紫式部日記

       紫式部日記(和泉式部について)
                        紫式部

 和泉式部といふ人こそ、面白う書 き交しける。されど、和泉はけしから ぬ方こそあれ。うちとけて文走り書き たるに、そのかたの才ある人、はかない言葉のにほひも見え侍るめり。歌はいとをかしきこと、ものおぼえ、歌のことわり、まことのうたよみざまにこそ侍らざめれ。口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目とまる詠み添へ侍り。それだに人の詠みたらん歌なん、ことわりゐたらんはいでやさまで心は得じ。口にいと歌の詠まるゝなめりとぞ、見えたるすぢに 侍るかし。恥づかしげの歌よみやとは覺え侍らず。

  【口語訳】 
 和泉式部という人は、趣深く手紙のやり取りをした人である。  それにしても、和泉は、(自由奔放に恋愛をして)感心できない面があるが、気軽に恋文を走り書きしたときに、文章の方面の才能が見える人で、ちょっとした言葉の艶やかな魅力が現れるようだ。(和泉式部の)歌は趣向を凝らしてある。しかし、歌の知識や歌の優劣についての(審美眼はなく本当の歌の詠み方ではないようだが、口にまかせた言葉に、必ず趣向を凝らした部分が、目につく詠み方を加えている。それでも、他の人が詠んだような歌を(和泉が)非難したり優劣を判定していたとしたら、いやそれほど(歌についての)理解は深くない、本当に口をついて歌が自然に詠まれるようだと、分かるような歌風である。気恥ずかしく思うような立派な歌人だなとは思えない。
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※紫式部、和泉式部、清少納言、才ある人は並び立たないものか。それぞれの性格がわかりおもしろい。 
   
              平成27年5月18日 記




       紫式部日記(渡殿に寝た夜)
                        紫式部
     
 渡殿に寝たる夜、戸をたたく人ありと聞けど、恐ろしさに、音もせで明かしたるつとめて、
  よもすがら 水鶏よりけに なくなくぞ 槙の戸口に たたき侘びつる
 返し、
  ただならじ とばかりたたく 水鶏ゆゑ あけてはいかに 悔しからまし

【口語訳】
 渡殿に寝た夜、局の戸をたたいている人がいると聞ききつけたが、恐ろしいので、返事もしないで夜を明かした、その翌朝、
  一晩中、水鶏以上に泣く泣く開けてほしいと槙の戸口をたたき続けて思い嘆きました
 返歌、
  ただごとではないとばかりに、戸をたたくあなた様ゆえに戸を開けてはどんなに後悔をしたことでしょう
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※時の権力者、関白藤原道長が、夜半に紫式部の寝所を訪ねていった場面である。
その真偽のほどは定かではなく、後人の補筆説さえある。しかし、千年以上も前の出来事を、想像する材としては面白い。ところで、紫式部が仕えていた中宮彰子は、このとき出産のため土御門殿に退出していた。ああ、また想像をかきたてられてしまう。  
             平成26年8月3日記



       紫式部日記(清少納言について)
                        紫式部

   
 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名(まな)書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみはべれば、艶(えん)になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。

【口語訳】
 清少納言といえば、得意そうな顔をして我慢のならない人。あれほど偉そうに漢字をおおっぴらに書いてはいるが、よく見れば、まだまだ不十分な点がたくさんある。このように、他人より一段と秀でようと思い、そうしたがっている人は、いつか必ず見劣りし、将来は悪くなるばかりだから、風流を気取るくせがついた人は、ひどくもの寂しく何でもない時でもしきりに感動しているようにふるまい、興味あることも見過ごさないようにしているうちに、自然によくない浮ついた態度にもなるのである。そんな浮ついた人は将来、よいことはないはずだ。
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※ この「紫式部日記」の部分は、紫式部が、清少納言をどのように感じていたかという参考文として、「枕草子」の解説の中にも掲載してある。清少納言は、非常に天真爛漫な感じがする。一方、紫式部は、うじうじしながら陰で批判する鬱屈した性格だったのではないか。華やかな宮廷文学の一場面である。
               平成26年8月2日記



       紫式部日記(赤染衛門について)
                        紫式部

 丹波守の北の方をば、宮、殿などのわたりには、匡衡衛門(まさひらえもん)とぞ言ひはべる。ことにやむごとなきほどならねど、まことにゆゑゆゑしく、歌詠みとてよろづのことにつけて詠み散らさねど、聞こえたるかぎりは、はかなき折節のことも、それこそ恥づかしき口つきにはべれ。ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌を詠み出で、えも言はぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、憎くもいとほしくもおぼえはべるわざなり。

【口語訳】
 丹波守の北の方を、中宮様や殿などのあたりでは、匡衡衛門(赤染衛門)と呼んでいる。特に優れた歌詠みではないが、まことに風格があり、歌人だからといってどのような場面にも歌を詠み散らすことはないが、世に知られている歌はみな、ちょっとした折節のことも、それこそこちらが恥じ入るほどの詠みぶりである。ややもすれば、上句と下句とがばたばらなほど離れた腰折れ歌を詠み出して、また何ともいえぬ由緒ありげなことをして、自分一人悦に入っている人は、憎らしくも気の毒にも思われることだ。
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※ 当代一流の歌人赤染衛門について書いたくだりである。赤染衛門は、平兼盛の娘で大江匡衡の妻であった。赤染衛門については、「恥づかしき」(こちらが恥ずかしくなるくらい素晴らしいという意味)歌詠みと表しているが、清少納言に付いては、手厳しい。
 「ややもせば、腰はなれぬばかり折れかかりたる歌を詠み出で、えも言はぬよしばみごとしても、われかしこに思ひたる人、憎くもいとほしくもおぼえはべるわざなり。」 とは、清少納言のことである。両頭相容れない確執の帰結である。本文に「宮」とあるが、中宮彰子(しょうし)のこと、関白藤原道長の娘である。紫式部は、彰子に仕えていた女房であった。一方、清少納言は、中宮定子の傍にいた。二人は、同時期に宮廷にはいなかったが、そのライバル関係は十分に推測できる。

  紫式部とは、宮仕えをした時の女房としての呼び名である。当時の女性の本名は、皇女、皇妃など公的な立場にいた者以外はほとんど伝わっていない。「紫」は、父藤原為時の姓「藤」が紫とゆかりのある色だから、「式部」は、為時がかつて「式部丞(しきぶのじょう)」という位であったからという説などがある。
               平成26年8月1日記