 顎で使う 顎をなでる 顎を外す
15 額
   額に汗する 額を合わせる
16 肩 
   肩を並べる 肩をもつ 肩をすぼめる
17 首
   首を突っ込む 首を長くする 首が回らない
18 腰
   腰が低い 腰を据える 腰が引ける
19 胸
   胸がすく 胸がおどる 胸におさめる
20 腹
   腹が立つ 腹を決める 腹をくくる 
          平成28年10月27日  記


          敬体」か「常体」か、どちらにするの
 
 文章を書くときの注意として、文体を決めるということがある。敬体にするか常体するかである。
   敬体・・・文末が、「ます」や「です」となる。
   常体・・・文末が、「だ」や「である」となる。
 書き進むうちに、常体と敬体が入り交じって統一性を失ってしまうことがある。しっかり推敲して正しい書き方で仕上げたいものだ。ちなみに、この文章は常体である。

         平成28年10月17日  記



          発表させていただきます」これを聞くと頭痛がする    

 「発表させていただきます」とか「始めさせていただきます」など聞かない日はない。
  「発表さ」・・・サ行変格活用の動詞「発表する」の未然形   
  「せ」・・・・・使役の助動詞「せる」の連用形
  「て」・・・・・接続助詞
  「いただき」・・五段活用の動詞「いただきます」の連用形 謙譲語
  「ます」・・・・丁寧の助動詞「ます」の終止形
 口語の文法では「せ」の助動詞に「尊敬」の意味はなく、「使役」だけである。そうすると「発表させていただきます」とは、上司が部下に発表させるという状況かと考えられる。しかし、実際は発表する本人が「発表させていただきます」と言っている。「敬意低減の法則」と論を展開する研究者もいるが、納得できない。異論もあるようだが、「発表いたします」で何の問題もない。
         平成28年10月15日  記



          Aさん居(お)られますか」はおかしい    

 このような言い方もよく耳にする。昨日のNHKクローズアップ現代のゲストも「そのような患者さんが居られます」と言っていた。しかし、考えてみると納得できない。
  「居ら」・・・五段活用の未然形   謙譲語
  「れ」・・・・尊敬の助動詞「れる」の連用形
 謙譲語の後に尊敬の助動詞をつけても、敬語にはならない。しかも、謙譲語は基本的に自分の行為をへりくだって表現する言葉なのに、相手に対して「居る」と使用している。ここはやはり、「Aさんいらっしゃいますか」とするべきである。「居る」を使用する場合は、「私は、その時間自宅に居ります」となる。
         平成28年10月14日  記



          汚名挽回」は間違い    

  「汚名挽回」と間違えて発言する人を時折見かける。「汚名挽回」では、汚名の上に汚名を重ねることになる。正しくは、「汚名返上」。これで汚名を雪(すす)ぐことになる。
         平成28年10月12日  記



          ら」抜き言葉に辟易    

 最近、特に「見れる」「食べれる」「寝れる」などの「ら」抜き言葉が多くなった。先日もリオ・オリンピックパレードの後のインタビューで、「・・・4年後もいれるように、また来れるように・・・」と答えていた。正しくは、「・・・4年後もいられるように、また来られるように・・・」である。こんな映像を見るとがっかりを通り越してイライラする。
 確認すると、可能の助動詞「れる・られる」の接続は、
   五段活用・サ行変格活用・・・・・・・・・・れる
   上一段活用・下一段活用・カ行変格活用・・・られる
となる。「・・・4年後もいられる」の「い」は、上一段活用の未然形なので「られる」、「また来られる」の「来」は、カ行変格活用の未然形なので「られる」接続となる。
 ただし、五段活用の動詞で、「~できる」という意味になる可能動詞に変化することがある。例えば、「書く・・・書ける」「走る・・・走れる」「泳ぐ・・・泳げる」。変化した「書ける・走れる・泳げる」は、下一段活用の動詞になるのでご注意を。
         平成28年10月10日  記



          的を得る」と間違うことが多い    

 正しくは「的を射る」である。しかし、「的を得る」と言い間違えることが多い。的は射るものである。某東京都知事も言っていた。お互いに注意したい。「的を射る」と同義語に「正鵠(せいこく)を射る」という言葉がある。
         平成28年10月8日  記