道元

       「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」   
                      道元

 仏道をならふといふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心を(お)よび他己の身心をして脱落(とつらく)せしむるなり。悟迹(ごしやく)の休歇(きうけつ)なるあり、休歇なる悟迹を長々出(ちやうちやうしゆつ)ならしむ。

【口語訳】
 仏道を修めるということは、自己を修めることである。自己を修めるということは、自己を忘れることである。自己を忘れることは、真実を明らかにするということである。真実を明らかにするということは、自己の身心も、自分以外のすべてのものにも、いっさい捉われないことである。そうすると、ついに悟り得ることができるが、そのことにも捉われなくなったとき悟りが身についてくる。
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「正法眼蔵」は、主に禅僧である道元が執筆した仏教思想書を指す。道元は、鎌倉時代初期の禅僧、曹洞宗の開祖である。修行の中に悟りがあるとする。剣道に当てはめて考えてみると、相手を打ちたい打ちたいという思いを捨てきることができるかということか。確かに、無心に打突した技が決まることがある。その時は、何物にも囚われていないはずだ。
         平成28年4月22日 記